こんにちは。管理人の河内です。
今回は『光と影の魔術師』レンブラントの代表作紹介の後半です。
レンブラントの作風は、1640年代前半辺りを境に大きな転換を見せ、より深い境地へと入っていきます。
画家として技術的にも絶頂を迎えたこの時期以降、流行にとらわれず自らの芸術性を追求したところから真のレンブラントの世界が深まっていきます。
目次
レンブラントの代表作⑩ 『夜警』
1642年 359×437㎝ アムステルダム国立美術館蔵
レンブラント作品の中で最も有名な作品です。
『夜警』という名称で有名ですが、もともとはこの作品にタイトルはなく、18世紀末から「夜警」と呼ばれるようになりました。本来は特にタイトルはなく、単に発注主である『バニング・コック隊長の自警団』であり、そもそも夜の警備ではなく昼間の出動前を描いたものだったのです。
中央に光を浴びるのはフランス・バニング・コック隊長と副官のウィレム・ファン・ロイテンブルク(黄金の服に儀式用の槍を持っている)。
隊長の命令のもと今まさに出動しようとする活気溢れる場面です。
あるものは武器を、またあるものは楽器を持ち、画面全体が躍動しています。しかしこうなると自然と主役と脇役に分かれてしまうため、脇役にされた側からクレームがついたそうです。当時こうした『集団肖像画』は皆均等に画家に画料を支払っていたので当然ですよね。
また中央から左の奥で光に照らされて、自警団にいるはずのない女性が一人いるのが目を引きます。モデルは妻のサスキアだとされていますが、この作品が描かれた年にサスキアが亡くなっているので、レンブラントが彼女を悼んで描き加えたとする説もあります。
この絵は1715年までアムステルダムのクロフェニールスドゥーレン(マスケット銃兵会館)にありその後市庁舎に移されました。
このような自警団は、そもそもスペイン帝国からの独立を勝ち取った当時、自国を守るためにオランダ諸都市で生まれたものでしたが、レンブラントの時代には儀式的なものとなっていたようです。
レンブラントの代表作⑪ 『バテシバ』
1654年142×142㎝ ルーブル美術館蔵
この絵のモデルはおそらくレンブラントの愛人であったヘンドリッキエ・ストッフェルスだろうと言われています。
バテシバとは旧約聖書に登場するダヴィデ王の軍隊の兵士ウリアの妻でした。彼女の美しさに魅せられたダヴィデ王は、彼女を強引に愛人にしてしまいます。そして彼女が妊娠すると邪魔な夫をわざと最前線に送って戦死させてしまったのです。
このレンブラントの作品では、水浴するバテシバが、王から呼び出しの手紙を受け取った場面が描かれていますが実際には聖書にはない場面です。
手紙を読み終えた後、王への期待と夫に対する裏切りの苦悩が入り混じった、困惑したバテシバの表情が印象的です。
レンブラントの代表作⑫ 『水浴の女』
1655年 61.5×47㎝ ロンドンナショナルギャラリー蔵
1650年代のレンブラントは、その主題と技法の両面で“近代性”によって目を引く傑作を多く描いています。
現代ではなんの違和感もなく見える水浴する女性の絵ですが、当時は聖書や神話に題材を得て描かれることが当然の時代だったため、こうした「無主題」の絵画はとても先駆的でした。
また衣服の皺や手の表現などは素早く大胆な筆触で一気に描き上げられたかのようであり、背景は下地の褐色が作る偶然現れた絵の具のムラを利用して岩場のような雰囲気を作り出しています。こうした表現は当時としてはあまりにも大胆であり、絵具の厚み(マチエール)を生かした画肌の利用も含め、絵画の歴史を100年も200年も先取りしたような作品です。
この作品のモデルもヘンドリッキエと考えられています。
レンブラントの代表作⑬ 『十回戒の石板を割るモーセ』
1659年 168.5×136.5㎝ 西ベルリン国立絵画館蔵
日本人にはあまりなじみのない『旧約聖書』でも、このモーゼはご存知の方も多いと思います。
エジプトで奴隷にされていたユダヤの民を率いた預言者で、『十戒』という映画も作られていますね。
モーゼたちはエジプトを脱出し、約束の地を目指して長い旅に出るのですが、その途中シナイ山に登ったモーセは神から戒律の記された石板を授かります。
石板には10の戒律が書かれてあり、その一つに「偶像崇拝の禁止」がありました。
しかし兄アロンと同胞たちは、彼がいない間に黄金の子牛の像を作って拝んでいたのです。山から下りてきたモーセはこの光景を見て怒り石板を砕き割ってしまいます(出エジプト記三十二章)。
このレンブラントの絵では、石板を大きく掲げたモーセだけがクローズアップして描かれており、黄金の子牛像や踊り狂う民衆などが描かれていないため、かつてはモーゼが民衆に十戒を見せているところだとする説が唱えられていましたが、他の版画や聖書の挿絵などと比較検討された末、現在では石板を割る場面と認定されています。
レンブラントの代表作⑭ 『織物業者組合理事たち』
1662年 191.5×279㎝ アムステルダム国立美術館蔵
17世紀当時、アムステルダムの重要な産業であった織物の品質を検査する見本監督官を描いた集団肖像画です。
こうした集団肖像画はオランダ特有のジャンルとして知られ《夜警》のような市民隊やこの絵のような同業者組合のお偉方たちが頻繁に依頼しました。
この作品では理事たちが会議中、突然誰かが来訪し、こちらを見上げた瞬間をとらえたような構図で描かれています。
ここでもレンブラントは旧来の記念撮影的な集団肖像画ではなく一つのドラマの一瞬として捉えています。
つまり鑑賞者が来客あるいは遅れて来た仲間のように感じさせているのですが、こうした手法は同時代の画家フランス・ハルス(↓)が考案した手法です。
右上には画中画としてうっすらと燭台が描かれていて、これは「良き導き手」として監査官の意義を暗示していると考えられています。
レンブラントの代表作⑮ 『ユダヤの花嫁』
1665年ごろ121.5×166.5㎝ アムステルダム国立美術館蔵
花嫁を優しく抱くように肩に手をまわし胸に掛かる愛情のしるしの金の鎖をそっと抑える男。その手にそっと手を触れる花嫁。
お互いの視線は合っていませんが、この二人の仕草、穏やかな表情から二人の深い愛情が感じられます。
豪華な衣装の表現は、晩年のレンブラント特有の手法で描かれています。厚みのある白の絵の具を大胆なタッチで描き、その上から黄色や赤など鮮やかな薄い絵の具を重ねて透明感と深みのある質感と光が表現されているのです。
レンブラント晩年の傑作で《ユダヤの花嫁》と呼ばれてきていますが、特定のユダヤ人の注文で描かれたものか、旧約聖書の創世記に登場する《リベカとイサク》を描いたものか、あるいはレンブランが好んで描いた「見立て」の肖像画なのかは分かっていません。
モデルも息子のティトゥスとその妻マクダレナ・ファン・ローではないかとの説がありますが確証はないようです。
レンブラントの代表作⑯ 『放蕩息子の帰還』
1669年 262×206㎝ エルミタージュ美術館蔵
父親から遺産を前もって分けてもらい異国に旅立った息子。しかし放蕩三昧の生活の末、たちまち金を使い果たして豚飼いに身を落としてしまいます。
どうしようもなくなって父のもとへ帰ると、老父は息子を咎めるどころか喜んで温かく迎え、祝宴まで開いたという聖書の話。
そんな父に対し長男は不満を曝け出します。しかし父はこう言いました「お前はいつも私と一緒にいる。…だがお前のあの弟は死んでいたのに生き返った。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」と。この《放蕩息子の喩え》(ルカ福音書一五トゥルプ章)はネーデルランド地方ではよく描かれた主題で、レンブラントもエッチングや素描で幾度も描いています。
ここでは疲れ果て丸坊主になった息子は跪いて許しを請い、年老いた父は体をやや傾けて息子を受け入れています。
父親は目が見えないため、優しく息子の背に手を当てその存在を確かめているようです。
『光』は彼ら二人と同時に複雑な表情で二人を見下ろす長男にも当てられ、それぞれの微妙な心情が表現されています。
レンブラントの代表作⑰ 『自画像』
1669年 86×70.5㎝ ロンドン ナショナル・ギャラリー蔵
レンブラントが描いた数多くの自画像の中でも最晩年のものです。
1967年の洗浄の際に署名と年記が発見され、1669年にレンブラントが世を去った年に描かれたことが分かりました。
人生の成功と失敗、不幸や敗北感などすべてを受け入れた男の非常に穏やかな表情で描かれていていますね。
最期の年に描かれたと知ると一層感慨深い印象を受けます。
管理人も何度も自画像を描いていますが、自画像を描く場合、当然のことながら鏡に自分を映します。そしてしっかり対象(自分)を見ようとするため、そのまなざしは概して強くなりがちなものです。
なので『自画像』の表情が怖かったり、怒って見えたりすることも多いのですが、このレンブラントにはそんな気負いは一切ありません。
優しく深いそのまなざしは自身の作品同様、強い光と影が最後は溶け合い柔らかで暖かな雰囲気を醸しだしています。若い頃は富も名声も全てを手にしたのに、その後は苦難の連続だった人生の最後にこんなに穏やかな自画像が描けるなんて、ある種の悟りを拓いたのかもしれませんね(^^;)
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