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『優美なる聖母の画家』ラファエロの生涯と代表作をご紹介します。

こんにちは。管理人の河内です。

今回は、イタリアの盛期ルネサンス三大巨匠の最後を飾る画家、ラファエロ・サンツィオをご紹介します。

ルネサンス3大巨匠とは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとこのラファエロの3人の天才たちを指します。

今回ご紹介するラファエロは、簡単に言うと一番最後に登場し、良いとこ取りをした芸術家です。(レオナルドはラファエロより31歳、ミケランジェロは7歳年長でした。)

そういうと少し聞こえが悪いかもしれませんが、他の二人があまりにもアクが強すぎたという事もあり、とてもバランスの取れた理想的な画家で、彼らのいいところを吸収して統合、洗練させ「ルネサンス芸術を完成させた」画家ということができます。

そのためラファエロの画風は長きにわたって後の西洋美術の規範(手本)とされたほどの画家なのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロにつきましては、以前の記事で取り上げておりますのでそちらも是非参照してみて下さい。)

そんなラファエロとはいったいどのような人物だったのでしょうか?見ていきましょう。

目次

ラファエロってどんな人?

本名、ラファエロ・サンツィオ Raffaello Santio

1483年生~1520年没

イタリア盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。

レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど偉大な先輩たちが生み出した様式や技法を吸収し、完全に自分のものとして完成させ、ルネサンスの集大成を確立しました。

ラファエロは、3人の中でも最も後に生まれましたが、最も若くして亡くなっています。

 

その繊細にして優美なデッサン、美しい色調、調和のとれた構図など、完成された理想的な表現様式は、長らく後の西洋美術の歴史における規範つまりお手本となりました。

ラファエロは、生来優しく大人しい性格で、美男子であり優雅な見のこなしで魅力溢れる人物でした。美術家列伝を書いた芸術家であり伝記作家のジョルジュ・ヴァザーリは、ラファエロについて「思いやりが深くいつも取り巻きを従えており、画家というよりは王侯にふさわしい」といっています。

 

幼い頃より身につけた宮廷での流儀や洗練された物腰で、正にルネサンス理念の体現者でありルネサンスの「貴公子」として、多くの有力なパトロンたちの心を掴みました。

女性にも非常に人気があってモテたらしく、また「美しい女性を描くためには、実際に多くの女性を見る必要がある」という言葉を残していることから彼も女好きで浮気性だったようで、それがもとで悪い病気に罹って早死にしたという説もあるほどです。

一度は婚約をしていましたが、結婚する前に新婦となる女性が亡くなったため結婚はできずその後も生涯独身でした。

ラファエロは37歳という若さで亡くなりますが、20代半ばでローマ教皇ユリウス二世にローマに招聘されてから、二代の教皇に仕え、大規模な工房を擁してヴァチカン宮殿内の装飾をはじめ、膨大な数の作品を残し生前から尊敬され高い評価を得ていました。

またラファエロは生涯で50点ほども聖母子像を描いており、その優雅で繊細な表現から『優美なる聖母の画家』ともいわれています。

それまでは聖母子といえば神の親子ですから神々しくて威厳があり、近寄りがたい印象の絵が多かったのですが、ラファエロの描く聖母子像は、柔和で優しい印象を受け、理想化はされていますが親しみやすい印象が特徴と言えます。

ラファエロの生涯~ざっくりと

1483年、イタリア中部の都市ウルビーノに生まれました。

当時ウルビーノは小国でしたが、君主のウルビーノ公の庇護のもと大変文化的に発展した都市でした。

父のジョヴァンニ・サンツィオは、詩人であり画家でウルビーノの優雅な宮廷で仕事をしていました。

その姿を見て少年ラファエロは絵に興味を持ち、画家を目指します。

ウルビーノ公の宮廷は、当時の芸術文化の中心地でありラファエロは幼い頃より宮廷に出入りし、宮廷文化に触れ優雅な物腰や社交的振る舞いを身に着けます。

母のマジア・チアラについてはほとんどしられていませんが1491年ラファエロが8歳のときには亡くなり94年には父も世を去ります。

ラファエロはわずか11歳で孤児となり以降6年間は記録がなく詳しいことは分かっていません。

1500年5月までには故郷ウルビーノを離れてペルージャに行き、ピエトロ・ヴァヌッチ(通称ペルジーノ)の工房に入ったと考えられています。

そこでラファエロは弟子として助手として腕を磨いた後、1501年には独立。

シエナやウルビーノ近郊の町で仕事をしています。

 

その後、ラファエロは画家として更なる進歩を目指して1504年、21歳の時にルネサンスの中心地フィレンツェへ出ます。

当時すでにレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが天才として名を馳せフィレンツェで活躍していました。

ラファエロはこの地で、過去の巨匠から様々なものを吸収します。

特にレオナルドに触発され、後にラファエロの代名詞ともなる「聖母子像」のテーマに取り組み始めるなどレオナルドから大きな影響を受けます。

フィレンツェ時代は、こうした聖母子像や肖像画の依頼をこなしました。

1507年、教皇ユリウス二世から彼のスタンツァと呼ばれる居室を飾る仕事を依頼されローマへと移ります。

これがラファエロにとって大画家への大きな転機となりました。

そこでまだ20代半ばのラファエロが、その装飾事業の全権を任されます。

1508年から3年にわたり教皇の居室の壁画などを見事に制作し、ラファエロの名は一気に高まります。

1511年、裕福な銀行家で教皇の参謀役でもあったアゴスティーノ・キージの邸宅を飾るための大きな仕事を委嘱され代表作『ガラティアの勝利』を制作。

この壁画の成功により、次々とキージからの制作依頼を受けルようになります。

同年、ユリウス二世の二番目の居室「スタンツァ・デリオドーロ」(ヘリオドロスの間)の装飾に着手。

その二年後教皇ユリウス二世が逝去してラファエロは強力なパトロンを失いますが、続く新教皇レオ10世もまたラファエロの才能に惚れ込み、彼の成功は陰るどころかさらに高まることになります。

1514年にはラファエロの成功は頂点に達します。

友人であり同郷人の天才建築家ブラマンテの後を継いで、教皇庁の建築家に任じられ、サン・ピエトロ大聖堂造営の総指揮に任命されます。

その後、ローマの古代遺跡発掘監督官などにも任命され、平行してヴァチカン宮殿の第3の部屋「スタンツァ・デル・インチェンディオ」(火災の間)の装飾を手がけたりと、この時期ラファエロは多忙を極めます。

そのため、絵画制作ではデザインだけをラファエロが行い、仕上げを助手に任せることが多くなり、作品の質が下がったと批判を浴びることもありました。

そうした中、1517年枢機卿ジュリオ・デ・メディチから、フランスのナルボンヌ大聖堂のための祭壇画「キリストの変容」を依頼されます。

そしてこれがラファエロ最後の作品となりますが、この作品の素晴らしい出来栄えにより、改めてラファエロが当時最高の画家であることを人々に認めさせました。

1520年春、ラファエロは病に倒れ、彼の誕生日である4月6日に37歳で亡くなりました。

ラファエロの生涯についてはこちらも合わせてご覧下さい。

・「ルネサンスの貴公子」ラファエロの生涯を詳しくご紹介します。

 

ラファエロ 代表作

ここでは簡単にラファエロの代表作をご紹介します。

詳しい解説付きの記事はこちらをご覧ください⇨【西洋美術のお手本!】ラファエロの代表作を詳しく解説します!

「マリアの結婚」

1504年 170×117㎝  ミラノ ブレラ美術館蔵

 

「アーニョロ・ドーニの肖像」  「マッダレーナ・ドーニの肖像」

1506年 63×45㎝ ピッティ美術館蔵

 

「大公の聖母」

1504年 84×55㎝ ピッティ美術館蔵

 

「美しき女庭師」

1507年 122×80㎝  ルーブル美術館蔵

 

「バルダッサール・カスティリオーネの肖像」

1514~15年 82×67㎝ ルーブル美術館蔵

 

「椅子の聖母」

1514年 ピッティ美術館蔵

 

「ひわの聖母」

1507年  107×77㎝ フィレンツェ ウフィッツィ美術館蔵

 

「アテネ(アテナイ)の学堂」

1509~10年 底辺770㎝ ヴァチカン宮殿

 

「ガラティアの勝利」

1511年 294.5×225㎝ ローマ・ヴィラ・ファルネージ

 

ラフェアエロの画風と技法

ラファエロの画風の特徴は何と言っても完成された調和と繊細で優美な表現にあります。

弟子時代に師匠のペルジーノから、優美で甘美的な人物表現や均整の取れた空間構成を受け継ぎます。

独立後は、フィレンツェに出てレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといったルネサンス最高の芸術家を生で見てその技術を吸収し自分のものとしました。

特にレオナルドからは、直接画面構成やスフマート(ぼかし技法)に加え、人物の感情や内面を、そのしぐさや表情で表現する手法を学び、後の壮大な壁画で多くの人物画を見事に描き分けています。

ミケランジェロからは、人体の肉体美やダイナミックな動きを倣います。

その他ヴェネツィアではヴェネツィア派の画家から光と影の効果と鮮やかな色彩を、そして北方フランドル美術からは緻密な表現を学びそのすべてを自分のものとして消化し理想的なルネサンス様式の集大成を成したのです。

ラファエロまとめ

いかがでしたか?「ルネサンスの貴公子」ラファエロについて見てきました。

幼くして孤児となったラファエロですが、師匠のペルジーノをはじめ次々と先輩や名だたる画家のスタイルや技術を吸収し統合させた、まさにルネサンスの集大成を体現した画家と言えますね。

ルネサンス三大巨匠の中でも個性が強すぎるレオナルドやミケランジェロと違い、社交的でバランス感覚に優れ、あまりにも短い生涯の中で多くのパトロンや弟子たちに囲まれて大仕事を為しとげました。ラファエロが完成させた様式美は、その後数百年に渡って西洋美術の規範となり古典となったという歴史的意味からみると、最も重要な画家と言えますね。

 

【ラファエロに関するその他のお勧め記事】

・「盛期ルネサンスの貴公子」ラファエロの生涯を詳しくご紹介します。

・『西洋美術の規範』ラファエロの代表作を解説付きで紹介します。

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