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【元祖・色彩の魔術師】ティツィアーノの生涯を詳しくご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回はヴェネツィアルネサンスの最盛期に画壇に君臨した画家ティツィアーノの生涯を詳しくご紹介したいと思います。

ルネサンスの3大巨匠といえばレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロと美術にそれほど詳しくない方も一度は耳にしたことのあるであろうビッグネームがいますが、実は時を同じくして北イタリアのヴェネツィアに彼らと肩を並べるほどの巨匠がいました。

それがこのティツィアーノです。彼は当時としては異例の長寿を全うし最盛期のヴェネツィアに君臨したまさに”画家の王”でした。

その師匠のジョヴンニ・ベリーニが無くなって以来60年にわたって確固たる地位を保ったヴェネツィア派のドン・ティツィアーノは一体どんな生涯を送ったのでしょうか。

詳しくご紹介していきたいと思います。

 

目次

ティツィアーノの生涯① 出生~修行時代

本名ティツィアーノ・ヴィチェーリオは1485年ころ、ヴェネツィア共和国の一部であったアルプス山麓の小さな村、ピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれました(正確な年月は不詳)。

 

父グレゴリオ・ディ・コンテ・ヴェチェーリオは、人々から尊敬される公証人で軍人でもありました。母の名前はルチア。

ティツィアーノにはフランチェスコ、オルソラ、カテリーナの4人の兄弟がいました。

 

ティツィアーノ年代ははっきりしませんが、少年時代に兄フランチェスコとともに貿易を学ぶためヴェネツィアの叔父のもとに出ました。

 

そこでティツィアーノはモザイクの制作家セバスティアーノ・ツッカーティのもとで学び、その後画家のジェンティーレ・ベリーニのもとで修業を積みます。

 

しかしこの師が時代遅れだと感じたティツィアーノは、その弟ジョヴァンニ・ベリーニの工房へと移ります。

 

ジョヴァンニ・ベリーニは、当時ヴェネツィアでも屈指の有名画家で、入ってきたばかりの油彩技法を完成の域にまで発展させ、色彩と鮮やかな光の効果を使った祭壇画などの宗教画で有名でした。

 

1500年ごろのヴェネツィアは、繁栄の最盛期にありヨーロッパ最大の都市のひとつでした。

強大な独立共和国として歴史上類を見ない平和と正義、自由があふれ世界各地から商人が集まっていました。

そんな中、最も多く訪れたのはドイツ商人でした。

現在も観光地として有名なリアルト橋のたもとには巨大なドイツ商館が建ち1508年にはすでに画家として独立したティツィアーノが同じヴェネツィア派の画家ジョルジョーネとともにその外壁装飾に携わりました。

ジョルジョーネ

伝記作家ヴァザーリの書き残すところによると、多くの人がティツィアーノの仕事をジョルジョーネのものと思い、手法が上達したと褒めたのでジョルジョーネはひどく気分を害したということです。

 

この時描かれたフレスコ画は運河の湿気のために崩れてしまいましたが、ジョルジョーネとティツィアーノはこのほかにも多くの共同制作を残しました。

 

1510年ジョルジョーネが早逝します。

 

ティツィアーノの生涯② 壮年~円熟期

1512年パドヴァからヴェネツィアに戻りカナル・グランデ(大運河)に工房を構える。

 

1513年ティツィアーノは教皇レオ10世からローマへの招聘を受けます。

これはラファエロミケランジェロといったスーパースターと肩を並べるチャンスでしたが、ヴェネツィアをこよなく愛し、また生来の旅行嫌いということもあってティツィアーノはこの招きを断ってしまいました。

 

そしてその後もヴェネツィアで宗教関係者や貴族、ヴェネツィア共和国一等書記官のニッコロ・アウレリオなど名だたる名士をパトロンとして制作を続けました。

 

断ったもののローマからの招聘を受けたことはティツィアーノの名声をより高め、1516年には師のジョヴァンニ・ベリーニの跡を継ぎ師が未完に残したドゥカーレ宮殿大議会堂の絵を完成させるなど共和国御用画家となって公的な依頼をも受けるようになります。

ドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア総督低兼政庁。ヴェネツィア共和国の中心的建物。

その最初の作品がヴェネツィア有数の教会であるサンタ・マリア・デイ・フラーリ聖堂の祭壇画《聖母被昇天》です。

 

そして最大のパトロンの一人であったフェッラーラのアルフォンソ・デステ公爵を通してマントヴァやウルビーノの貴族たちとも知り合い以降20年にわたって洗練された華やかな宮廷文化の中で親交を結び、ついには神聖ローマ皇帝カール5世とも親交を結ぶまでになりました。

カール5世の肖像

 

1519年にはレオナルド・ダ・ヴィンチが、翌年ラファエロが亡くなりまたミケランジェロも専ら建築と彫刻に専念していたこの時期ティツィアーノはまさに絵画の第一人者となっていました。

フラーリ聖堂の祭壇画《聖会話とペーザロ家の寄進者たち》でティツィアーノのルネサンス様式は頂点に達します。

1527年スペインとドイツの軍隊がローマに侵攻すると、数多くの芸術家や学者が自由で安全なヴェネツィアに逃げてきました。

 

ティツィアーノはそうした中の一人詩人のピエトロ・アレティーノと彫刻家で建築家のヤコポ・サンソヴィーノらと“3人組”と呼ばれるほどの強い親交を結びました。

アレティーノは優れた著述家でありティツィアーノの公式文書の代筆をしたり、彼の絵のすばらしさを讃える見事な文章を書きティツィアーノの名声をヨーロッパ中に広めることに一役買いました。

 

1530年妻のコルネリアが娘のラヴィニアを出産時産褥で亡くなり、残された子どもたち(息子2人と娘一人)はティツィアーノの妹オルソラが育てることになりました。

彼女は1550年に亡くなるまでティツィアーノ家の面倒を見ました。

長男のポンポ二オは聖職者のなるはずでしたが自堕落な生活を送り、次男のオラーツィオは父の工房に入り、画家として父ティツィアーノが晩年筆を持つことが出来なくなってからは、彼の大工房を率いました。

 

ティツィアーノは1531年から、ヴェネツィア東部のはずれ、サン・ミケーレ島やムラーノ島の対岸にあるビリ・グランデに大きな家を構えて生活しました。

ここは当時田園地帯で潟湖を一望に見渡せる庭もあり、彼はここで友人や客たちを、贅を尽くしてもてなしたそうです。

1540年代には多くの弟子(少なくとも30人以上)を抱え、大工房を営んでいます。

作風もこの時期にドラマティックで物語性の強いものになっていきます。

 

1538年ヴェネツィア共和国政府はティツィアーノに依頼していたドゥカーレ宮殿の絵画制作が一向に進まないことに対しそれまでに支払った賃金の返還を求めています。

そしてこの仕事は一度はティツィアーノの競争相手で会ったポルデノーネに引き継がれますが彼の死によって再度ティツィアーノが完成させます。

しかし完成した「カドーレの戦い」は1577年の宮殿火災により他の貴重な芸術作品とともに焼失してしまいました。

 

ティツィアーノの生涯③ 晩 年

1540年にはヴァスト侯爵ダヴァロスから邸宅を、神聖ローマ皇帝カール5世からは年金として銀貨200枚をミラノの国庫より受け取るようになりました。(後年倍増されています)

また故郷のカドーレから穀物貢納の契約によって利益を得ていて故郷でも影響力のある著名人でした。

 

1545年ティツィアーノはローマに向けて旅立ちます。

その途中ペーザロに立ち寄りウルビーノ公グイドバルト・デラ・ロべーレから歓待を受け、旅の前途には護衛までつけてもらっています。

ローマでは「市の鍵賞」を受けており、これはミケランジェロが37年に受賞して以来のことでした。

1550年代以降はフェリペ2世のもとで肖像画家として多くを過ごしています。

1553年代表作《ヴィーナスとアドニス》《ダナエ》を制作。

『ダナエ』

62年には《エウロペの略奪》を描くなど晩年に至ってもその制作意欲は衰えませんでした。

死ぬ寸前まで絵の注文を受け続け、自らの墓もサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の礼拝堂と決めていたそうです。

最晩年は故郷のカドーレでほとんどを過ごし1576年8月27日ペストによって亡くなりました。

 

ヴェネツィアの画家たちはこの大画家の葬儀をフィレンツェでのミケランジェロの大葬儀に匹敵するような盛大なものを計画しましたが当時大流行していたペストのため実行されませんでした。

 

そして亡くなった翌日、ティツィアーノの遺体はひっそりとサンタ・マリア・デイ・フラーリ聖堂に埋葬されました。

ティツィアーノの墓

 

【このほかのティツィアーノに関するおすすめ記事】

・【ヴェネツィア・ルネサンス最大の画家】ティツィアーノの生涯と作風をご紹介します。

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