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【マニエリスム後期の巨匠】エル・グレコの生涯を詳しく解説します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回はギリシャで生まれ、スペインで活躍した画家エル・グレコの生涯を詳しくご紹介したいと思います。

歴史に名を残すような有名な画家には大きく分けて3通りの画家がいます。

一つは生前から名を馳せ天才として美術史上常に変わらぬ評価を得てきたタイプ(ダ・ヴィンチミケランジェロなど)2つ目は、生前は人気があったけど死後忘れ去られて近年になって再度評価が高まったタイプ(フェルメールラ・トゥール)そして3つ目がご存知ゴッホのような、生きている間は世に認められず亡くなってから評価されるタイプです。

このエル・グレコは2つ目のタイプですね。

生前は枢機卿や教会から多くの注文を受ける売れっ子画家でしたが、亡くなると急速に人気が落ち忘れられた画家となりました。時を経て20世紀になって“再”発見されげんざいでは押しも押されぬ巨匠に名を連ねています。

目次

エル・グレコの生涯① 出生~ローマ時代

エル・グレコ自画像

エル・グレコ、本名ドメニコス・テオトコプーロスは1541年エーゲ海のクレタ島の首都であり港町のカンディア(現在のイラクリオン)またはその近郊で生まれました。

しかしクレタ島でのグレコの生活や、画家としての初期の修業時代についてはほとんど知られていません。
家族についても官吏であった父のヨルギと10歳年上の兄マヌーソスがいたことぐらいしか分かっていません。

しかし1566年のクレタの記録にはマエストロ(画家組合の親方)と記載されていることからそのころカンディアではすでに画家としてある程度認められていたようです。

当時のクレタ島は前世紀までオスマントルコの影響下にあったことからビザンティン美術の影響が残っており、エル・グレコの作風もこれに影響を受けていると考えられます。

エル・グレコの記録が残っているのは彼がすでに20代半ばでヴェネツィアへ向かう1567年からです。

故郷カンディアはその数世紀以前からヴェネツィアの領土であり、多くのギリシャ人の職人や画家がパトロンと富を求めてヴェネツィアへと渡っていました。

当時ヴェネツィアは重要な交易の要として、強大な海上帝国を築いていました。その繁栄の中でヴェネツィアの人々は、交易で蓄えた富を建築や美術作品に惜しみなく費やしていたのです。

エル・グレコはそのヴェネツィアを代表する巨匠で、この時すでに老齢であったティツィアーノに弟子入りしたようです。
またそのほかティントレットやパオロ・ヴェロネーゼ、ヤコポ・バッサーノら当代の巨匠たちの作品を勉強し、鮮やかな色彩や遠近法、解剖学などのヴェネツィア・ルネサンス様式を吸収していきました。

エル・グレコは2年間このヴェネツィアに滞在したのち、ローマへと向かいます。

1570年11月、ローマに到着して間もなくクロアティア人細密画家ジュリオ・クローヴィオと知り合います。
クローヴィオは自らのパトロンである枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼにこう書き送っています。
『クレタ島出身の若者が、ローマにやって来ました。私の見る限り優れた画家であります。とりわけ彼が描いた自画像は、ローマ中の画家たちを恥じ入らせております』と絶賛し、さらにエル・グレコに枢機卿の邸宅の一室を貸与してもらえないかと申し出てもいます。

残念ながら、これほどクローヴィオが絶賛した自画像は残っていませんが、彼の申し出は受領され若きエル・グレコはパラッツォ・ファルネーゼで洗練された生活を送り、枢機卿の庇護を受けることが出来たのです。

そしてこの邸宅でエル・グレコは当代の学識豊かな学者たちと数多く接します。
その友人たちの中にはスペインの有力な聖職者も含まれていて、エル・グレコに強くトレド行きを薦めたと考えられます。

エル・グレコの生涯② スペイン、トレド時代

エル・グレコが長年住んだトレドの町 :Wikipedia

1572年にはローマのアカデミア・ディ・サン・ルカ組合にエル・グレコの名前が登録されているので工房も持ち、肖像画や宗教画を描いていたと思われますが、ファルネーゼ枢機卿からは解雇されています。

それ以降の数年間はエル・グレコの足跡はよく分かっていませんが、そのころルネサンスに中心となっていたローマでフルヴィオ・オルシーニというパトロンを得て滞在し、その後イタリア各地を回ったあとスペインに渡ったと考えられていますが、1577年の春にトレドでの記録があるまで確証はありません。

その後は生涯をこのトレドの街で送りました。

1560年代初めまでトレドはスペインの首都でした。

62年にフェリペ2世が政治の中枢をマドリードに移しましたが、以前として絹や陶磁器、羊毛などの盛んな交易によってトレドの活況と繁栄は続いており重要な都市であり続けました。

またスペイン教会の本拠地もトレドにあり、資産豊かな教会や宗教施設も多くあり芸術家たちを庇護していました。

しかし当時はまだイタリアのように絵画や画家を哲学者などのようなアカデミックな知的活動であると認識されておらず、一職人という位置づけだったためその社会的待遇はイタリアと比べるとあからさまに劣るものでした。

このような大都市トレドにエル・グレコはやってきて、ローマ時代と同じく当地の知識人らと交流を深め、聖職者、詩人、学者たちと親しく交わっています。

そしてエル・グレコは間もなくヘロニマ・デ・ラス・クエバスという伴侶を得ます。
しかし二人が正式に結婚したかは明らかでは在りません。二人は78年までにホルヘ・エマヌエルという息子をもうけその息子も画家となっています。

トレドにやって着て間もなく、エル・グレコはサント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ聖堂祭壇画のための三つの大作に着手します。

しかしそのうち《聖衣剥奪》は聖堂側が「キリストに対する冒とくである」とエル・グレコへの報酬を踏み倒そうとしました。
そのためグレコは裁判を起こしますが、聖堂側がエル・グレコを異端審問にかけると仄めかし、当初の3分の1という報酬で妥協を余儀なくされました、

1578年愛人のヘロニマ・デ・ラス・クエバスとの間に息子が生まれる。

グレコはその子に父と兄から名前をとってホルヘ・マヌエル・テオトコプーロスと名付けました。

1580年国王フェリペ2世は、彼の壮大な隠遁所となるエル・エスコリアル修道院を装飾するためヨーロッパ各地から有数の画家を集めます。
エル・グレコもそのうちの一人に選ばれ祭壇画の制作を委嘱されます。

その後も聖職者や貴族、宮廷人から肖像画などの依頼が相次ぎ、グレコは着実に富と名声を得ていきます。

1585年にはビリェーナ侯爵の邸宅の主翼に隣接する部分を借りて貴族的な贅沢な生活を送っています。

その邸宅は並の芸術家では到底支払うことの出来ないほどの大きさで、有名になったエル・グレコといえどもそこでの生活を維持することは大変でした。

そのためエル・グレコはより高い報酬を得ようとパトロンたちと頻繁に裁判沙汰を起こしていて、その死後遺産はほとんど残っていませんでした。

しかしエル・グレコはイタリアでは画家は“芸術家”として大いに尊ばれ高い社会的評価を受けている存在であったのに対し、スペインではいまだ“腕の良い職人”と見なされていたことへの不満もあったと考えられています。

一流の画家は一流の芸術家であり哲学者でもあということ、そしてその社会的地位の向上と、それに見合った生活をすべきであるとの信念をもっていたからなのかもしれません。

1612年から自身の墓碑のためにサント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ聖堂に『羊飼いの礼拝』を制作。

1614年4月7日に長患いの末、エル・グレコは亡くなりました。

彼の遺体はサント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ聖堂地下の墓所に埋葬されました。

しかし息子がこの墓の支払いに充てるはずだった同教会への作品を完成させなかったために、グレコの遺骸は近くのサン・トルクアート修道院に移されることになります。

さらにその修道院は後に破壊され、現在ではもともと埋葬されるはずだったサント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ聖堂に“エル・グレコの埋葬場所”と記された石板が記念として床にはめ込まれています。

エル・グレコの生涯 まとめ

いかがでしたか?
生前は名声を得ていたエル・グレコでしたが、その死後急速に評価が下がったためか、特に故郷のクレタ島時代やイタリア時代の資料が少なくなくまだまだ謎の部分は残されておりこれからの研究が待たれますね。

しかし彼の才能と独特の表現は異邦人として故郷を離れイタリア、スペインとめぐる中で様々な要素を吸収して創り出されたものだったと言えます。

 

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