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『北方ルネサンス最大の画家』アルブレヒト・デューラーの生涯と作風をご紹介します。

こんにちは。管理人の河内です。

今回ご紹介するのは北方ルネサンス最大の画家と言われるアルブレヒト・デューラーです。

北方とはアルプス以北のヨーロッパを広くさす言葉で、美術史的には主に現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツなどを指します。

14~15世紀にまたがる時代、イタリアでルネサンスが花開きレオナルド・ダ・ヴィンチラファエロたちが活躍していたのに対し、この地方でもイタリアと相互に影響し合いながらも新しい美術が生まれるもう一つのルネサンスがありました。

イタリアやフランスに比べて、美術の後進国であった現在のドイツに新しい美術を導入し独特の表現で歴史を作ったデューラーとは一体どんな人物だったのでしょうか?

見ていきたいと思います。

1.デューラーってどんな人?

本名:アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer

1471~1528年

北方ルネサンスを代表する画家・版画家。

レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロがルネサンスの本場イタリアで活躍したのと同じころ、デューラーは中世的な風土が残る都市ニュルンベルクで職人の息子として生まれました。

1493年頃のニュルンベルク     出典:Wikipedia

デューラーは教養豊かで知的、画家でありながら人文主義者と学者を混ぜたような人物でした。

幼少期より芸術的才能を発揮し、終始独立独歩、自信満々なタイプの人間で『私のものにまさる聖母像は、この世にない』という言葉を残していたりします。

また美術史上初めて独立した『自画像』を描いたのもデューラーだと言われています。

それらはみな、自らの才能に対する自信と芸術家としての自負に溢れ、天才の自覚が見て取れます。

一方で、デューラーはその旺盛な好奇心と探求心、さらに本場イタリアでルネサンス芸術を学んだことによって、ドイツではいまだ中世的な伝統が強く、職人であった“画家”を“芸術家”として自覚し確立しました。

そんなデューラーはこんな言葉を残しています。「干からびた精神に限ってさらに前へと進む自信がなく、相変わらず古びたやり方で他人を真似るのに満足し、自力で先のことを考える気概にも欠けているのだ。」と。

 

デューラーはドイツの伝統的な緻密で硬質な表現に、イタリアで学んだ豊かな色彩や遠近法などの近代的な芸術理論、さらに自身の独創性を掛け合わせ唯一無二の表現を確立しました。

こちらの自画像などは自らをキリストに重ねているとよく指摘されますが、それは傲慢とは違うと次のように言っています。『「私はキリストに見立てた」のではなく「自分が経験した苦難を通してキリストに倣おうと努めたのだ」」と。

 

デューラーは信仰心にも篤く、ルネサンスの科学的思考と同時に伝統的な宗教観を持ち続けていました。晩年はルター派の宗教改革運動に強く賛同していました。

油絵以外にも動植物を緻密に描いた水彩画、宗教をテーマにした劇的な木版画や精妙な銅版画など様々な表現法を試み、多くの作品を制作しています。

デューラーは、こうした油絵よりも安価で持ち運びがしやすい版画による印刷物によって広くヨーロッパ中に知れ渡る有名画家となり、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世をはじめ貴族や名士たちから庇護を受けました。

晩年は自らの芸術理論を体系化し多くの著述を残しました。

 

2.デューラーの生涯~ざっくりと

13歳の時の自画像

ここでデューラーの生涯を簡単にご紹介します。

詳しい生涯についてはこちらの記事をご覧ください。⇒・《北方ルネサンスの巨匠》アルブレヒト・デューラーの生涯を詳しくご紹介します!

1471年5月21日南ドイツの商業都市ニュルンベルクに生まれる。父は金細工師。

1486年 画家・版画家ミヒャエル・ヴォルゲムートの工房に弟子入りする。

3年の修業を経た後19歳から4年間、ドイツ伝統の《遍歴の旅》に出て各地を回る。

帰郷後、裕福な銅細工師の娘アグネスと結婚しその数か月後に一度目のイタリア旅行に行く。

1495年 帰国後に独立。

1496年 フリードリヒ賢明候にはじめて謁見する。

1498年 木版画の代表作の連作『ヨハネの黙示録』を出版する。

1502年 父親が死去。

1505年 2度目のイタリア旅行に出る。

1512年 神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に仕える。

1514年 母が死去。自身の浪費癖のため経済状況が悪化。

版画《メランコリアⅠ》を制作。

1520年新しく皇帝になったカール五世に年金を支給してくれるよう願い出るためネーデルランドに旅行する。その道中各地で有名画家として歓迎されるが、晩年体調を壊すもととなる熱病にかかる。

1526年 ニュルンベルク市に《4人の使徒》を寄贈する。

晩年は主に執筆活動を行いイタリアで学んだルネサンス理論をもとに多くの芸術論等の著作を残す。

1528年 4月6日ニュルンベルクにて死去。享年56歳

死後間もなく絵画技法解説書『人体均衡論』が出版される。

 

3.デューラーの代表作

ここではデューラーの代表作を簡単にご紹介します。

詳しい解説はこちらの記事をご覧ください。⇒・《ドイツの至宝》デューラーの作品を詳しく解説します!


 

『27歳の自画像』

1498年 52×41㎝ スペイン・マドリード プラド美術館蔵

 

『野兎』

1502年 25×22㎝ アルベルティ―ナ版画素描収集蔵

 

『東方三博士の礼賛』

 

1504年100×144㎝ フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵

 

『学者たちの間のイエス』

1506年 803×643cm テッセン=ボルミネッサ美術館蔵

 

『アダムとイヴ』

1507 年 209×81cm スペイン・マドリード プラド美術館蔵

 

『騎士と死と悪魔』

1513年 24×14㎝ ケンブリッジ ハーバード大学フォッグ美術館蔵

 

『メランコリアⅠ』
1514年 24×19㎝ ケンブリッジ ハーバード大学フォッグ美術館蔵

 

『人の使徒』

1526年 各パネル215×76㎝ ミュンヘン アルテ・ピナコテーク蔵

 

『4人の騎士』(ヨハネの黙示録の一部)

1497~98年 木版画39×28㎝  カールスルーエ国立美術館蔵

4.デューラーの画風と技法

デューラーの技法はドイツの伝統に深く根差していたと同時に、イタリアで得たルネサンスの理念、思想をミックスさせて完成しました。

2度にわたるイタリアへの旅で、ルネサンスが育んだ多くの技法を学びました。

例えば自然主義的な人体表現、陰影による立体的表現、生気溢れる色彩、科学的遠近法や解剖学などです。

当初は動物や植物、風景など自然界のあらゆる主題を描いていましたが、こうした経験を踏まえ、デューラーの芸術的な最大の関心事は次第に人体へと集中していきました。

それを物語るように「わたしは形態と美の完璧さはすべての人間の総和のなかに含まれると考える」と書いていて、裸体の研究に没頭していきます。

そしてイタリアの画家アントニオ・ポライボーロやマンテーニャの模写をしたり、人体プロポーションの科学的な数式や美の尺度を研究しました。

 

晩年はイタリアで得たこうした化学理論に基づく芸術論をもとに『人体比例に関する四書』などの著作を残しています。

 

それまでの中世ゴシック的な平面的で様式化された硬い表現を抜け出し、優雅で自然な人体表現が生まれたのです。

そしてこれらを北方伝統の緻密で繊細な線によって入念に描いたところにデューラーの画風の特徴があります。

細部にわたる緻密な表現は、ドイツ伝統の技であると同時に北方ルネサンスを象徴する技法でもあります。

徹底した写実を究めるデューラーはこんな言葉を残しています。

「芸術は自然の中にあり、それを探し当てることのできるものだけが芸術に生きることができる」その自然とは敬虔なデューラーにとっては神が創りたもうた究極のものであり、勝るものはないと信じたのです。

 

そして銅版画はその表現にもっとも適した技法であり、デューラーの卓越した技術によって絵画よりも低く見られていた版画を芸術の域にまで高めました。

 

図像学《イコノグラフィー》

北方の伝統としてはさらにモチーフそれぞれに意味を持たせるという『図像学的象徴』を使ったことも大きな特徴です。

こちらの作品『メランコリアⅠ』は特に有名。

例えば人物が手にしているコンパスや球体などは『幾何学』を表し、翼は思考によって天に羽ばたく知性の象徴なのです。さらに頬杖をついた女性のポーズやその横でうずくまる犬はタイトルである『憂鬱』を表しているなど画面が数々の象徴に埋め尽くされています。

こちらは『アダムとエヴァ』の背景。

オウムは知恵の象徴であり、樹木の枝は生命を暗示しています。

 

そしてこちらは『ヨハネの黙示録』より「4人の騎士」

ここに描かれた四人の騎士は、それぞれ死、飢饉、疫病、戦争を擬人化して描かれたものです。

 

5.デューラー まとめ

如何でしたか?『北方ルネサンス最大の画家』と言われるアルブレヒト・デューラー、日本で紹介される機会はあまり多くはないのでそれほど詳しく知られていないかもしれませんが少しは身近に感じていただけましたでしょうか。

「ルネサンス」と言えばどうしてもイタリアのダ・ヴィンチミケランジェロのイメージが強いのですが、北の地にももう一つのルネサンスがあり、明るく自由な人間中心主義のイタリアに対し、中世を引きずりながらも伝統的な信仰と精緻な技術を踏まえた北方ルネサンスにはイタリアにはない魅力がありそれを統合したのがデューラーの功績でした。

 

現在でも“ドイツ人気質”と言えば、きちっとした仕事をする職人気質というイメージがありますが、500年前以上前からそうだったんだとデューラーの作品を見て納得してしまいます。

最後にデューラーが、自身のことを語ったと思われる言葉をご紹介します。

「神はしばしば一人の人間に、学ぶ能力と何事かを立派に成し遂げる洞察力を与えたまう。同時代に並ぶものがなく、すぐ後には続く者もないような人間に対しては」。

自己の才能をしっかりと自覚し、新しい美術を創造した芸術家としての自負が伝わってくる、ある意味嫌味にも聞こえるような言葉ですが納得せざるを得ないですね(^^;)

 

【デューラーに関するその他のお勧め記事】

・《北方ルネサンスの巨匠》アルブレヒト・デューラーの生涯を詳しくご紹介します!

・《ドイツの至宝》デューラーの作品を詳しく解説します!

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