”神の如き”巨匠ミケランジェロ。ルネサンスの巨人にまつわるいろいろなエピソードをご紹介します。
目次
エピソード① つぶされた鼻
10代半ばでその天才的才能を開花させたミケランジェロは、他の同世代の芸術家たちに強い優越感を持っていました。
しかしそれは逆に周囲からは嫉妬の対象となっていたのです。
ある時、ミケランジェロと一緒にメディチ家の庭園で学んでいたピエトロ・トリジャーノという画家が、ミケランジェロに自分の作品を冷笑されたために逆上して殴り掛かたのです。
その時、ミケランジェロの鼻は潰れてしまいました。
このことがミケランジェロに、肉体的にも心理的にも一生涯の傷跡を残したと伝記作家ヴァザーリは伝えています。
醜い鼻はその後のミケランジェロに劣等感を持たせ、より孤独な性格を招いたといわれています。
エピソード② ミケランジェロが詐欺に加担?「眠れるキューピッド事件」
ミケランジェロが活躍したルネサンスの時代は、宗教に支配された暗い中世を脱して古代ギリシャ、ローマ時代の文化をもう一度見直す時代でした。
古代遺跡から出土した彫刻などの発掘品が人気を集め、高値で取引されていたようです。
そんな中、1495年ミケランジェロは、ロレンツィオ・デ・メディチの依頼によって「眠れるキューピッド」制作しました。
それは「これは古代の作品としても通用するだろう」といわれたほどの出来でした。
しかしなんとそれを実際に、ロレンツィオの命で古代の発掘品のように加工させられたのです。
つまり詐欺の片棒を担がされたのです。
しかしこの魂胆は枢機卿ラファエーレ・リア―リオに気づかれ未遂に終わりますが、逆にその出来栄えに感嘆した枢機卿は、ミケランジェロをローマに招いたのです。
こうしてローマに行ったミケランジェロは、初期の代表作「ピエタ」を制作し、彫刻家として名をはせることに繋がったのです。
エピソード③ 世紀の対決!ミケランジェロVSレオナルド・ダ・ヴィンチ
1503年、フィレンツェ政庁の委嘱でパラッツォ・ヴェッキオ(ヴェッキオ宮殿↑)の大評議会の大広間で、すでに天才と認められていたダ・ヴィンチとミケランジェロが、向かい合う壁にそれぞれ壁画を描く、という想像するだけでわくわくするような天才同士の直接対決が行われました。
ミケランジェロは「カッシーナの戦い」、ダ・ヴィンチは「アンギアーリの戦い」の場面をそれぞれ描きました。
「カッシーナの戦い」は1364年のフィレンツェとピサ戦い、「アンギアーリの戦い」は14、40年の対ミラノの戦争のことで、どちらもフィレンツェの歴史的勝利を讃えたものでした。
しかしこの世紀の対決は、ミケランジェロがローマへ、レオナルドはミラノへと招聘されたためどちらも制作途中で完成には至らず、ミケランジェロは下絵を描いただけ、レオナルドにいたっては技術的な失敗で放棄するというかたちで終わりました。
両巨匠の下絵が部分的に模写されたものが残るばかりですが、それだけでも二人の個性がはっきりと表れています。
ミケランジェロは彫刻的な肉体美を持つ兵士たちの群像を絡ませるような構図で構成し、レオナルドは激しい戦闘場面で得意とした荒れ狂う馬や、兵士たちの戦慄する内面を激しい表情で表現しようとしました。
↓カッシーナの戦い(後世の部分模写)
↓アンギアーリの戦い(後世の部分模写)
エピソード④ 「面従腹背」
ダヴィデ像を制作中のミケランジェロのところに、ある日依頼主である当時のフィレンツェ最高権力者であるソデリーニが訪れました。
そしてソデリーニは、制作途中のその巨像を見上げてこう言いました。「鼻が大きすぎやしないかね」
するとミケランジェロは、ノミを片手に持ち、大理石の砕けた粉を隠し持って足場を上っていきました。
そしてノミをふるい削る素振りをしながら、隠し持った大理石の粉をパラパラと下に落としたのです。
するとソデリーニは「うん、なかなかいいぞ」と満足げに帰っていったというのです。
このエピソードの真偽は定かではありませんが、ミケランジェロが他人からの批評嫌いであり、権力者の扱いにに対する面従腹背を心得ていたということを物語っていますね。
エピソード⑤ 最後の審判にまつわるエピソード
「最後の審判」でミケランジェロはほぼすべての人物を裸体で描いていました。
しかし完成間近になって、ローマ法王庁の儀典長ピアージォから、神聖な教会に裸体はふさわしくないと厳しく非難されました。
これに怒ったミケランジェロは、画面右下の地獄の王ミノスをピアージォの顔で描いたのです。その上なんとその局部に蛇が噛みついているではないですか!
ちょっと笑える子供のような仕返しをしたミケランジェロですが、これが半永久的に残って世界中の人に見られるなんてピアージオに同情しますね。
またカラファ枢機卿たちからも「裸体は不信心であり不道徳」であるとクレームがつきますが、ミケランジェロはそれを受け入れることはありませんでした。
しかし彼の死後、人物の局部を隠すことが決定され、ミケランジェロとも親交のあったダニエレ・ダ・ヴォルテッラという画家によって局部に腰布が描き加えられました。
このため可哀そうなことにヴォルテッラは「ふんどし画家」と呼ばれるようになったそうです。
その後1993年に「最後の審判」が修復、洗浄されたのに伴い、この加筆された腰布が取り除かれました。
しかしすべてが除去されたわけでなく、一部はオリジナルの部分が削り取られていたところや歴史的意味合いを込めて残されたということです。
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