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バルビゾン派の巨匠‟農民画家”ミレーの作風と生涯を解説します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回は「晩鐘」や「落穂ひろい」で有名な19世紀フランスの画家、ミレーをご紹介します。

「農民画家」と呼ばれるように、自然や大地と共に生きる農民の姿を、崇高な宗教的感情をこめて描いた作風で知られています。

自然と農民をテーマに描いたことで、同じく農耕民である私たち日本人には馴染みやすく、大正時代の白樺派の作家たちからも支持されていたほど、日本でも早くから人気のある画家です。

そのため「種をまく人」など、代表作を含め多くのミレー作品が日本各地の美術館に所蔵されています。

僕がまだ小学生のころ、全く絵の勉強をしていない頃に親に連れられて地元の美術館に「種を蒔く人」を見に行った記憶があります。

その時は「何とも暗く重い絵だな~」という素朴な印象しかありませんでした。

外国の画家の名前などほとんど知らなかった頃ですが、親が好きだったり、新聞の日曜日版に、「落穂ひろい」や「晩鐘」が大きくカラー図版で載っていたりしたこともあって、僕自身には随分幼いころから記憶に残っている画家です。

今回はそんなミレーの作品と生涯を通して、バルビゾン派の巨匠を解説していきます。

目次

ミレーってどんな人?

本名:ジャン・フランソワ・ミレー Jean-François Millet 1814年生まれ。

パリの南約60キロ、フォンテーヌブローの森のはずれにあるバルビゾン村に住み、当地の風景、農民の仕事や生活を描きました。

テオドール・ルソーや、ディアズ、トロワイヨンらとともに、農村をテーマに自然主義的な表現で「バルビゾン派」と呼ばれるグループの中心画家です。

他のバルビゾン派の画家たちが、専ら風景を中心に描き、人物は風景の一部と捉えていたのに対し、ミレーは人物を中心に描きました。

バルビゾン村の農夫(婦)や羊飼いなど、この田園地方の人々の貧しく厳しい暮らしと、彼らの家庭生活の素朴な喜びを写実的かつ魅力的に描いたので美術史では「写実主義」の仲間に数えられることもあります。

(写実主義にはそのほか、ギュスターヴ・クールベやカミーユ・コローなどがいます)

バルビゾン派の絵↓


写実的で迫力あるミレーの作品は、「彼の(描く)百姓は種まきしているそこの土で描かれているようだ」と評されるほどでしたが一方で、詩人で批評家のボードレールなどは「ミレーの農民は陰鬱で宿命的な不幸を見せびらかしているので私は憎しみを覚える」痛烈に批判しています。

ミレーは画家としては遅咲きで、若い頃は作品がなかなか評価されずに経済的に困窮していました。

そのため古い作品を塗りつぶして、また違う絵を描くなどキャンバスを使いまわしをしていたことがエックス線調査で分かっています。

ミレーの生きた時代は革命後の混迷したフランス。

まだまだ帝政と共和制で揺れ動いていた時代であり、急速に進む近代化と大都市パリへの農村からの人口流入によりパリは混沌としていました。

そんな中、コレラが流行したこともあり、ミレーは都市を嫌って田園広がるバルビゾンに移り住んだのです。

ミレー自身農家の長男として生まれたので、都会よりも田舎暮らしがあっていたのでしょう。

画家になるためにパリへ出ましたが生活は苦しく、売れやすい裸婦画を描いて食い扶持を得ていました。しかしある時、世間からは低俗な画家と噂されていることを知り、その屈辱から以降裸婦は描かなくなったという逸話があります。

その後バルビゾンへ移り、「種を撒く人」「晩鐘」「落穂ひろい」など代表作を描き、次第に認められるようになり、晩年にはサロンの審査員を務め、勲章を授与されるなど巨匠として認められます。

自然の風景をメインに制作したことで、次世代の印象派の画家たちに多大な影響を与えました。しかし印象派が直に風景を見ながら戸外で制作したのに対し、バルビゾン派の画家たちは、戸外での制作はスケッチくらいにとどめ、アトリエで制作をしていました。

また、ミレーは油絵だけでなくパステル画も多く残しています。

ミレーの生涯~ざっくりと

ではここでミレーのたどった人生をご紹介します。

ジャン・フランソワ・ミレーは、1814年、フランス、ノルマンディー地方マンシュ県の小さな村グリュシーで8人兄弟の長男として生まれました。

代々続く農家で、祖母や親戚たちと先祖代々の家に育ちました。

父もまた農民でしたが、教会の合唱指揮者もしていました。

少年時代には農業を手伝いながら、村の神父にラテン語や聖書、古代ローマの文学などを学び、教養を身に着けます。

18歳のときようやく父の賛同を得て港町シェルブールに出て絵の修行を始める。

1835年父が他界して一旦家に戻りますが、祖母の後押しで絵の勉強を続けます。

1837年、22歳のときに奨学金を得てパリに出ます。

エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学し、アカデミズムの巨匠ポール・ドラローシュに師事しました。

26歳で「ルフラン氏の肖像」がサロン(官展)に入選。

奨学金を打ち切られて貧しい生活となり、シェルブールに帰って肖像画家となる。

1841年シェルブールで、仕立て屋の娘ポーリーヌ―=ヴィルジニー・オノと結婚してパリに住みます。風俗画や肖像画などで日銭を稼ぎながらも困窮した生活を送る。

この頃はマニエル・フルーリ(華やかな手法)と呼ばれる明るい色調の手法で神話などをモチーフとした作品を描く。

1844年に妻ポーリーヌが肺結核のため病死。

1845年シェルブールに戻った後、家政婦のカトリーヌ・ルメールと知り合い同棲を始める。

後のバルビゾン派の仲間たちと知り合う。

ル・アーヴルへ移り地元の風俗画や船乗りの家族の肖像を手掛ける。

パリに戻り『聖ヒエロニムス』『バビロン捕囚』『木から降ろされたオイディプス』など神話画、宗教画などを制作。

1846年、カトリーヌ・ルメートルとの間に第1子が生まれる。

1847年サロン入選。好評を博す。

1848年「箕をふるう人」が絶賛され、政府買い上げとなるなど共和政府からの制作依頼を受けるようになる。

1849年パリで流行したコレラを避け、家族と共にバルビゾン村に移住。

当地で田園地帯の農民の貧しい現状に触れ、それまでの宗教画などから離れ、貧しい農夫や羊飼いなどの人々の生活を描くようになる。

1850年 代表作「種をまく人」をサロンに出品。

1853年カトリーヌと正式に結婚する。

サロンで銀賞を受賞し、名が知られるようになる。

1860年、画商のアルチュール・ステヴァンスとエヌモン・ブランと契約したことで経済的な余裕が生まれます。

1867年パリ万国博覧会に出品。

1868年資産家フレデリック・アルトマンから連作風景画の大作「四季」を依頼される。

(『春』『夏』『秋』まで描き上げましたが『冬』は未完のまま亡くなる)

レジオン・ドヌール勲章を受章する。

1870年激化する普仏戦争を避けてシェルブールに移る。

サロンの審査員になる。

1875年バルビゾンで家族に見守られながら死去。享年60歳。

ミレーの生涯を詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。⇒

『農民画家』フランソワ・ミレーの生涯を辿ります。

ミレーの代表作品

ここでミレーの代表作をいくつかご紹介します。(詳しい解説はこちらを合わせてご覧ください。)

「晩鐘」 1857年頃 オルセー美術館蔵

「種をまく人」 1850年 ボストン美術館蔵

「落穂拾い」 1857年 オルセー美術館蔵

「ポーリーヌ・V・オノの肖像」 1841-43年頃  山梨県立美術館蔵

「鏡の前のアントワネット・エベール」 1844~45年頃 村内美術館蔵

「羊飼いの少女」  1864年頃 オルセー美術館蔵

ミレーの画風

ミレー初期の作風として挙げられるのがマニエル・フルーリ(華やかな手法)と呼ばれるものです。

18世紀のロココ調の影響や、スペインバロックの巨匠ベラスケスの影響を受け、繊細で柔らかなタッチと明るく暖かみのある色調による表現によって、宗教画や神話画を描きました。

1850年代にバルビゾンに移ってからは、貧しく苦しい生活を余儀なくされていた農民たちのリアルな生活、仕事、そして厳しい現実の中でもそこにあるささやかな日常の幸せの情景を写実的な手法で表現しました。冒頭部分にも書きましたが、ミレーはバルビゾン派の中でも、風景中心ではなく、人物に焦点を当てたという点で独特な画家でした。またそうしたリアルな表現は「落穂拾い」などでは「貧困を誇張している」「社会主義的だ」などと批判もうけています。

また一方で、「「種をまく人」に象徴されるように、そんな名もない人々を、夕景をバックにシルエットで描くなど、ドラマチックに神々しくシンボリックに扱うという表現もしています。

まとめ

いかがでしたか?自身も農家の出身で、「大地とともに生きる農民」に寄り添い彼らの日々の日常を、宗教的な崇高さでシンボリックに表現したミレーですが、かたや9人の子宝に恵まれたビッグダディの一面があり、幼い子供や親子らを慈しむように描く画家でした。時には崇高に、時にはリアルな現状を社会に訴えるために、そして時には優しいまなざしで表現したというのが見えてきました。

若い頃は苦労したものの、円熟期から晩年には世に認められ、19世紀を代表する画家の一人となったミレーの画家人生は、とても充実したものであったと言えますね。

【ミレーに関するその他のお勧め記事】

・「農民画家」ミレーの代表作を解説します!

・ミレーの生涯を詳しくご紹介します!

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