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『バロック最大の画家』ルーベンスの生涯をご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回はフランドル・バロック美術の巨匠ペーテル・パウル・ルーベンスの生涯を詳しくたどってみたいと思います。

彼が活躍したのは17世紀。現在のベルギー・アントワープを拠点に、ヨーロッパ中の王侯貴族を顧客に持ち、20世紀の巨人ピカソを除けば美術史上もっとも多作な画家であり成功した画家でした。

若くして名声を得てから一貫して巨匠の名をほしいままにしたルーベンスとは、一体どのような人生を送ったのでしょうか。見ていきましょう。

ルーベンスの生涯① 出生~修行時代

ルーベンスは1577年6月28日、法律家の父ヤン・ルーベンスのもと。7人兄弟の6番目としてドイツのジーゲンに生まれました。生まれた翌日が聖ペテロと聖パウロの祝祭日だったため、彼らにちなんでフランドル語読みのペーテル・パウルと名付けられました。

後に画家になるとイタリア語読みのピエトロ・パウオーロと署名しています。

 

時は宗教改革の時代でヨーロッパではカトリックとプロテスタントが激しく戦っていました。父のヤンはカトリックでしたがカルヴァン派(プロテスタント)の疑いをかけられたため、迫害を避けてケルンに身を置き法律顧問をしていました。そのためルーベンスも10歳までドイツで育ち、父の死去に伴って母と3歳年長の兄、姉ともに現在のベルギー、アントワープ(アントウェルペン)に移り住みます。

そこでルーベンスは、人文主義的教育を受けラテン語や古典文学を学びました。

1590年に姉が結婚しますが、当時は花嫁が持参金を出さなければならなかったため、母マリアは経済的に困窮します。そのため兄とルーベンスは16歳と13歳という若さで職を持って自立しなければなりませんでした。

ルーベンスはラレング伯爵未亡人の館で奉公人となりますが、すぐに姻戚関係にあったトビアス・フェルハーヒトという画家に弟子入りします。

 

ルーベンスはフェルハーヒトのもとをすぐに離れアダム・フォン・ノートルという画家のアトリエに入ります。そこで4年ほど修業を積んだ後、オットー・ファン・フェーンのもとへ移り徒弟として過ごします。3番目の師は古典的教養も豊富で、ルーベンスはこの師から多くを学びました。

 

1598年には修業期間を終えアントワープ画家組合に親方として登録されますが、2年ほどは師匠のもとに留まり仕事をしています。

 

ルーベンスの生涯② イタリア時代

 

そして1600年5月9日に最初の弟子デオダートゥス・デル・モンテを伴ってイタリアに旅立ちます。以降8年に渡ってルーベンスはイタリアを拠点に活動をしています。

まずヴェネツィアで幸運にもマントヴァ公ヴィンチェンツォ1世の廷臣と知り合います。彼にスケッチを見せたところ評価され、マントヴァ公もその出来に感銘を受け、すぐにルーベンスを雇い入れました。

ヴィンチェンツォ1世は芸術庇護者として知られており、ルーベンスは彼に仕えたことでイタリア美術の素晴らしいコレクションに触れることが出来ました。

そこでティツィアーノやヴェロネーゼらといったヴェネツィア派の巨匠たちから明るい色彩と動的な構成などを学び自らの作品に取り入れています。

1601年には初めてローマを訪問し、古代ギリシャや古代ローマの芸術作品、ラファエロやミケランジェロなどルネサンスの遺産に触れ、それらを模写し研究します。

 

またマントヴァ公の依頼で、当時の最先端画家カラヴァッジョの作品の買い付けなどを行っています。さらにこの滞在時にルーベンスは初めての公的な制作依頼を受けます。(サンタクローチェインジェルサレンメ聖堂の祭壇画3点。)

1603年、ルーベンスはヴィンチェンツォの外交使節としてスペイン王フェリペ3世のもとを訪問します。その時贈り物として持参した2枚の絵画が、途中雨のため損傷を受けました。しかしルーベンスは慌てることなく即座に代作を描きました。

スペイン滞在中には、スペイン王家の誇るヴェネツィア派の素晴らしいコレクションに触れ、それらを学ぶことができました。

1604年マントヴァに帰国。

1605年二度目のローマ滞在。この時はコロンナ枢機卿の司書となっていた兄のフィリップと一緒に住みながら、古今の芸術作品を研究する。

1606年新築された聖堂サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラの主祭壇画の依頼を受ける。

こうしてルーベンスのイタリア滞在は研究と制作、外交使節として実りの多い時期を過ごしたのです。

 

ルーベンスの生涯③ アントワープへの帰郷

 

1608年、先にアントワープに戻っていた兄フィリップから母が危篤であるとの知らせを受けます。すぐに帰郷しますが母の最期には間に合いませんでした。

 

当時アントワープはスペイン領ネーデルランドの一部でした。その君主アルブレヒト大公はかねてからルーベンスを高く評価しており、マントヴァ公にルーベンスの宮廷画家の任を解いてほしいと手紙を書いていました。そして1609年偶然にも帰郷したルーベンスを自身の宮廷画家に任じ手放そうとはしませんでした。

このことをルーベンスは「金色の足鎖で縛られた」と語っています。

以降ルーベンスはこのアントワープに大工房を構え本拠地として生涯活動をします。

 

同年ルーベンスはアントワープの名高い法律家の17歳娘、イザベラ・ブラント(↓)と結婚します。彼女はまた兄フィリップの妻の姪でもありました。

この頃すでに巨匠として名を馳せていましたが、1611~14年に制作した大祭壇画『十字架昇架』『十字架降架』によってイタリアで学んだ『グランドマナー』(大様式)を完璧に表現してみせ名声はさらに高まりました。

1610年には宮殿のような屋敷を建て、翌年娘のクララ=セレーナ(↓)が生まれています。

またこの頃はカトリックとプロテスタントの宗教戦争によって、多くの教会などが被害を受けていました。そのような中、休戦条約が結ばれたことで教会の再建が始まります。それらを飾る彫刻、絵画などの注文がルーベンスの工房に殺到したのです。

ルーベンスは驚異的なエネルギーと組織力を駆使してそれらを捌きました。

注文は海外からも寄せられ、それらは宗教画に限らずフランス王ルイ13世のタピスリーのためのデザインや1622年からはイタリアからフランス王室に輿入れしたマリー・ド・メディシスのための大連作などもありました。

1626年には当時流行していたペストにより妻のイザベラが34歳の若さで亡くなります。

このころはスペインとネーデルランドに平和をもたらすためにスペインとイングランドを何度も行き来したりするなど画家としてだけでなく外交官としての仕事も多くこなしています。語学の才能にも恵まれていたルーベンスは、母語とイタリア語以外にもフランス語、スペイン語、ドイツ語、ラテン語など7か国語も流暢に話したそうです。

アルブレヒト大公が死去(1621年)したあと、王妃のイザベラ厚い信頼を得て、彼女の命を受けて1628年からスペインを訪れます。この時スペインの宮廷画家であったベラスケスと親交を結びました。(ベラスケスについての記事はこちらをどうぞ⇒

その後イギリスへも派遣され美術愛好家だったチャールズ1世に歓迎されます。チャールズ1世はルーベンスにナイトの爵位を授け、ホワイトホール宮の一部であるバンケティングハウスの天井画の連作を依頼しました。ルーベンスはそれをアントワープの工房で制作し1635年イギリスに送っています。

 

1630年ルーベンスは53歳の時に再婚します。

相手は当時まだ16歳のエレーヌ=フールマン。裕福な絹織物商の娘でした。

2人の間には息子2人と娘3人をもうけ、この頃から公的な仕事から少しずつ身を引いて家族との時間を大切にするようになります。

 

ルーベンスの生涯④ 晩 年

1632年大公妃イザベラに外交任務の免除を願い出たルーベンスは、1635年に“ステーンの館”と呼ばれる別荘を購入します。そこで多くの時間を過ごすようになり風景画に情熱を注ぎました。

しかし工房での仕事は変わらず精力的で、制作依頼も途絶えることはありませんでした。

スペイン国王フェリペ4世の狩猟館トーレ・デ・ラ・パラダために120点に及ぶ神話画を受注しますが、ルーベンスはこの頃には痛風による手のしびれから、その多くが助手たちの手によって制作されています。

1640年5月30日、痛風による心臓発作のため亡くなりました。享年62歳。

ルーベンスの絶筆『アンドロメダを救うペルセウス』(完成は別の画家による)

 

【ルーベンスに関するこの他のお勧め記事】

・『王の画家にして画家の王』と呼ばれた巨匠ルーベンスをご紹介します!

・『バロックの神髄!』ルーベンスの代表作を解説します!①

・『バロックの神髄!』ルーベンスの代表作を詳しく解説します②

 

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