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【新古典主義の巨匠】ドミニク・アングルの生涯を詳しくご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回は『新古典主義』の巨匠ドミニク=アングルの生涯を詳しくご紹介してみたいと思います。

アングルが活躍したのは19世紀前半。86歳という長寿を全うしましたが、アングルが生まれる前年にフランス革命が起こり、その後のナポレオンによる帝政と2度の革命などまさに動乱の時代でした。

 

そのような時代、アングルはどのようにしてフランス美術界のリーダーになっていったのでしょうか?見ていきたいと思います。

アングルの生涯① 出生~青年時代

ジャン=オーギュスト=ドミニック=アングルは1780年8月29日、南フランスのモント―バンに生まれました。

父親のジャン=マリー=ジョセフ・アングルは画家で化粧漆喰職人、彫刻家、建築家という多彩な人物でした。

 

1791年11歳の時、父親は息子の芸術的才能を見てトゥールーズの美術学校に通わせます。

そこで少年アングルは画家ジョセフ=ロック、彫刻家ジャン=ピエール・ビガン、風景画家ジャン・ブリアンに師事し、昔の巨匠の模写や、生きたモデルを写生するなど当時行われていたごく一般的な美術教育を受けました。

 

またアングルは音楽の才能もあり、この頃トゥールーズで行われたオペラでオーケストラの一員としてヴァイオリンを演奏したりもしています。

 

1797年アングルはパリに出て新古典主義の代表的画家ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入りました。

ダヴィッドのアトリエは、かつての城砦で会ったルーブル宮殿の中にありました。

フランス革命時代と続くナポレオン1世の帝政時代を通してフランスだけでなく全ヨーロッパでも屈指の美術教育の場でした。

ダヴィッドと言えば、この「ナポレオン」を描いた人で有名ですね。『かっこいい』ナポレオンのイメージはダヴィッドによって作られたと言っても過言ではありません。

ほどなくアングルの仕事ぶりを見て、ダヴィッドはアングルの才能に目をつけ肖像画の助手とするようになります。

 

1799年エコール・デ・ボザールに入学。

1801年アングルはローマ賞に応募し『アキレスの陣営を訪れるアガメムノンの使者たち』で見事ローマ賞を受賞しました。

この賞を受賞した者は、国費で本場イタリアに留学できるというものでしたが、ナポレオン戦争のためアングルの留学は5年も待たされることになりました。

その間『皇帝の座につくナポレオン1世』やリヴィエール家の人々の肖像画を描きますが、批評家たちからは酷評を受けています。

 

 

アングルの生涯② 第一回イタリア時代

そして1806年10月アングルはようやくローマへと旅立ちフランスアカデミーに入学します。

アングルはローマ滞在中奨学生として画業を証明するためにパリのアカデミーに定期的に作品を送っていました。

しかしその評価は酷く、そのせいもあってか2年の留学期間が終わってもアングルはパリに戻らず自身でヴィア・グレゴリアーナにえアトリエを借りてローマに住み続けました。

 

ローマではミケランジェロなどルネサンスの巨匠たちから多くを学びますが、アングルはとりわけラファエロに心酔します。

その後もローマから『アンジェリカを救うルッジェーロ』(↓)をサロンに送りますが良い評価は得られませんでした。

 

1813年に手紙で知り合ったばかりのマドレーヌ・シャルペと結婚。1815年夫婦は最初の子どもを死産し、その後ふたりは子どもに恵まれませんでした。

この年ナポレオンが失脚。皇帝一家はアングルにとって重要な注文主だったので生活は苦しくなります。

アングルは生活のためにローマを訪れる旅行者の肖像画や小さな風景画を描いてなんとか生計を立てなければならなくなりました。

しかし1820年にはフランス人がローマに来なくなってしまったことで収入減が途絶え、どん底の生活を余儀なくされました。

そのころパリではブルボン王朝が復活し、国から注文が増える見通しがあったのですがアングルはフランスには戻らずにローマからフィレンツェへと移りました。

しかしここでも思ったように絵の注文は得られません。のちに妻がこの時のことを次のように語っています。『信じられないでしょうが、フィレンツェでは家にひとかけらのパンもないことが度々あり、パン屋もつけでは売ってくれなくなりました』

 

しかし、故郷の友人ジャン=フランソワ=ジリベールとフランス大使コント・ドゥ・ブラカスの口利きで、フランス内務省から注文を受けることが出来、このことが成功へのきっかけとなります。

さらにモント―バンの大聖堂を飾る祭壇画『ルイ13世の請願』(↓)が24年のサロンに出品され、パリに戻るきっかけになりました。

アングルの生涯③ 帰郷と成功~劇的変化

1824年アングルはようやくフィレンツェを去りパリへと戻ります。

 

『ルイ13世の請願』をパリの批評家たちはラファエロの後継者と称え、アングルをジェリコーやドラクロワなどパリで新しく台頭してきた潮流である「ロマン派」に対する対抗者、すなわちダヴィッドの跡を継ぐ「新古典主義」の後継者と見なしたのです。

 

1825年アングルはパリで美術学校を開設します。

ここではかつてダヴィッドから受けたのと同じように教え制作し、パリで最も大きく影響力のある教育機関となりました。

さらに1829年には芸術アカデミーの教授に抜擢され33年には副校長、34年には校長に就任します。

さらにフランス王シャルル10世がサロン閉幕後、アングルにレジオン・ドヌール勲章を与えます。アングルはこの叙勲を生涯でもっとも幸福な日と記しています。

 

このようにアングルはイタリア滞在時では考えられないような出世を遂げ、急速に富と名声を獲得していきました。

しかしこうした出世にともない皮肉にもアングルの芸術家としての自由と独立性は制限され、教育や雑事に多忙となりこの時期の作品数は減少しました。

 

1830年7月革命が勃発。パリでシャルル10世の専制政治に抗議して3日間に及ぶ市街戦が起こります。アングルはルーブル美術館の作品が破壊や略奪を受けないよう保護に当たりました。

アングルはブルボン王家から多くの制作注文を受けてはいましたが、この王政の終焉は歓迎していたようです。

1833年『ルイ=フランソワ・ベルタンの肖像』を制作。サロンで好評を博し、翌年エコール・デ・ボザール(国立美術学校)の校長に就任しました。

この1830年代前半にアングルのキャリアは頂点に達し、実質フランス美術界のリーダーとして君臨することになります。

しかしそのことで世間は彼の芸術性よりも人物を話題にするようになり、”ロマン主義”と”新古典主義”の芸術的な論争は政治化され、イデオロギーや政治権力の問題と同一視されるようになっていきました。

アングルはフランス芸術のリーダーであると同時にブルボン王家の肖像画を多く描いていたため君主制の支持者であるなどと政治的論争に巻き込まれて行ったのです。

こうした状況に嫌気がさしたアングルは、一時ノルマンディーに退き、再びパリに戻った1835年以降はサロンへの出品を辞め、二度と公人にならないと宣言しました。

 

アングルの生涯④ 二度目のイタリアへ

1834年『聖サンフォリアンの殉教』がサロンで不評を買ったことに憤慨して、アングルはこれ以後サロンへの出品をしない決意をしました。

そして35年にかけてアングルはパリを出て再びイタリアへと向かいます。

そしてローマでかつて自らが留学生として学んだフランスアカデミーの院長職に応募し、院長となりました。

アカデミーではフランスから送られてくる若い芸術家たちを熱心に指導し、考古学クラスを開設したりヴァチカン所蔵のラファエロの作品をエコール・デ・ボザールのために模写をしたりと後進の教育に尽力します。

またアングル自身パリではできなかった独自の芸術スタイルの追及をすることが出来、制作に打ち込みました。

1837年『奴隷のいるオダリスク』『アンティオコスとストラトニケ』を制作。

 

アングルの生涯⑤ 晩 年

1841年、61歳になっていたアングルは、ローマのフランスアカデミーで6年間の院長職を終えてフランスに帰国します。

その時もパリの人々は巨匠の帰還を熱狂的に迎えました。

 

1846年急速に進歩する写真技術に対して、画家が職を奪われるとして政府に告発します。

1848年2月革命によって王政が廃止され、ナポレオン1世の甥であるルイ=ナポレオンが第2共和政の大統領に就任。

1849年妻のマドレーヌが死去。

 

1850年エコール・デ・ボザール総長に就任し、生涯にわたって年棒が保証されました。

翌年ルイ=ナポレオンが自ら皇帝ナポレオン3世に即位し第二帝政が始まります。

1852年4月15日71歳で、ほぼ30歳も若いデルフィーヌ・ラメルと再婚。

1855年パリ万国博で大回顧展が開かれ69点の作品が展示される。

 

1862年ナポレオン三世はアングルを上院議員に任命します。

1863年これまでの集大成的作品な作品である『トルコ風呂』を制作。

 

1867年1月14日パリの自宅で死去。享年86歳。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。

 

【アングルに関するその他のお勧め記事】

・『新古典主義の巨匠』ドミニク・アングルの作品と生涯をご紹介します!

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