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【バロックの幕を開けた画家】カラヴァッジョの生涯と作風を解説します!

こんにちは。管理人の河内です。
今回ご紹介するのはイタリア・バロックの巨匠カラヴァッジョです。

バロック美術の巨匠と言えば、スペインのベラスケス、オランダのレンブラント、ベルギーのルーベンスなどこのブログでもすでにご紹介している名だたる巨匠たちが有名ですが、実はこのカラヴァッジョこそはその源泉と言える画家なのです。

 

管理人がまだ学生だったころ、大好きなイタリアに何度も訪れました。

当時はまだユーロが統合されておらずイタリア通過はリラだったのですが、その最高額紙幣の10万リラになんとカラヴァッジョの肖像が使われていました。

イタリアで最高の芸術家と言えばレオナルド・ダ・ヴィンチだろうと思いきや意外だったのでよく覚えています。

当時はカラヴァッジョの作品は知っていても、人物像をあまり知らなかったのですが後で知っていくうちに「こんな人物が紙幣の肖像に使われて大丈夫?」と思ったものです。

ではどうして僕がそう思ったのか?

カラヴァッジョとは一体どのような人物だったのでしょうか?

見ていきたいと思います。

1 カラヴァッジョってどんな人?

本名:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio

 

17世紀前半のイタリアで活躍したバロック美術のパイオニア的画家。

カラヴァッジョとは彼の生まれた村の近く町の名前であり20代の時にその名を自分の名としました。

(レオナルド・ダ・ヴィンチがヴィンチ村出身というのと同じですね。)

カラヴァッジョが活躍した当時は、ルネサンス以来の優雅で理想化された表現が主流でしたが、一方で様式化されマンネリ化していた時代(マニエリズムと言います)でもありました。

そうした時代、カラヴァッジョは理想化を排し、見る者を圧倒する写実描写と、強い明暗のコントラストを巧みに使ったドラマチックな表現によって新たな美術を開花させました。

その斬新な作風は、同時代からすでに多くの追随者を出し、その影響はヨーロッパ中に広がりカラヴァジェスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれる一群の画家を生みました。

フランドルのルーベンス、スペインのベラスケス、オランダのレンブラント、フランスのジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールなどバロック美術を代表する巨匠たちはみな直接、あるいは間接的にカラヴァッジョの影響を受けたといっても過言ではないほどです。

 

しかし反面そのあまりにもリアルで生々しい描写は、ラファエロ以来の事物を理想化して描くという伝統からは逸脱した表現であり「宗教を世俗に引きずりおろす不敬な」「品位を欠く」ものとして反発する声もありました。

そのため磔にされたキリストを描いた作品や溺死体をモデルに聖母マリアを描いた作品などは、依頼主の教会から受け取りを拒否されたほどです。

 

しかしこれだけ偉大な功績を残し、まさに美術の歴史を変えた画家であるにも関わらす、カラヴァッジョは美術史上最も気性が激しく手に負えない乱暴者としても記憶されています。

 

カラヴァッジョは日が暮れると武器をもって子分と犬を連れて通りをうろつき何度となく暴力事件を起こしては警察沙汰を起こしていました。

まさに“ならず者”“ゴロツキ”と言った言葉がぴったりとあてはまる、ある意味最も画家らしくない男でした。

 

1600年代に入るころ、初めての公的な仕事で成功を収めて以来、画家としての名声を得ますが、同時に様々な事件を起こしては告発され投獄されるなどカラヴァッジョの悪名も広まりました。

そしてついには殺人を犯して逃亡の日々を送り、38歳の若さで亡くなってしまいます。

そのため残された作品数は少なく、現在真作とされているのが80点ほどしかありません。

 

その死後は単に醜聞にまみれた画家として見なされ、しばらく忘れ去られますが、20世紀に入ってようやくその画業が再評価されて現在に至っています。

 

 

2 カラヴァッジョの生涯~ざっくりと

ここでは簡単にカラバッジョの生涯をご紹介します。

詳しい生涯についてはこちらの記事をご覧下さい。
【美術史上最大のダークサイダー・カラヴァッジョの生涯を詳しく解説】

カラヴァッジョは1571年イタリア北部ミラノで生まれました。

1576年一家はペストを避けてミラノ近郊のカラヴァッジョに移る。翌年父親が死去。

1584年、12歳でミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノの工房に弟子入りします。

1590年に母親が亡くなりカラヴァッジョは兄弟たちと一家の財産分与を受けそのお金でローマに移住しますが、遺産は早々に尽きてしまい厳しい生活をおくる。

当時ローマはルネサンス以降、歴代教皇たちによって町の改革が行われており、ヨーロッパ各地から仕事を求めて画家や彫刻家、建築家たちが集まってきていました。

その後、カラヴァッジョは芸術の庇護者であった枢機卿のフランチェスコ・デル・モンテの目に留まり、食客として迎えられ作品を制作するようになります。

そして1599年初の公の仕事であるサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂のコンタレッリ礼拝堂に2点の大作を制作する。

この作品によってカラヴァッジョの名が一気に広まり、制作依頼が相次ぎます。

1601年ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のチェラージ礼拝堂に2枚の重要な作品を制作する。

画家として名声を得る一方で、数々の暴力事件を起こし度々逮捕されたり、訴えられたりするようになる。

 

1606年5月28日テニスの掛け試合がもとになり喧嘩を起こし、相手のトンマッゾーニを殺してしまいます。

そしてローマ司法の手が届かないナポリへと逃亡。以来ローマに戻ることはありませんでした。

そこで1年足らずの間に祭壇画の大作を少なくとも3点制作しています。

翌年7月にナポリを出てマルタ島に移ります。

マルタ騎士団のために仕事をし、その見返りに騎士の称号を得る。

しかしここでもいざこざを起こして投獄されます。

その後シチリアに逃れますが、聖ヨハネ騎士団は騎士の名誉をはく奪し団から除名される。

シチリア島で転々としながら祭壇画などを制作しました。

1609年ナポリに戻る。

1610恩赦が得られるとの期待を持って年ローマ近郊の港町ポルト・エルコレに向かいます。しかし残念ながらその望みは叶えられることなく7月18日熱病に侵され亡くなってしまいました。享年40歳。

 

3 カラヴァッジョの作品

ここではカラヴァッジョの代表作をいくつかご紹介します。

詳しい解説付きの記事は改めてアップいたしますのでしばらくお待ちください。

『マグダラのマリアの改悛』

1590年代 106×97㎝ ローマ ドリア=パンフィーリ美術館蔵

 

 

『果物籠を持つ少年』

1593~94年 67×53㎝ ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵

 

『女占い師』

1595年頃 99×133cm ルーブル美術館蔵

 

『バッカス』

1595年 95×84cm ウフィツィ美術館蔵

 

『聖マタイの召命』

1599年頃 ローマ・サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂

 

 

『ホロフェルネスの首を斬るユディト』

1598~99年 144×195cm ローマ・国立絵画館蔵

 

『愛の勝利』

1601~02年 154×110cm ベルリン 国立絵画館蔵

 

『 エマオの晩餐 』

1601年 139×195cm ロンドン・ナショナルギャラリー蔵

 

『キリストの埋葬』

1602~03年 300.5×203cm ローマ・バチカン美術館蔵

 

4 カラヴァッジョの画風と技法

カラヴァッジョ作品の特徴は、何と言ってもその真に迫るリアリズムと、強いスポットライトを当てたような強烈な明暗のコントラストによるドラマチックな表現にあります。

カラヴァッジョは影(oscro)をキアロスクーロ(chiaroscuro)へと昇華したと言われます。

キアロスクーロ自体はそれまでに伝統的に使われてきた《陰影による描法》のことですが、カラヴァッジョは画面の一方に光源を定め、段階的な陰影をつけることで描かれたものを立体的に浮かび上がらせる手法を確立しました。

強く射るような光は人物を照らし出すとともに深く暗い影を落とします。その効果によって人物たちが暗い背景から劇的に浮かび上がってくるのです。

 

カラヴァッジョはミラノからローマへと出てきた当初は、『女占い師』のような明るい風俗画や、個人のパトロンに向けて悩まし気で両性具有的、あるいは同性愛的でエロティックな少年像などを多く描いています。

これらは当時パトロンであったデル・モンテ枢機卿やカラヴァッジョ自身が男色趣味者であったと推測されていましたが、そうした疑いの全くないパトロンたちのためにも描いており、また当時男色は重大な罪であったのですが、カラヴァッジョ自身には一切お咎めがなかったことからそれは単なるうわさ程度に過ぎなかったといも言われています。

 

その後、教会での初めての仕事『サン・ルイージ・ディ・フランチェージ聖堂のコンタレッリ礼拝堂の『聖マタイの召命』『聖マタイの殉教』で成功して以来、宗教画を主に描くようになりました。

 

伝記作家ピエトロ・ベッローリは「カラヴァッジョは絵画の技を前進させた。なぜなら彼が登場したのはリアリズムにまだなじみがなく、人物がしきたり通りに描かれ真実よりも優美さが好まれる時代だったからからだ」と書いています。

この時代はマニエリズムと呼ばれる優美だが、様式化され型にはまった、空虚な描き方が主流だったので、現実に即した表現はとても衝撃的でした。

 

カラヴァッジョは友人や実際に目にした人々をモデルに、天性の鋭い観察眼をもって存在感ある人物を理想化することなくありのままに描いたのです。

しかし反対にこうしたリアリズムは、ルネサンス以来の芸術は高尚なものであるという旧来の立場からは卑俗にして粗野、品位や優雅さに欠けるとして非難されることにもなりました。

 

5 カラヴァッジョまとめ

如何でしたか?バロック美術の先駆的存在でありながら無類の無頼漢であったカラヴァッジョその激しい気性はそのまま作品にも表れていますね。

いわゆる社会からはみ出た存在、アウトローである画家は数えきれないほどいますが(というよりはむしろそんな人ばかり)さすがに殺人まで犯して逃亡生活の果てに客死した画家はカラヴァッジョ以外聞いたことがありません。

しかし彼の活躍した短い期間と少ない作品数でこれほど大きな影響を残して多くの追随者を生みバロック美術という新しい美術を切り拓いたのは紛れもない事実でありその功績はやっぱり偉大ですね。

 

カラヴァッジョについては2007年にイタリアで制作されたテレビ番組が『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』というタイトルで映画化もされていますので興味を持たれた方は是非ご覧になってはいかがでしょうか?

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【美術史上最大のダークサイダー・カラヴァッジョの生涯を詳しく解説】

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