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『印象派の父』と呼ばれた画家カミーユ・ピサロの生涯を詳しく解説します!~前半~

こんにちは。管理人の河内です。
今回『印象派の父』であり『長老』であったはカミーユ・ピサロの生涯を詳しくご紹介したいと思います。
“印象派”グループの最年長としてグループのまとめ役でありセザンヌやゴーギャンたちの才能をいち早く見抜いていたピサロ。
その温厚な性格が作品に現れているような優しい雰囲気の作品を描きました。

私生活では多くの子供たちに囲まれながらも経済的に困窮した時期が長く、実はかなりの苦労人でもありました。
そんな生活は苦しくても、常に人にも芸術にも誠実だったピサロはどのような人生を送ったのでしょうか。
今回はちょっと長くなってしましましたので前後半に分けてご紹介します。

目次

ピサロの生涯① 出生~青年時代

ヤコブ・カミーユ・ピサロは1830年6月10日にカリブ海、西インド諸島のアンティル諸島セント・トマス島に生まれました。
父親はフレデリック・アブラハム・ピサロ、フランス南部ボルドー出身のユダヤ教徒、母はラシェル・マンザーナ=ボエミ、セント・トマス島生まれのフランス系ユダヤ人でした。
父はセント・トマス島の首都で主要な港町であったシャルロット・アマリ―で雑貨店を営んでおりピサロは4人兄弟の3男として生まれました。
当時島はデンマーク領だったので、ピサロはデンマーク人として生まれました。

しかしピサロ一家は親仏派だったのでピサロは1842年、12歳からパリに渡り、パシーの寄宿学校に入りました。
この短期のフランス留学期間を除くとピサロはその少年時代の大半をセント・トマス島で過ごしました。
その後シャルロット・アマリ―に戻ったピサロはいやいやながら家業を手伝います。

そして1850年、20歳になったピサロはデンマーク人画家フリッツ・メルビーと出会い絵を習います。
メルビーは世界各地を旅しながらヨーロッパの美術愛好家たちのために風景画を描いていました。そんなメルビーはピサロに一緒にベネズエラに行かないかと誘ったのです。
故郷での仕事に辟易していたピサロはメルビーとともに54年までベネズエラを旅し、各地で肖像や風景をスケッチして回りました。

ピサロの生涯② パリへ~1860年代

ベネズエラから帰国後の1855年9月、画家になることを決意したピサロは反対する父親を説得し、パリへと向かいます。

はじめピサロはパリで父方の親戚の世話になり、メルビーの兄アントン・メルビーの助手として働きます。
パリではちょうど万国博覧会が開催中で、ピサロはドラクロワやクールベ、コローと言った画家たちの作品に触れ感銘を受けます。

生活費を出してもらっている父親を納得させるために、ピサロはフランソワ=エドワール・ピコやイシドール・ダニャン、アンリ・レーマンといった画家たちの指導を受けますがそれほど興味がもてませんでした。
それよりもアカデミー・シュイスに通うことを楽しみ、そこでアントワーヌ・ギュメやクロード・モネセザンヌらと出会いました。
アカデミー・シュイスはモデルを各自が自由に描くことが出来る私設の画塾で、若い画家たちが自由に学んでいました。

当時の画風はバルビゾン派の画家カミーユ・コローから「田舎に行きなさい!ミューズ(芸術の女神)は森の中にいる!」と戸外での制作を勧められ、コローやクールベらの影響を受けて絵の具を厚塗りしたり、褐色の色彩で表現していました。
そして1859年、小作『モンモランシーの風景』を初めてサロンに出品し入選をはたしました。(同展に出品していたミレーやマネ、ファンタン=ラ=トゥールらは落選)
ピサロの両親もこれで息子が画家として独り立ちできると喜びましたが、実際には40歳を過ぎるまで仕送りをつづけました。

1860年頃にはピサロの両親もパリに移住しています。
そしてこの両親の家でブルゴーニュ地方出身のジュリー・ヴレーが使用人として働くようになります。
ピサロは誠実で勤勉なジュリーに惹かれるようになり、二人は生涯の伴侶となりました。
しかしピサロの両親は、教養もなくカトリック教徒であり身分の低いジュリーと息子の関係をよく思わず彼女を解雇してしまいました。
ピサロはジュリーとの間に8人もの子どもをもうけましたが、その内3人は彼らの存命中に亡くなっています。ジュリーや子どもたちもピサロのモデルとして度々画中に登場しますが、公の展覧会には出すことはありませんでした。

1863年2月ヤコブセンと共同で使っていたパリのアトリエで、夫婦の最初の子リュシアンが誕生します。
収入の少ない若い画家夫婦にとってパリでの生活は厳しく、二人はパリを離れてセーヌ川の支流のマルヌ川沿いにあるラ・ヴァレンヌ=サン=モールやラ・ヴァレンヌ=サン=ティレールで暮らすことにしました。

ピサロの生涯③ パリ~ポントワーズ~ル―ヴジェンヌ

1863年、この年のサロンでは、前代未聞の数の落選者がでました。その結果を不服、不当として画家たちが抗議の声をあげます。
その結果皇帝ナポレオン3世は『落選者展』と呼ばれる展覧会で作品を展示させることにします。その展覧会こそ印象派の父と呼ばれエドワール・マネ草上の昼食』一大スキャンダルを巻き起こした展覧会だったのです。

エドワール・マネ作『草上の昼食』

1200人もの落選者の中の一人であったピサロはこれに3点の風景画を出展しています。
そしてこの時にピサロはモネを介してフレデリック・バジールやルノワール、シスレーらとり合いました。
翌1864年のサロンでは2点の風景画が入選する。

1864年から76年まで6回にわたりアカデミー・シュイスで出会ったリュドヴィク・ビエットのモンフーコーの屋敷に滞在します。裕福なビエットが経済的に厳しい状況にあったピサロ一家を彼の所有地に滞在させたのです。そこでピサロはこの小さな田舎町の美しい風景を50点ほど作品に残しています。

ビエットは自分にピサロほどの才能がないことを自覚していてピサロを応援していたのです。「君は僕よりずっと先を行っている。僕は水彩画家。つまり即興画家でしかないが、君はもっとまじめにうねを耕し、肥沃な土地にしている」と励ましています。ピサロはそんなビエットを1877年の第3回印象派展に招待しますが、翌年の78年ビエットは癌で52歳で亡くなりました。
1865年1月ピサロの父フレデリックが亡くなる。
1866年 パリ郊外のラ・ヴァレンヌ=サン=ティレールで長女ジャンヌ=ラシェルが生まれる。
この年もまたサロンに入選を果たすもピサロはいまだ無名の画家でしたので生活は厳しく、ゴッホの絵で有名な画材商ジュリアン・タンギー爺さんのところへ作品を持ちこみそれと引き換えにわずかな収入を得ていました。

 

またセザンヌが中学時代からの旧友であった作家のエミール・ゾラをピサロに紹介し、ゾラはピサロの強力な擁護者となります。

1868年までピサロはパリとパリ郊外のポントワーズで交互に生活していました。
パリではカフェ・ゲルボワに通い、エドワール・マネを中心にバジール、ルノワードガファンタン・ラ・トゥール、モネ、セザンヌと言った画家たちやゾラなど作家、批評家が集っては芸術論を戦わせていました。彼らは後に「パティニョール派」と呼ばれ当時の前衛芸術の象徴的な存在となります。

1869年春から72年まで、ピサロはパリ郊外のル―ヴシエンヌに借家を借りて住みます。
モネやシスレー、ルノワールらも近くに移住していましたが皆まだ絵が売れず食事にも事欠いていたようです。
しかし彼らは時々一緒に戸外で絵を制作し後の印象派への土台が作られていきました。
ピサロ自身も色調が明るくなり絵具の塗り方が薄くなるなど大きな変化をしていきます。

1869年サロンに入選するも絵の展示場所についてサロンに抗議しています。

 

後半はこちらをどうぞ⇒【『印象派の父』と呼ばれた画家カミーユ・ピサロの生涯の生涯を詳しくご紹介します~後半】

 

【ピサロに関するその他のお勧め記事】

・『印象派の長老』カミーユ・ピサロの生涯と画風をご紹介します!

・『印象派の父』と呼ばれた画家カミーユ・ピサロの生涯を詳しくご紹介します。~後半~

・《作品解説!》カミーユ・ピサロの代表作を解説します!

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