こんにちは。管理人の河内です。
突然ですが、皆さんは美術作品は何となく高いというイメージがありませんか?
古くはバブル時代の日本でゴッホやルノワールの作品が数十億で売買されたり、最近でも2017年にあのレオナルド・ダ・ヴィンチの「サルバトール・ムンディ」が504億円で落札されて話題となるなど、気の遠くなるような値がついた話はよく耳にします。
しかしこれらは作品そのものにだけついた値段でなく、描いた画家がすでに他界していて歴史的価値や希少性など付随する価値も大きく値段に影響していると言えます。
その一方でデイヴィッド・ホックニーなど存命中のアーティストであっても飛んでもない高額(100億円以上)で取引されていることもあります。
その一番有名なアーティストがバンクシー。「芸術テロリスト」なんて呼ばれ方もする神出鬼没の謎多き画家として有名ですが、彼(?)の作品などはちょっと見ればただの落書きにしか見えないものに数十億円の値段がついたりして話題になりましたよね。
実際に地下鉄の中に描かれたバンクシーの作品が、清掃員によって間違えて消されたこともあるそうです(;^ω^)
こういったニュースを聞くたびに「なぜあんなものが数億円もするの?」「だからアートは良く分からない世界だ」と思う方がいても仕方がありませんよね。
今回は“あんなもの”になぜそれほどの高額な値がつくのか?つくようになったのか?
その始まりのお話をしてみたいと思います。
目次
絵の値段とはどうやって決まっているの?
そもそも絵の値段はどうやって決まっているのでしょうか?
現代ではあまり有名でない画家などが個人で作品を販売する場合は、本人の言い値で決めることが多いですが、ある程度名の知れた画家となると専属のギャラリーと契約をして絵を販売するようになります。
その場合画家本人の希望だけではなくギャラリストがその画家の市場価値など広い観点から判断して決めることになります。
しかしこうした“絵の値段”のつけ方は、19世紀後半以降の話です。
それまでは画家はアーティストというより職人とほぼ同義で、依頼主がいてその求めに応じて絵を制作していました。
ですからその値段はまるで家を建てるときと同じで、木造にするか鉄筋コンクリートにするか、床材に何を使うかなどで金額が変わるように、まずは何を描くか?どれくらいの大きさで描くか?絵具にどれだけ高価な色を使うか?など依頼主と画家が協議しながら材料費を決め、それに職人の技術料やランクなどを足して決められていました。(もちろん建売り住宅のように、画家がすでに描いた作品から客が気にったものを買う場合もあります)
こうして決まった料金ですからある意味で“商品”としての適正価格だったといえるかもしれません。
19世紀後半に起こった「美術革命」
その後19世紀に入りご存知のようにイギリスで起こった産業革命や科学の進歩を経て写真が登場します。
写真はそれまで画家が長年にわたって磨き上げた技術をアッという間に飛び越え現実そのものを再現できるようになりました。
さらに市民革命によって画家たちの生活を支えていたパトロンである王侯貴族は没落し、
画家たちは失業の憂き目にあってしまいます。
こうした社会的、時代的背景から画家たちは生き延びるためにある種のイノベーションを起こすことに迫られます。
そこで登場した動きの代表格がご存じ「印象派」です。
印象派についてはここでは詳しく述べませんが、彼らはまだまだ保守的な世界にとどまっていた旧来の画壇を飛び出し、まさに新たな「美術の価値」を提唱し時代を切り開きました。
その「新しい価値」とはざっくりいうと、伝統的な決まり事を踏襲せず、画家個人の発想でそれまでなかったテーマを選び、新しい世界の見方や描き方を模索していったのです。
そのため彼らは保守的な美術界からは総攻撃を受けることになるのですが…
そして印象派に続くセザンヌやゴッホさらに20世紀のピカソへとつながる「新しい価値を創造することこそがアートである」という流れが生まれていきました。
「始まりの画家」ホイッスラー
ここで今回は日本ではそれほど有名ではありませんが、ある意味美術史上かなり重要な画家ではないかと管理人が思う画家ホイッスラーを取り上げてみたいと思います。
ジェームス・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)は19世紀のイギリスで活躍した画家です。(1834~1903)
ラファエル前派や日本の葛飾北斎などからも影響を受け、風景画や肖像画を多く残しました。
ホイッスラーは幼い頃から絵の才能が認められ、若干11歳で美術学校に入学。21歳でパリに出て画家を目指します。
当時のパリは、新しい時代の新しい芸術を模索する若い画家たちの活力に満ち溢れホイッスラーもそのような空気の中で刺激を受けます。
帰国後ロンドンで画家デビューを果たし1862年に満を持して発表した「白のシンフォニーNo1白衣の女」を発表しますが結果は惨敗。ひどくけなされてしまいます。
しかし後年は一時イタリアのヴェネツィアで過ごした後、ロンドンに戻って1886年にはイギリス美術家協会会長に任命されるなど名実ともにイギリス画壇の中心人物となりました。
このホイッスラーの画風は耽美主義ともいわれます。
それは彼の目指した芸術が、作品に込められたメッセージや思想ではなく純粋に形態や色彩の調和を追求したことからこう呼ばれています。
こうした芸術的態度こそが、今回管理人があえて高額な美術の「始まりの画家」とした事件につながっていきます。
ホイッスラー名誉棄損訴訟
ではなぜこのホイッスラーが、現代美術の“価格高騰の始まり”と考えられるか解説していきたいと思います。
この作品をご覧ください。
1877年に発表されたこの作品、タイトルは「黒と金のノクターン(オールド・バターシー・ブリッジ)」
ロンドンを流れるテムズ川を描いた連作のうちの一枚ですが、この作品が物議をかもします。
現代の私たちがこの作品を見て、多少の好き嫌いはあるもののそれほど違和感を覚える絵ではないと思います。
霧で有名なロンドンのテムズ川とそこにかかる大きな橋。「ノクターン」というタイトルから、夜の抒情が感じられる雰囲気のある絵ですが、当時の人にとっては一体何を表現しているのか理解に苦しむ絵だったのです。
ホイッスラーはこの作品について「色彩と構図という純粋な絵画的要素だけで、絵画はその美を表すべきだ」と語っており彼独自の美意識を表現したと語っていたのですが、これに当時イギリス美術界の権威ジョン・ラスキンが嚙みつきました。
その理由は、ホイッスラーがこの絵に当時の役人の年収の4倍という強気な値段を付けたことにありました。
現在の日本の役人(公務員)の平均年収をざっと調べたところ6百数十万ということなので安く見ても2500万円ぐらいでしょうか。
この価格に対しラスキンは「絵具を投げつけたような絵で、こんな高額な値段を付けるとは詐欺に等しい」「無教養な画家の、これはほとんど詐欺といって良い。まるで公衆の顔をめがけて絵具壺を投げつけたようなものだ」などとこき下ろしたのです。
これを聞いたホイッスラーは激怒。いわれのない中傷を受けたとして名誉棄損でラスキンを訴えたのです。
こうして二人は法廷で争うことになりました。
ラスキンはこの作品を「当時の常識をはるかに超えた絵だった。何を描いたのか判然としない絵など芸術ではない」と主張します。
これに対しホイッスラーは「これからの絵画は、形と色によって構成されていくもの。絵画とは何を描いたのかではなく、どう描くが問題なのだ」と主張したのです。
そしてなんと1000ポンド(約2000万円)もの賠償金を要求しました。
裁判の中で裁判官は絵に描かれた橋の上のおぼろげな影を指して「これは人間なのか?」とホイッスラーに尋ねました。
すると画家は「どうぞ、お好きにお考え下さい」と答えたといいます。
かくしてこの裁判の結果は、ホイッスラーの勝利に終わります。
しかし賠償金はたった銅貨一枚(約20円)でした。
つまり裁判所はホイッスラーの「貶された、名誉棄損された」という主張は認めましたがその芸術性や芸術的価値については触れなかったと言うことです。
管理人もこの判断は妥当だったと思います。
おそらく当時のイギリスだけでなくどこの国にも芸術的な価値を判断する基準は法律には書かれていないでしょうから。
しかしこの時のホイッスラーの主張はある意味で、画家が職人からアーティストへと変わったことを宣言し、美術の概念が大きく転換する先駆けとなったと管理人は思います。
このホイッスラーの主張はその後に続く前衛画家たちへと引き継がれ、今では普通のこととなっています。
美術価格高騰の二つの原因
①価格高騰の裏には価値の転換があった!
ホイッスラーのこの裁判での主張は美術の概念を大きく転換しただけでなく、その価格、つまり値段の付け方にも大きな変化をもたらしました。
そもそもこの裁判の発端は、ラスキンが「あんな酷い作品にあんな高額な値段をつけるのは詐欺だ」というところから始まりました。
つまり従来の価値観ではホイッスラーの絵は値が付かないほど酷いものなのに、2500万円もの値段を付けたところにそのポイントがあります。
前述したように絵の価格は画家のレベル(技術の高さや画壇での地位)、描かれているテーマ(絵のテーマごとにランクがありました)そして大きさ、材料費などによってある程度客観的に決まっていたといえますが、ホイッスラーはそれらを無視して自分の思うように表現し主観的価値観で値段(かなりの高額な)を付けました。
つまりこの時から絵の値段は現実的な価格設定から切り離され、あってないようなものとなったとも言えます。(しかし結局ホイッスラーの絵は誰も買いませんでした。当時の感覚としては大方がラスキンの言うように理解しがたい絵でしたから当然と言えば当然ですよね。)。
こうした概念の転換は、20世紀に入りマルセル・デュシャンの登場によってよりラジカルに起こります。
なんとデュシャンは自分で作品を作ることすらやめてしまい、工場で生産された既製品に自分のサインをしただけで「自分の作品」としたのです!
このデュシャンについてはまた別の機会に取り上げたいと思いますが、こうして美術作品の価値判断の基準は大きく変化しその「値段はあってないもの」と化していきます。
そして現在に至っては作家のコンセプトや作品背景など、作品そのものを評価するのではなく(もちろん作品の独創性や美的観点も考慮される場合もありますが)その周辺を含んで価値や価格が決まるということになっていったのです。
これってなんだか骨董品に似ていると思いませんか?
例えばどれだけ粗末でボロボロの着物であっても、徳川家康が子供のころ来ていた着物だとなると途端に値段が跳ね上がるみたいな…(;^_^A
管理人が思うにたぶんグローバル化が進んで美の価値が多様化した結果、何を美しいと思うか美の基準も多様化し、そうした作品の“背景”や“物語”など多くの人が納得しやすい価値を付けないと誰も判断が付けられなくなったからではないでしょうか?
②美術価格高騰の裏にはグローバル資本があった!
そしてもう一つのポイントが同じく21世紀のグローバル化による美術市場の拡大です。
ある意味欧米先進国内での閉じられた美術市場が、イスラム圏や中国など新たな世界を巻き込んだことで世界中の富裕層が新たな投資先として美術本来の美的価値もそこそこにアートを投資先として選び、莫大な投資マネーが流れ込んでいるのです。
こうした現象は現代美術に限ったことではありません。
上述したようにレオナルド・ダ・ヴィンチの数十年ぶりに真作と認められた作品が、なんと十億といういくらダ・ヴィンチでも…というような値段でオークションで落札されたのですが、競り落としたのはいわゆる“アラブの王族”だったことが知られています。
(このニュースについての記事はこちらをご覧ください⇒)史上最高額の絵画!レオナルド・ダ・ヴィンチ幻の作品「サルバトール・ムンディ」
まとめ
いかがでしたか?
今回は美術品の価格がなぜそんなに高いのか?そして昨今の美術市場の価格高騰現象がなぜ起こったのか?
その始まりを探るために、管理人なりに選んだ19世紀の画家ホイッスラーの訴訟事件をご紹介しまいた。
これは画家の芸術に対する価値が変わったんだという宣言だったと管理人は考えています。
そこには時代の大きな変革とともに、画家たちの意識の変化と芸術の価値を裏付ける根拠そのものが大きな転換がありました。
「値段のない(つけられない)ものに値段をつける」という矛盾がバブルとなって、いわゆる通常の市場経済では考えられないようなとんでもない価格がアート作品に着けられているのが現在の状況だと考えられます。
最後に残念ながらホイッスラーの主張は裁判では通ったものの「ノクターン」の連作は一枚も売れず、裁判費用がかさんで破産してしまうという悲しい結末になったということもご紹介しておきます…(T_T)少し時代が早すぎたんですね(;^ω^)
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