こんにちは。管理人の河内です。
今回は『踊り子』の画家として知られるエドガー・ドガの画風と技法について解説してみたいと思います。
“印象派”として語られることの多いドガですが、以前の記事でも書きました通りドガの表現方法は実は印象派のそれとは全く違う、むしろ正反対のものでした。
それを画家でもある管理人の目を通していろいろな角度から解説してみたいと思います。
目次
ドガの技法① 画風と主題の変遷
ドガは20歳の時、「マンテーニャの精神と愛を、ヴェロネーゼの情熱と色彩でもって追求する」と語っているように、古典作品に深い敬意を払っていました。新古典主義の巨匠アングルから受けた「線を引きなさい、沢山の線を…」というアドヴァイスを終生忘れることなく線描(デッサン)を描き続けました。
20代でのイタリア滞在中も各地の美術館を周り、ラファエロを始め古典を熱心に研究しています。
このように初期の段階では伝統に忠実に制作するスタイルでした。
主題は《家族の肖像画》から《歴史画》などで大作も描いています。
その後、マネや印象派の画家たちとの出会いを通して、彼らから影響を受けそれまでの伝統的な《歴史画》を捨てて、いわゆる「ドガらしい」同時代のパリの情景を主題とするようになります。
しかし印象派の画家たちが、主に《自然の風景》を主題にしたのに対し、ドガは若い踊り子や『アブサント』『アイロンをかける女たち』(↓)のような華やかなパリの裏側で生きる女性たち《人物》に焦点を当て彼女たちの厳しい現実を描こうとしました。
そしてドガは競馬場やバレリーナ、普通の女性の日常など限られた主題のみに焦点を当て、何度も何度も描いて追及しました。
ドガの技法② 印象派との違い
印象派に数えられることの多いドガですが、実は主題、制作スタイル、方法論、全てにおいて印象派の画家たちは正反対だったことはあまり知られていないかもしれません。
御存知のように印象派と言えば戸外で描いた風景が一番の特徴です。
しかしドガは目の前のものを直接描いて作品にしたり、移ろう光の一瞬を即座に捉えたりすることには興味を持ちませんでした。戸外での制作を好まず、逆に屋内の明かりやガス灯など人工の光に関心を持っていたのです。
自然の光を自らの目という感覚器官を使って写し取ろうとしたモネ達印象派を、ドガは現実世界とその感覚に縛られていると非難さえしています。
それを示すように「同じ主題を10回でも100回でも描かなくてはならない」「私にはインスピレーションを待っている時間はない」「私のやっていることは巨匠たちの作品を再考し、学んだ結果であり、インスピレーションだとか自然発生、芸術家気質などというものについては何も知らない」と語っています。
それは感覚的にものをとらえるのではなく、入念な準備のもとに考え抜かれた構図に物や色を配置するという伝統的な描き方と言えます。
そのため表現手法においても、ドガは他の印象派の画家たちとは大きく異なりました。
印象派にとって最も重要な表現方法である筆触分割(※)を使わず、逆にモネたちが敬遠した線を重視したのです。
つまり印象派の画家たちが極めて感覚的であったのに対しドガが理知的で古典主義的な画風であったといえます。
※筆触分割とは…印象派の画家たちが、素早く即興的に移ろう光の一瞬をとらえるために使った色の塗り方。なるべく混色をせず、タッチを画面上に置くように並べていく描き方で、短時間でしかも光の鮮やかさを表現するために考案されました。
ドガの技法③ 「デッサン画家」としてのドガ
ドガが若い頃、尊敬する新古典主義の巨匠アングルから「とにかくたくさん線を引きなさい」と言われた言葉を終生大事にしていたことはよく知られていますが、それを忠実に守るかのように、ドガはモデルのフォルム(形体)を線描によって描き出し、吟味を重ねながら記憶に定着するまで何度も繰り返し描くということをしています。
あるとき若い画家に「モデルに1階でポーズをとってもらい、2階で描くようにしなさい」という助言をしたほどです。
こうして長い時間をかけて一つのものを追求し、そこから得たデッサン力によって、踊り子や馬、歌手たちが作り出す複雑な形体や動きの一瞬をとらえることに成功しているのです。
ドガの技法④ 技法の研究
ドガは油絵にとどまらず、様々な画材の研究を重ねて独自の技法を編み出しました。
実はドガは油彩画持つ表面の光沢や粘りを嫌っていました。
そのため絵具の油分をしばしば取り除き、絵の具を薄く塗ったりもしていたのです。またキャンバスに描くよりも紙に描くことを好みました。それは紙が絵具の油分を吸い取り、光沢のないドガ好みの作品になることと、紙は簡単にカットしたりつぎ足したりできるため、構図をいろいろ変えて試したりするのに適していたからです。
この辺りはマチスが晩年切り絵を好んで使ったのと同じ理由ですね。
またドガは1870年代になると当時の画家からは人気のなかったパステルを使い様々な実験を始めます。
パステルは顔料を固めただけのチョークのような画材で、それをスチームで柔らかくしたり、ペースト状にしたりして使っていました。
それは線と色彩を同時に実現する可能性を示し「私は線のある色彩画家だ」と主張しています。
さらにドガは版画の技術にも関心を持っていて、エッチング、アクアティント、リトグラフを試し“電気クレヨン”なるものも実験しています。
旧来からあったエッチングは、版は画家が描かき、印刷はプロに任せるというものでしたが、この頃に画家たちはその出来栄えが無味乾燥なことに満足しなくなり、自ら刷るようになっていきました。
ドガの技法⑤ モノタイプ
1874年ごろ、ドガは後にモノタイプと呼ばれる技法を確立しました。
ドガ自身はこの名称を嫌っていたようですが、これは版画の一種でエッチングの版(通常は銅板)とインクを使った実験から生まれたものです。
モノタイプとは、ひとつの版から一しか枚擦れないという意味ですが、ドガは2、3枚は刷っていました。金属やガラスの版の上に油性のインクを塗布し、絵の中で暗くしたい部分を拭き取って作画しそれに紙を押し当てローラーやプレス機で圧両区をかけて紙に写し取る(刷る)手法です。それはドガのように暗い部分の多い夜の情景や、カフェ、劇場などを表現するには格好の技法でした。
ドガのパステル画の3分の一は版の跡が残っていて、初めにモノタイプで刷ったものを下絵としてそれにパステルで着色したことが分かります。
ドガの技法⑥ 日本美術からの影響
ドガもまた他の19世紀の前衛画家たちと同様に、当時盛んに取り上げられていた日本美術から大きな影響を受けています。
その中で特に重要なのが《平面的処理》と《構図》です。
平面的処理とは陰影によるボリューム表現を否定し、奥行き(遠近感)や立体感をなくした表現です。これは印象派の先駆者であるエドワール・マネも同様に使った技法です。マネの作品《オランピア》
そしてドガの場合、特に人物などがダイナミックに断ち切られた構図と大きな色面による構成、にそれが顕著に合わられています。
この作品(↓)《アプサント》では、テーブルを大胆にくの字に手前から奥に向かって配置し、奥の女性へと視線を誘っています。また女性を中心から少しずらし、左側に大きく開けることで、視覚的に物寂しい雰囲気を出しています。
一番右の少女が頭部でバッサリ切り取られていますが、このような切り方はそれまでには考えられませんでした。
ドガの技法⑦ スナップショット効果
最後に『スナップショット』効果について見ていきたいと思います。
スナップショットとは写真に使われる用語で、ここでは特に狙ったわけではなく「思いがけない瞬間、何気ない日常の一瞬を切り取った感じ」くらいに思っていただければよいでしょう。
先述のように、ドガは作品を制作するにあたって時間をかけて念入りに準備をする画家でした。何度もモデルを描き直し、位置や配置を熟慮して描いていました。
しかし一方で、ドガはモデルの思いがけないポーズや日常の何気ないしぐさに着目し、その一瞬を切り取ったような効果を表現するために『浮世絵』の大胆な構図や当時発明されたばかりの写真の効果を自分の作品に取り入れたのです。
こうした構図によって、今までの伝統的な絵画にはなかった効果が生まれました。
今までにない視角、視点からものを見ることで私たち鑑賞者に臨場感を感じさせ、まるでその場で見ているような感覚を与えてくれます。
また人物の一連の動きの中の一瞬間を切り取ったような効果によって、モデルがまた次の動作へと動いていくことを予感させてくれるのです。
『フェルナンド・サーカスのララ嬢』
このようなポーズはそれまでの伝統的な絵画にありがちな芝居がかったポーズとは違い、新鮮な驚きを与えてくれます。
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