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『保守的革命家』エドワール・マネの生涯と代表作をご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回ご紹介するのは19世紀印象派の先駆けとなった画家エドワール・マネです。

日本では人気の「モネ」と間違われることがありますが、実際マネ自身も間違われたことがあり、誰かが自分の名前を騙っていると不愉快だったようです。(もちろんマネが先輩)

マネは19世紀後半の美術界に、『印象派』に先駆けて一大スキャンダルを巻き起こし「美に対する反逆の革命家」ととらえられ、今でいう大炎上を起こした画家です。

しかし当の本人はそんなつもりは毛頭なく、心底旧来の権威(=美術界を牛耳っていた大先生たち)に認められたくて、しっかりと古典に学びつつ同時代の現実を描こうとしただけなのですが…

そこには時代の大きな変わり目である「近代」という時代的特徴が大きくかかわっていました。

それでは詳しく見ていきましょう。

 

マネってどんな人?

 

本名:エドワール・マネ

1832年パリで生まれました。

美術史上では「写実主義」の画家に分類されることもあり、また「印象派」の先駆けと位置付けられる画家です。

時々「印象派」に分類されているのを見ますが、マネ自身はモネやルノワールといった印象派のメンバーたちに慕われ親しくしていたものの、一度も『印象派展』に参加はしていませんのでここでは「先駆け」としておきます。

マネは裕福なブルジョア階級に育った生粋のパリジャンで、都会的に洗練されたとても紳士的な人物でした。

頑健な体つきで眼光は鋭く、表情豊かで優雅に気取った歩き方をしていたそうです。礼儀正しく、いつもきちんとした身なりで、友人で作家のエミール・ゾラは「この上なく上品」で「とてつもなく人懐っこい」人物であるとマネを評しています。

マネは18歳の時に、画家になることに強く反対する父をなんとか説得し、苦労して画家への道を歩みだしますが、彼には当初から美術に対する信念がありました。

しっかりと古典に学び、伝統を踏襲しつつもマネは「自らの時代を離れず、自己の目に映ずるところを描かなければならない」と語っているように、伝統的なテーマ(=神話や聖書、寓意画など)を拒否して同時代のパリのリアルな生活を描きました。

そうしたテーマ性からマネは『モダンアートの創始者』と位置づけられることもあります。

しかし当時の美術界では絵画とは理想化された神話や歴史、聖書の物語をテーマに描くものだとされており、現実の世界を絵画の主題にするということは考えられませんでした。

その例としてよく引き合いに出されるのがマネと同時代の人気画家のカヴァネルのこの作品(↓)です。

こういった神話に題材を求め、理想化したものこそ「美」であったわけです。

そうした時代、サロンに出品した『草上の昼食』『オランピア』(↓)などが一大スキャンダルを巻き起こし、美術会を大炎上させて世間の注目を集めました。

これらマネの作品は大変な悪評を受け、まさに「革命児」「美への反逆者」として既存の権威であるサロン(官展)や批評家たちから罵倒されたのです。

 

マネ自身は、自分の作品は過去の巨匠たちの足跡を守っているだけだと考えており、

反逆する意図など毛頭なく、むしろ既存の旧体制に認めてもらいたかったのです。

しかし批評家たちは、まるで逆の評価を与えました。マネの作品を出来損ないで猥褻、卑猥であるなど前例のないほどの悪評を浴びせられマネは深く傷つけられます。

「卑猥」というならカバネルの作品の方がよっぽどエロティックで卑猥な感じを受けますが、こちらはあくまで理想の世界、美の女神ヴィーナスなのです。ここが肝心です。このエクスキューズがあってこそ当時は女性のヌードを描くことが許されたのです。

一方で、その伝統にとらわれない姿勢が、後の『印象派』となる若い画家たちの尊敬を集め支持を受けます。

マネは彼らのリーダー的存在に祭り上げられ、夜ごとマネのアトリエに近いカフェゲルボアに集まっては芸術談義を交わし、新しい芸術について語り合いました。

そんな彼らをマネも支持し応援していました。

しかしマネは、彼らが始めた「印象派展」に何度も誘われますが、最後まで一度も出品しませんでした。逆に何度落選しようともサロン(官展)に出品し続けます。それはサロン(=旧権威側)からは革命的な画家として見られようとも、最後までマネが旧来のアカデミックな伝統的権威から評価されることを望んでいたからでした。

 

このようにマネはなかなか世間に画家として認めてもらえないために、絵は全く売れませんでしたが、モネやゴッホのように生活に困ることはなく、その信念を貫けた背景には、裕福だった父の遺産を相続していたという現実的な理由があります。

そんなマネも晩年にはようやく世間に認められ、49歳でようやくサロンで2等賞をとるまでになり、レジオン・ドヌール勲章という勲章まで受けます。

しかし残念なことに、そのころにはマネの体は病魔に蝕まれ51歳という若さで亡くなってしまいました。

 

マネの生涯~ざっくりと

 

マネは1832年、パリで生まれました。

高級官僚の父オーギュストと芸術を愛する母ウ―ジェニーのもと裕福なブルジョワ階級で育ちます。

厳格な父は、マネに法律を学ばせたかったのですが、マネは画家を志します。

始めは父の意向で、海軍学校を受験しますが2度も失敗し、18歳の時にようやく父を説得してトマ・クーチュールの画塾で絵を学び始めます。

また同じころ後の妻となるシュザンヌ・レーンホフと恋に落ち2年後には息子レオンを授かりますが、父にはばれないように隠していました。

 

1853年にはイタリアを旅し、古典の巨匠たちの模写をして回ります。

1856年、クーチュール元を離れ制作を開始する。

またイタリア、オーストリア、オランダを旅行する。

 

1860年 パティニョール街にアトリエを借りる。

1862年 父親が亡くなり、多額の遺産を相続します。

1863年 シュザンヌ・レーホフと結婚。

『草上の昼食』が落選者展に展示されスキャンダルになる。

1865年 サロンに『オランピア』を出品し、さらに激しい非難に合います。

その非難に打ちひしがれたマネは、スペインに行き、ベラスケスの作品に感銘を受けます。

1867年パリ万博での美術展に出品を拒否されたため自費で個展を開く。

1870年普仏戦争が勃発。マネは家族を非難させ国防軍に入隊する。

1871年 家族と共にパリに戻る。

1872年、画商ポール・デュラン・リュエルが30点ものマネの作品を買い付け、またサロンに入選をはたす。

1880年 糖尿病により健康状態が悪化します。

1881年 サロンで二等賞を受賞する。

1882年 レジオン・ドヌール勲章を受章。

1883年4月20日壊疽により左足を切断。同月30日死去。享年51歳。

 

マネの代表作

ここでマネの代表作を簡単にご紹介します。

詳しい解説付きの記事は後日アップの予定ですのでしばらくお待ちください。

①「草上の昼食」   1863年 208×264㎝ オルセー美術館蔵

 

②「オランピア」  1863年 130×190㎝ オルセー美術館蔵

 

③「笛吹き」  1866年 160×98㎝ オルセー美術館蔵

 

④黒い帽子のベルト・モリゾー(すみれの花をつけたベルト・モリゾ) 1872年 55×38㎝ オルセー美術館蔵

 

⑤「バルコニー」   1868年 170×124㎝ オルセー美術館蔵

 

⑥「アトリエの昼食」   1868年 118×154cm ミュンヘン ノイエ・ピナコテーク蔵

 

⑦「鉄道」  1872~73年 93×114㎝ ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

 

⑧「アルジャントゥイユ」 1874年 147.5×132㎝ トゥルネ美術館蔵

 

 

⑩「フォリー=ベルジェールのバー」

1882年 96×130㎝ コートールド・インスティテュート・ギャラリー蔵

 

 

マネの画風と技法

マネは「テーマ(題材)」と「描き方」両面においてそれまでの伝統を打ち破りました。

マネは修業時代からルーブルへ通い、ブーシェやティツィアーノ、ルーベンスなど古典の傑作を模写して学びましたが、特にスペイン・バロックの画家ベラスケスから大きな影響を受けました。

その特徴が、即興的で大胆な筆使いによる表現です。

色を置いたりゆっくり重ねたりというのではなく、まるで掃くような素早いタッチを使って、生き生きとした表現をしたのです。

このような描き方で、スナップショットのような一瞬の表情や空気感をとらえることに成功しています。

また、古典的な陰影のグラデーションによるボリュームの表現をせず、平坦な塗りによる表現を使いました。これらには、当時パリの画家たちを熱狂させた日本の浮世絵の平面的な塗りの要素が影響しています。

テーマ選びについても伝統的テーマである文学的な逸話や、神話を選ばずに、マネが生きた同時代のパリの日常的風景を描きました。急速に都市化近代化するパリの街と、そこに生きる人々、また友人や家族を頻繁に描き、マネが生きた時代、つまり現実をそのまま切り抜こうとしたのです。

残念ながらこれらマネの画風と技法の最も核心的な二つの特徴は、当時の美術界や世間からは受け入れ難く、嘲笑と嫌悪、非難の対象になりました。

 

 

マネまとめ

マネは生粋のパリジャンとして生まれ、とても紳士的な人物だったにも関わらず、その作品はスキャンダルとなり、世間からはとことん叩かれ笑いものにされました。

しかしそれは言い換えれば当時としてはとても革新的で画期的な作風だったことを証明しているといえます。

理想的で現実離れした高尚な芸術ではなく、自分の身の周りの身近でリアルな現実こそ自分が描くべきテーマであるという信念を持っていたのですね。

そうしたテーマを選ぶ感覚こそが、マネが新しい時代の先駆者であったということができるでしょう。

なかなか自分の作品を認めてもらえない苦しみと、落とされても罵倒されても規制の権威から認められようとしたマネは、一方で若い後輩たちからは新時代の芸術のリーダーとして尊敬さるという板挟みの中で葛藤もあったことでしょう。

しかしマネの残した画業は、印象派へと受け継がれ、近代美術を切り拓くという大きな遺産として残りました。

 

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