皆さんこんにちは。管理人の河内です。
今回は17世紀のスペインバロックの巨匠、ディエゴ・ベラスケスを取り上げます。
ベラスケスは、ネーデルランドと呼ばれた現在のオランダで活躍したルーベンス、レンブラントと並ぶバロック三大巨匠の一人です。
バロックというと、背景が真っ黒で、聖書の場面や貴族や王様の肖像画が、スポットライトを当てられたように明暗がバッチリついたリアルな絵を思い浮かべて頂ければお分かりかと思います。こんな感じ(↓)
いわゆる重い西洋油絵の典型のような作風ですが、その時代様式のスリートップがこの3人です。
ルーベンスはあの有名なアニメ「フランダーズの犬」で、主人公の少年ネロが死ぬ間際に見た教会の祭壇画を描いた画家、と言えばお分かりの方も多いと思います。
レンブラントは「光と影の魔術師」と呼ばれた巨匠(代表作「夜警」↓)
そしてベラスケスは、印象派の先駆者エドゥアール・マネが「画家の中の画家」と呼んだほどの巨匠です。
王女のマルゲリータを幼いころから数度にわたって描いた愛らしい絵が有名ですのでご存知の方も多いかもしれません。
そんなベラスケスとは一体どんな人物でどのような生涯を送ったのでしょうか?
詳しく見ていきたいと思います。
目次
ベラスケスってどんな人?
本名:ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez)
1599年生~1660年没
17世紀のスペイン、バロック黄金期に活躍した宮廷画家です。
当時スペインで最も反映していた都市セビリアで生まれた彼は、パチェーコという後期マニエリスム(ルネサンスに続く美術様式)の画家の元で修業を積み、技術だけでなく様々な教養を身に着け、その師匠パチェーコの娘と結婚しました。
初期のこのころは宗教画や「ボデゴン」と呼ばれる特に厨房を主題にした風俗画などを多く手掛けていました。
その後首都のマドリードへ出ると、若くして時の国王フェリペ4世の信頼を勝ち取り、宮廷画家となります。
国王一家をはじめ、王宮の人々の肖像画を多く手掛け、王女のマルガリータは、その幼少期から成人するまで数度にわたって描いていて特に有名です。
その一つが、ベラスケス晩年の代表作「ラス・メニ―ナス(女官たち)」(↓)です。この作品は、かの「モナリザ」に並ぶ西洋美術の最高傑作のひとつとも言われています。
その他にも歴史画や宗教画なども残しています。
ベラスケスは典型的な宮廷画家で、二度のイタリア滞在以外は生涯のほとんどを王宮で過ごし、その住人を描いたために、彼の作品は半数以上がスペインの首都マドリードのプラド美術館所蔵になっています。(プラド美術館は、スペイン王室の収集品を中心に、1819年首都マドリードに開館した美の殿堂。絵画作品だけではルーブル美術館をも凌ぐ)
オランダの外交官としてスペインを訪れたもう一人のバロックの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスとも親交を結び彼の作品からも影響を受けました。
ベラスケスは温和で誠実な性格であったことから国王の信頼は厚く、画家としてだけではなく、衣装係や王への取次ぎ、警備や工事監督など様々な役職を歴任し、宮廷役人として大きな出世を遂げます。晩年には特別待遇でサンチアーゴ騎士団の称号を叙せられました。
しかし晩年になるほどこうした廷臣としての仕事が増えたため、総作品数は120点ほどと巨匠としては寡作な画家といえます。
ベラスケスの生涯~ざっくりと
1599年、スペイン南部の都市セビリアに生まれる。
11歳ごろに当地の画家で後期マニエリスムの画家フランシスコ・パチェーコに弟子入りし修行を始めます。
1617年、18歳で独立。翌年師匠パチェーコの娘ファナと結婚。
1622年、首都マドリードに旅行。
翌年24歳のとき、2度目にマドリードを訪れた際、同郷で宰相になっていたオリバレス伯ガスパール・デ・グスマンの紹介で、時の国王フェリペ4世の肖像画を描く。
以来、国王に気に入られて宮廷画家となり、30数年に渡って国王、王女等宮廷の人々の肖像画などを描くようになります。
フェリペ4世は政治家としては無能でしたが、美術愛好家であり、ベラスケスのアトリエに出入りするなど個人的に親しく接しました。
1628年、スペイン領であったネーデルランド(オランダ)総督から外交官として派遣されて来たもう一人のバロックの巨匠ルーベンスと親交を結びます。ベラスケスはこのルーベンスから色彩や装飾について影響を受けます。
1629年イタリアに修行に出る。
ヴェネツィア、フェッラーラ、ローマなどに滞在しイタリア絵画に触れます。
1631年スペイン帰国。
1634~35年新しく建設されたブエン・レティ―ロ離宮の「諸王国の間」に飾る絵の制作を依頼され代表作「ブレダの開城」を制作します。
1648年2度目のイタリア旅行に出る。(~1651年)
イタリアでは、国王の代理人として絵画、彫刻などの美術品の収集を行う。
「鏡のヴィーナス」「教皇イノケンティウス10世」などを制作する。
1652年、イタリアから帰国後王宮の鍵をすべて預かる王宮配室長という重職につくなど役人としても出世します。
1656年「ラス・メニ―ナス」を制作。
1659年「マルガリータ王女」(絶筆)など大作を手掛ける。
1660年、国王フェリペの娘マリー・テレーズ・ドートリッシュとフランス国王ルイ14世の婚儀の準備を取り仕切ります。
同年8月6日死去、享年61歳でした。
こちらの記事も合わせてご覧ください。
【スペイン・バロックの巨匠ベラスケスの生涯を詳しくご紹介します】
ベラスケスの代表作
ここではベラスケスの代表作をご紹介いたします。
詳しい解説かこちらをご覧ください。【迫真のリアリズム!ディエゴ・ベラスケスの代表作を解説します!】
「マルタとマリアの家のキリスト」
1618年 60×103.5㎝ ロンドン・ナショナルギャラリー蔵
「無原罪の御宿り」
1619年 135×102㎝ ロンドン ナショナルギャラリー蔵
バッカスの勝利(酔払いたち)
1628~29年 165×225㎝ プラド美術館蔵
「十字架上のキリスト」
1631~32年 248×169㎝ プラド美術館蔵
「ブレダの開城」
1634~35年 307×367㎝
「教皇イノケンティウス十世」
1650年 140×120cm ローマ ドーリア・ハンフィーリ美術館蔵
「鏡を見るヴィーナス」
1649~51年 122.5×177.0cm ロンドン ナショナルギャラリー蔵
宮廷の侍女たち(ラス・メニ―ナス)
1656年 318×276㎝ プラド美術館蔵
ベラスケスの作風と技法
初期のころは、ボデゴン(当時流行っていた厨房の様子や食材などを描いた風俗画)など日常的で身近な主題や、宗教画を主に描いていましたが、宮廷画家となってからは専ら王族や宮廷人らの肖像画を描き、一方で歴史画、風景画も手掛けています。
ベラスケスの画風の特徴としては、きわめて知的で客観的な立場から対象の本質に迫ったことが挙げられます。
対象をありのままに描写すること、つまり対象の個性、生命感とそれを取り囲む空間までも描き出しました。
初期の画風はカラバッジョ風の強い明暗法と自然主義的リアリズムから出発しましたが、宮廷画家となって王室の所有する膨大なヴェネツィア派の絵画やフランドルなど北方の影響、外交官として親交のあったルーベンスの影響、そして2度のイタリア滞在で、色彩は明るくなり、透明感を持ったみずみずしさを生み出し、筆致は軽妙になっていきます。
離れて見ると、実に写実的で真に迫るリアリティがあり、細部まで事細かに描かれているような印象を受けますが、近くで見ると実は大胆で荒々しく素早いタッチで描かれていることが分かります。
その軽妙なタッチで動きの一瞬をとらえた人物像は、正に今ここに実在するかのような存在感を与え、こうした技法は後のロマン主義のドラクロワや、印象派に大きな影響を与えました。印象派の先駆者であるエドワール・マネは、ベラスケスを「画家の中の画家」とさえ呼ぶように高く評価しました。
ベラスケス まとめ
宮廷画家ベラスケスについて見てきましたがいかがでしたか?
若くして宮廷画家となったベラスケスは、そのおかげでいわゆる顧客やパトロンの獲得に悩まされることなく(つまりお金に困ることなく)画家として恵まれた環境で人生を送ったわけですが、かたや国王の信頼が厚すぎたために廷臣として忙殺されていたこともうかがえてちょっと気の毒な面もありました。
また王宮で限られた人たちだけを描き続け、味気ないかと思いきや、そこに眠る歴史的な名画に囲まれてそこから多くを学び、イタリアでは国王の名代として数々の彫刻や名画の買い付けを任されるなど、芸術的刺激を受け続けられたことは羨まし限りです。
そんな宮廷画家ベラスケス、2世紀もの時を超え、19世紀にマネが「画家の中の画家」と称賛し、21世紀の現代になっても色褪せないベラスケスはやはり西洋美術の屈指の巨匠ですね。
ベラスケスの作品の多くはプラド美術館所蔵となっていて、日本ではあまり実物を見られる機会がありませんが、なんと今年(2018年)東京国立西洋美術館と兵庫県立美術館で見られるそうです「プラド美術館展・ベラスケスと絵画の栄光」是非皆さんもベラスケスの実物を見に足を運んでみて下さい。
【ベラスケスに関するその他のお勧め記事】
・スペイン・バロックの巨匠ベラスケスの生涯を詳しくご紹介します。
・迫真のリアリズム!ディエゴ・ベラスケスの代表作を解説します!
この記事へのコメントはありません。