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『パリの浮世絵師』トゥールーズ・ロートレックをご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回ご紹介するのは19世紀末、印象派より少し後、ゴッホたちと同時代にパリで活躍した画家トゥルーズ・ロートレックです。

ヴァン・ゴッホと同じく『後期印象派』に分類されることもありますが、技法的には全く別もので、絵画よりむしろポスターやデザインでよく知られる画家ですね。

ちなみにロートレックを画家として最初にその才能を見出したのはなんとゴッホの弟で画商をしていたテオでした。

兄ヴィンセントの才能を疑わなかったことといいテオ(↓)の才能を見抜く目は確かだったということですね。

さてこのロートレック、実は凄い由緒正しい貴族のお坊ちゃんとして生まれながら、体に障害を持ったことで画家としても独特の道を歩み波乱の人生を送りました。

異色の天才アーチストは一体どんな人物だったのでしょうか?

見ていきたいと思います。

目次

1.ロートレックってどんな人?

本名:アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ

Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa

1864-1901年

上述しましたように、ロートレックは画家には珍しく大変由緒正しい貴族の出身でした。

父はアルフォンス・ド・トゥールーズ・ロートレック・モンファ伯爵。

 

どれくらい凄いかというと、先祖に1000年も前に十字軍で戦った者もいるほどで、フランス王家ブルボン家より長く続くフランス最古の名門貴族なのです。

 

しかし近親者による同族結婚が続いたためロートレックは骨の形成不全という重い病をもって生まれてきました。

そして彼が14歳の時に起きた二度の骨折によって両足の成長が止まってしまうという大きな障害を負ってしまったのです。

 

上半身は大人、下半身は子供のままで身長は成人しても150㎝ほどと低く、歩くのにも不自由なため杖をついていました。

 

この不幸な出来事があってから、父親からは疎まれるようになり、また貴族のたしなみであった乗馬や狩り、パーティーと言った上流階級の付き合いができなくなったため、貴族社会からも遠ざけられてします。

そんな居場所を失くしたロートレックは故郷を離れ、パリへ出て画家となったのです。

 

こうした境遇のためか、ロートレックはこんな言葉を残しています。「人は誰でも自分自身に耐えなければならない」

 

しかしそんな辛い背景にもかかわらず、ロートレックの性格は明るく社交的で、人をもてなすのが上手でどこへ行っても周囲から愛される存在でした。

 

ロートレックと他の画家たちとの違いは、その出自や障害だけでなく彼の活躍した場所にもありました。

ふつうはサロン(官展)や画廊などで絵を飾ったり、売ったり、裕福な人たちの肖像画を描いたりするのですが、ロートレックの活躍の場は夜のパリの街にありました。

 

当時パリの北部、モンマルトルには新しく歓楽街が誕生していました。

 

キャバレーやナイトクラブ、ダンスホールに劇場、買春宿などあらゆる“大人の欲望”を満たす街があったのです。

現在のモンマルトル(↓)

出典:wikipedia

ロートレックはこのモンマルトルに入り浸り、そこで得た友人や仲間、芸人たちそして夜の街に生きる娼婦たちと生活を共にし、彼らの生の姿を描きました。

 

自身も不遇な状況にあったため、社会の底辺で生きる虐げられた女性たちに親しみを感じていたのかもしれません。

 

家族や生活のため必死になって体を売って生きる彼女たちに、見た目ではなく内面の強さと心の美しさを見たロートレックは娼婦たちを描くに当たってこう語っています。

「職業モデルはいつだってはく製のようだ。でも彼女たちは生きている。」と。

 

しかしこうした暮らしぶりを知ったロートレックの父は、“伯爵家の面汚し”とばかりに激怒して本名で絵にサインを入れることを禁じます。

そのためロートレックは一時期『Treclau』( トレックロー)と名前の文字を入れ替えたサインをしていました。

 

ロートレックは画家として、こうした劇場やキャバレーのためのポスターやメニューなどのデザインを手がけるようになり、やがて認められていきます。

当初は斬新すぎてなかなか受け入れられませんでしたが次第に人気を博すようになり、ロートレックが描いたポスターはそれが貼られた壁から次々と盗まれるようになったほどです。

 

しかしその体によって差別やいわれのない偏見はつきまとい、その胸の内には常に孤独と苦悩を抱えていました。

それを紛らわすため過度の飲酒によってアルコール依存症となり、またそれまでの放蕩生活が災いして健康を損ない36歳という若さで亡くなってしまいました。

 

ロートレックのサイン 出典:wikipedia

 

2. ロートレックの生涯~ざっくりと

ではここでロートレックの歩んだ人生を簡単に見ていきましょう。

詳しい生涯についてはまた別の記事にてご紹介しますのでしばらくお待ちください。

 

ロートレックは1864年11月24日南仏アルビでフランス最古の伯爵家に長男として生まれました。

生まれつき体が弱かったのですが、とても愛らしい子どもだったようで『小さな宝石』と呼ばれていました。

 

14歳の時に左大腿骨、さらに翌年右足の骨折によって足の成長が止まってしまいます。

1882年パリに出てレオン・ボンナに学んだ後、フェルナン・コルモンの画塾で絵を学び、ここでゴッホらと知り合います。

 

84年モンマルトルで暮らし始め、翌年画家でモデルもしていいたシュザンヌ・ヴァラドンと知り合い一時期愛人関係にもあったようです。

ヴァラドン(↓)は自身も画家になり、その息子がモーリス・ユトリロです。

85年ごろからはモデルを雇って制作するのを止め、友人たちや街の女性たちを描くようになります。

 

1891年最初のポスター《ムーラン・ルージュ:ラ・グーリュ》が評判となり名声を得る。

出典:wikipedia

1893年パリで初めての個展を開きますが、健康状態が悪化してパリの母の家に戻ります。

 

94年モンマルトル、ムーラン街の娼家に入り浸り、娼婦たちと生活を共にしながら制作をするようになる。

1898年イギリス、ロンドンで展覧会を開き英国皇太子と会う。

1899年精神錯乱に陥り発作を起こすなど、アルコール依存症が酷くなりパリ近郊のヌイイーにある療養所に入院。

1901年9月9日ボルドー近郊のマルメロの城で亡くなる。享年36歳。

 

3. ロートレックの代表作

ここではロートレックの代表作を簡単にご紹介します。

詳しい解説付きの記事はまた後日アップしますのでそちらをご覧ください。

 


 

『マルメロの居間のアデール・ド・トゥールーズ=ロートレック伯爵夫人』

1887年 54×45㎝ アルビ トゥールーズ=ロートレック美術館蔵

 

 

『フェルナンド・サーカスにて』

1888年 98×61㎝ シカゴ アート・インスティテュート蔵

 

『ムーラン=ルージュ』

1891年 170×130㎝ アルビ,トゥールーズ=ロートレック美術館蔵

 

『ムーラン=ルージュにて:ダンス』

115×150㎝ フィラデルフィア H.P. マッキヘ二―・コレクション蔵

 

『ムーラン=ルージュにて』

1892年 123×141㎝ シカゴ,アートインスティテュート蔵

 

『ディヴァン・ジャポネ』 1892-93 80×60㎝ パリ国立図書館蔵

 

『ムーラン街のサロンにて』

1894年 111×132㎝ アルビ トゥールーズ=ロートレック美術館蔵

 

『アンバサドゥールのブリュアン』

1892年 150×100㎝ パリ,国立図書館蔵

 

4. ロートレックの画風

出典:wikipedia

ロートレックはいままでこのブログでご紹介してきた画家たちと比べると、画家というよりグラフィックアーティストと呼んだ方が相応しいかもしれません。

その代表作も油絵だけでなくデザイン、ポスターが多く、それによって世に認められたからです。そしてロートレックはそうした商業デザインを洗練させ、芸術にまで高めた画家でした。

 

19世紀後半のパリで起こった日本美術ブームは当時の画家たちに多大な影響を与えましたが、特に浮世絵から影響をうけたロートレックはまた別格でした。

 

当時自分たちの新しい表現を模索していた画家たちは、自分たちの画面に浮世絵の技法である《くっきりとした輪郭線》《鮮やかで平面的に塗られた色彩》《大胆なデフォルメと遠近法を無視した装飾的な画面構成》などを取り入れました。

 

ロートレックはその上に版画という表現法、宣伝媒体としての作品作りという点で浮世絵と同じであり、写楽の役者絵と通じるという意味で『パリの浮世絵師』と言われることもあります。

 

また同じ浮世絵の影響を強く受けた尊敬するドガと同じく、ロートレックも卓越したデッサン力の持ち主でした。

彼は常に小さなスケッチブックを持ち歩き、目に留まったものをその場で素早くスケッチして人物の動きや特徴を素早く画面に定着させることができました。

 出典:wikipedia

ドガとの違いは人物それぞれの相貌の特徴や、ポーズを見事にとらえ、カリカチュア(風刺画)のように巧みにモデルの素顔や性格までも暴き出したところにあります。

ロートレックは娼家にアトリエを持ち、娼婦たちの生活を眺め、彼女たちの日常をときには皮肉を込めて、時には優しい親しみを込めて描きました。

ロートレックにとっての制作はいわゆる美的構成だけでなく、何よりも血の通った人間そのものが大事だったのです。

 

5. ロートレックまとめ

名門貴族の長男として生まれながら、体に重い障害を負ったロートレックは、パリに出て画家となり本来生きるべき社交界ではなく夜の街、娼婦の町で生きていきます。

 

権威や虚栄に満ちた上流階級に居場所を亡くし、それとは真逆のパリの夜の街はそんなロートレックを受け入れてくれました。

 

そこには彼と同じように、社会から弾き出され虐げられた女たちがいました。そんな彼女たちの力強い生きざまに、彼は親しみと畏敬の念を持って接し作品にしたのです。

 

一見社交的で、周囲から愛され気ままに生きたようなキャラでしたが、その奥には深い孤独や苦悩、寂しさを隠し、酒に体を蝕まれ36歳という若さで亡くなりました。

 

ロートレックはこんな言葉を残しています。

「人間は醜い。されど人生は美しい」

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