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【叫び】の画家エドヴァルド・ムンクの生涯と画風をご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回ご紹介するのは19世紀末に活躍したノルウェーの画家エドヴァルト・ムンクです。

もう何と言っても皆さんおなじみの『叫び』で超有名ですね。

モナ・リザと同じくらいテレビや広告で使われ、様々なパロディ・ヴァージョンが作られスマホのアイコンにもなったりするほどなので一度は誰もが目にしたことがあると思います。

いくら著作権が切れていると言ってもそこまでやるか?なんて管理人などは思ってしまいますがそれだけインパクトの強い印象に残る作品だということですね。

ちなみにあの『叫び』の人物が叫んでいると思っている方多くないですか?

管理人が運営する絵画教室の生徒さんにも何人か聞いたのですが、意外や絵を習っているような人でもそう思っている人が結構多いんですね。

実はあれ、突然聞こえてきた『叫び声』にあの人は耳をふさいでいるんです!

 

そんなところも詳しく解説してみたいと思いますが、なぜムンクはあの『叫び』のような不穏な雰囲気漂う作品を描いたのでしょうか?

ムンクの生涯や作品を通してその真実や裏側を見ていきたいと思います。

 

ムンクってどんな人?

エドヴァルト・ムンク Ewvardo MUNCH

1863-1944

19世紀末から20世紀前半に活躍したノルウェーの画家、版画家です。

フランスやドイツでも活躍しました。

代表作『叫び』は世界で最も有名な絵画の一つであり、ノルウェーでは国民的画家となっています。

 

美術史的には《象徴主義》の主要な提唱者であり、同時に強烈な色彩と抽象的な形態、単純化したフォルム(形体)などの表現から《表現主義》の先駆け的画家として位置づけられます。

 

ムンクは、「芸術は呼吸し、感じ、悩み、恋する人々を描くべきである」という信念をもっていて、人間の内面の奥底にある“生”と“死”対する“不安”や“恐怖”、“性愛”といったことを主題に、見る者の感情や本能に訴える作品を描きました。

ムンクは幼くして結核で母と姉を亡くし、自身も生まれつき病弱だったことからその人生には『生きることの不安』と『死への恐怖』が付きまといます。

「私は人間の最も恐ろしい二つの敵―病魔と狂気という、親からの“遺産”を受け継いでいる」と語っているようにその作品には陰鬱な雰囲気が漂っています。

また辛い恋愛体験から「女性」や恋愛に対してもある種の恐怖と憧れと言った複雑な感情を抱くようになり作品には度々性的なイメージが登場します。

ムンクはこうした個人的な「悲しみ」や「苦しみ」の実体験を、普遍的な人間共通の主題へと高めた画家とえいます。

ムンクは若い頃はノルウェーの首都オスロでボヘミアンの仲間に入り、印象主義的な作風でしたが、1889年以降のパリ旅行で象徴主義に触れて変化し、目に見える外光を写し取ることより感情や感覚などの内面を表現することに向かいます。

1892年のベルリンでの最初の展覧会で保守的な美術界から「ただ絵具を擦り付けただけ」「芸術にとって全くなんの役にも立たない」などと抗議と激しい非難を浴びてわずか一週間で閉鎖されますが、皮肉にもこのスキャンダルでムンクの名は広く知られるようになりした。

 

その後ドイツに居を定め「愛」と「死」に対するムンクの個人的なイメージを描いた連作《生命のフリーズ》の制作を展開します。

1908年に過労と暴飲、過剰な精神的ストレスのため精神を病んで入院。数か月の療養を経て病状が回復すると、故国ノルウェーに戻って隠遁生活を送りました。

晩年は公共建築の壁画や労働者の習作に専念しました。

 

しかし皮肉にも精神的な病状が回復したことで、ムンクの作品からは深い内面性は失われてしまいます。暗く沈んだ雰囲気は、愛情が感じられる明るい色彩で描かれ、虚ろな人物の表情は生き生きと描かれるようになりますが《叫び》のように鬼気迫る精神の深い部分に訴えかける傑作が生まれることはなくなりました。

晩年は第2次世界大戦下、ナチスに“退廃芸術”の烙印を押され作品は没収されたうえドイツ占領下の爆撃の影響で体を病み80歳で亡くなりました。

 

 

ムンクの生涯~ざっくりと

ではここでムンクの人生を簡単にご紹介します。

【詳しい生涯】につきましてはこちらの記事をご覧ください⇒【生と死を見つめた画家】エドヴァルド・ムンクの生涯を詳しく解説!


ムンクは1863年ノルウェー南部の村、ロイテン(リョイテン)に生まれました。

一家は翌年クリスチャニア(現在のオスロ)に引っ越します。

 

1868年ムンクが5歳の時母が結核で亡くなり77年には姉のソフィエが同じく結核でこの世を去りました。

 

1881年8月王立美術工芸学校に入学。翌年から前衛的芸術家集団『クリスチャニア・ポエーム』の芸術家たちと交際が始まります。

19歳で人妻であったミリー・タウロウと不倫の恋に落ちる。

1889年奨学金を得てパリに留学。この年の11月に父親が逝去。

1892年ベルリンで開かれた個展が1週間で閉鎖され、国際的に悪名を売る(ベルリンスキャンダル)。

1893年「マドンナ」のモデルとなる女流作家のダグニー・ユールと出会う。

1898年、35歳の時に富豪の娘トゥーラ・ラーシェンと知り合う。

1902年ベルリンの分離派展に連作『生命のフリーズ』を出展する。

6月トゥーラとの結婚話のもつれからピストルが暴発。ムンクは左手中指の先を失います。

1908年神経衰弱のためコペンハーゲンの病院に入院する。

翌年ノルウェーに帰国。

1916年クリスチャニア(現オスロ)大学講堂の壁画を完成させる。

オスロ郊外にアトリエを建てる。

1937年ナチスによって作品が「退廃芸術」とされ没収される。

1944年1月23日、エーケリーの自宅にて死去。享年80歳。

 

 

ムンクの代表作

ここでムンクの代表作を簡単にご紹介します。

詳しい解説付き記事は現在執筆中ですのでしばらくお待ち下さい。


 

『病める子』1885-86年 119.5×118.5㎝ オスロ国立美術館蔵

 

『不安』1894年 94×73年 ムンク美術館蔵

 

『マドンナ』1894~95年 91×70.5㎝オスロ国立美術館蔵

 

『生命のダンス』1899~1900年 125.5×190.5㎝  オスロ国立美術館蔵

 

『思春期』1894~95年 151.5×110㎝ オスロ国立美術館蔵

 

『叫び』 1893年 91×74㎝ オスロ国立美術館蔵

 

『太陽』 1909~11年 452×787㎝ オスロ大学蔵

 

『桟橋の上の女たち』1899年 ノルウェー 国立美術館蔵

 

 

ムンクの画風と技法

19世紀末のヨーロッパ美術界では目に見えるものをキャンバスに描くのではなく、“目に見えない”理念や感情を画家の主観によって視覚化しようとする“象徴主義”を目指す画家たちが登場しました。

ゴーギャンやギュスターヴ・モローなどがその先駆的画家で、彼らは目に見えない世界を表現するために形を抽象化したり、装飾性を強めたり独自の表現法を模索しました。

ギュスターヴ・モローの作品(部分)

ムンクもまた自分の感情や考えを作品に託し表現しようとした点で『象徴主義』と言えます。

同時に強烈な色彩や単純化したフォルム(形体)によって主観的に感じたことを表現する技法は20世紀の『表現主義』の先駆的画家ともいえるのです。

 

このように『表現主義』と『象徴主義』の両方を兼ね備えたムンクの芸術は、19世紀末から20世紀のヨーロッパ絵画運動の橋渡し的な存在ととらえられています。

 

ムンクの作風は、自分の周囲の世界に関する彼自身の主観的な見方から出発しています。

画風としては自然主義的な描写から始まり印象派の影響を受けています。

 

しかし印象派の色彩を使って視覚的に移ろう光を表現するよりも、それが感情に働きかける作用に着目しました。自身の制作について『僕が描くのは、生きている人間、息づき、感じ、悩み、愛する人間でなければならない』と語っています。

《叫び》はフィヨルドの海岸を歩いていた時に見たドラマティックな日没からインスピレーションを得て、水と空を波打つ曲線と強烈な色彩を使ってその時感じた“恐怖”や“不安”の感情を伝えているのです。

ムンクは『自然は手段であって目的ではない。自然を変えることによって何かを獲得できるならば、そうするべきだ』と語っています。

 

フリーズの意味

「フリーズ」とは本来西洋古典建築で使われる用語です。列柱の上に渡した飾り彫刻のある横壁の部分を言います。

 

ムンクは「フリーズは、全体として一つの生命の絵を表現する一連の作品群と考えられる。一連の作品全体を通して、曲がりくねった海岸線が走っている。その向こうには決して動きを止めることのない海があり、木々の下にはあらゆる豊かさ、多様性、歓び、苦しみをもった人生が見られるのだ」と書いています。

「フリーズ」の中核をなすのは女性の性的な力に関するムンクの考え方でした。

ムンクはこれに“無垢”“貪欲な性”“死のイメージ”という3つの段階で描いています。

例えば『マドンナ』のリトグラフでは作品のタイトルと、「女性」の後光によって“無垢”が示され、同時に女性はエクスタシーの瞬間にありエロティックを示し、彼女の恍惚とした表情をムンク自身「死体のほほえみ」と説明しています。

『マドンナ』リトグラフ

 

 

ムンク ~ まとめ

 

いかがでしたか?代表作「叫び」によって誰もが知っている画家エドヴァルド・ムンク。

「叫び」はなぜあれほどインパクトが強く、私たちの気を引くのか?そこには近現代人の誰しもが持つ共通の“苦悩”や“不安”があったからなんですね。

そうしたことを踏まえてもう一度あの『叫び』を見るときっと違う見え方がしてくると思います。

彼はこんな言葉を残しています。「レオナルド・ダ・ヴィンチが人体解剖を学び死体を切り裂いたように、私は魂を切り裂こう」

ムンク芸術とはまさに魂の「叫び」だったのですね。

しかしこうしたいわゆるムンクらしい作品は精神の病の回復とともに影を潜めました。

生や死に対する不安や恐怖から解き放たれ、暗く暗澹とした画風は愛情が感じられる明るい色調の画風へと変化したのです。

それはそれでムンクの人生的には良かったのだと思いますが、芸術家としてはかつてのような鬼気迫る代表作となるような作品を生み出すことはなくなってしまいます。

皮肉な話ですが、芸術家としてはどうだったのでしょうか。

なかなか難しい問題ですね。

 

【ムンクに関するその他のお勧め記事】

【生と死を見つめた画家】エドヴァルド・ムンクの生涯を詳しく解説!

 

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