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【踊り子の画家】エドガー・ドガの生涯と作風をご紹介します!

こんにちは管理人の河内です。

今回は『踊り子の画家』として知られる19世紀の巨匠エドガー・ドガをご紹介します。

ドガというと美術史上では「印象派」の画家として分類されることが多いのですが(事実印象派展に何度も参加しています)実はその表現方法はモネやルノワールたちとは全く別のものでした。

画家でもある管理人から見ると、無類のデッサン家というイメージが強い画家ですね。

人物の動きを瞬時に捉えるデッサン力は、同時代の画家の中では群を抜いていると思います。

 

他にも「印象派」と言えば野外での風景画が思い浮かびますが、ドガのイメージは何といっても『踊り子』に見られるように室内が多く、外光よりもむしろ人工的な光に関心があった画家です。

ということで実はドガは印象派ではなく『異端の印象派のなかで異端』であったと言える画家かもしれません。また性格もなかなかの偏屈で一筋縄ではいかなかったようです。

ではそんなドガとは一体どのような人物だったのでしょうか?詳しく見ていきたいと思います。

目次

ドガってどんな人?

本名:イレール=ジェルマン=エドガー・ド・ガス

1834-1917年

後に貴族的な印象を弱めるためにシンプルに「ドガ」と名乗りました。

裕福な銀行家の家に生まれ、性格は内気で不器用、プライバシーを厳重に守り、数人の親しい友人がいただけで女性関係はほとんど知られていません。

唯一アメリカ人女性画家メアリー・カサットとはお互い画家として尊敬し合い親しくしていて、年長のドガは彼女に絵のアドバイスをするなど子弟のような関係でもありました。

ドガの性格は引っ込み思案でありながら、自信家で他人を見下すところがありました。

憂鬱質で怒りっぽく、画家仲間にも辛辣な言葉を投げつけるドガは、周りから敬遠される存在でもあったのです。この辺りはセザンヌやミケランジェロに似ていますね。

ドガはよくぶつぶつと不平を言ったり唸ったりしていたので「小グマさん」という愛称をつけられていたそうです。

ドガ自身も自分の気難しい性格を理解していて、ある時ルノワールにこう言いました。「どうにもやっかいな敵がいる」「一体誰なんだい?」とルノワールが尋ねると「知らないわけはあるまい。もちろん、僕自身さ」と答えたといいます。

しかし「ドガは鉄の仮面の下に用心深く感受性を隠している。彼はなかなか友人にはなろうとしなかったが、いったん友人になると、その友情は深く、確かで献身的なものだった」とピエール・ラフォンは書いています。

ドガはいつもシルクハットをかぶり、貴族的ないで立ちでパリの街角やカフェに現れました。

そんなドガですが、他の前衛的な画家たちの集まるカフェ・ゲルボワに通っては芸術論を語り合い親交を結んでいました。

彼らはパティニョール派(後の印象派)と呼ばれ、特に2歳しか違わないエドワール・マネとはお互い尊敬し、反発しあいながらも親しくしていました。

しかしドガが他の印象派の画家たちと決定的に違うところは、サロン(官展)に落ち続けたモネやセザンヌに対し、ドガは一度も落選したことはありません。

ドガの作品は、サロンではそれほど高い評価を得ていたわけではありませんが、他の仲間たちと比べれば十分に評価されていました。しかしドガはサロンの旧態依然として保守的な体質に反発し、前衛的な画家仲間と行動を共にしていたのです。

しかし制作スタイルや芸術観に関しては、モネやルノワールらとはまるで正反対のものでした。

戸外で素早く仕上げるモネたちに対し、ドガは現場でスケッチはするもののアトリエで時間をかけて入念に仕上げるという伝統的な制作手法だったのです。

ドガは内心「自分こそが正統派だ。印象派の連中と一緒にしてもらっては困る」という気持ちでいたのです。

 

そうした違いを抱えつつも、ドガは既存の権力に反発して立ち上げた印象派展に尽力し、計8回開かれた印象派展のうち7回までも出品しています。

 

ドガは裕福な上流階級出身でしたので(父親が亡くなるまで)お金に困ることもなく優雅にバレエや観劇、競馬に親しんでいました。

そうした生活が土台にあったことで、それらが作品の主題となったことは自然の流れだったといえます。

しかし裕福な父が生きている間は作品を売る必要もなく制作に没頭できましたが、40歳の時、父が亡くなると多額の負債が発覚して家財を売るなど生活は一変しました。

もともと少ない友人とだけ付き合う非社交的な性格のドガは、晩年には視力が衰えたこともあり、年とともにより世間とのかかわりを避けるようになります。

 

ドガのアトリエはいつも薄暗く、道具が散乱していてほこりが積もっていましたが、彼にとってはとても神聖な場所であり、画商やモデル以外立ち入ることはできませんでした。

そこにひとり籠って自らの表現を追い求め、83歳で寂しくなくなりました。

 

ドガの生涯~ざっくりと

ではここでドガの生涯を時系列で簡単にご紹介します。

詳しい生涯についてはこちらの記事をご覧ください【エドガー・ドガの生涯を詳しくご紹介します】

1834年パリの裕福な銀行家の家庭の長男として生まれる。

1847年母親が死去。

高等中学校を卒業後、父の意向で一時法律の道に進みますが、1853年法律の勉強を止め画家の道を目指します。

1854年 アングルの弟子ルイ・ラモットについて絵画を学び始めます。

1855年 エコール・デ・ボザールに入学。

アングルと会ってアドバイスを受ける。

1856-58年イタリアを数度訪問し滞在。古典やルネサンスの名画などを研究する。

イタリアでフランス人のギュスターヴ・モローと親交を結び影響を受ける。

1862年 マネと親交を結ぶ。

1860年代に『踊り子』を描き始め、前衛的な若い画家たちと交わる。

1870年普仏戦争に従軍し、目を傷めその後視力が低下する。

1874年 父の死去に伴い莫大な借金を背負う。

第一回印象派展の開催を助ける。(以降全8回のうち7回参加する。)

1880年代に入るとさらに視力低下が進み、パステルや版画の技法を研究する。

1894年“ドレフュス事件”で反ユダヤ主義の側に立ちリベラルな友人たちを失う。

晩年はますます孤独となり視力低下とアトリエの立ち退きにより制作を中止する。

1917年 パリで死去。享年83歳。

 

ドガの代表作

ではここでドガの代表作を簡単にご紹介します。

詳しい解説はこちらの記事をご覧ください。⇒【作品解説・ドガの代表作を詳しく解説します!】

「ベレリ家の人々」

1858-60年 200×250㎝ オルセー美術館蔵

 

「オペラ座のオーケストラ」

1868-69年ごろ 56×46㎝ オルセー美術館蔵

 

「ロンシャン競馬場」

1873-75年ごろ 34×42㎝ ボストン美術館蔵

 

「舞台の上の二人の踊り子」

1874年 62×45㎝ ロンドン コートルード・インスティテュート美術館蔵

 

「ダンスのレッスン」

1873-1875年ごろ 85×75㎝ オルセー美術館蔵

 

「舞台の踊り子」

1876-77年ごろ 58×42㎝ オルセー美術館蔵

 

「アプサント」

1876年 92×68㎝ オルセー美術館蔵

 

「たらいで湯浴みする女」

1886年 紙にパステル 60×83㎝ オルセー美術館蔵

 

「14歳の踊り子」

1880-81年 高さ98.4㎝ ブロンズ像 ロンドン テートギャラリー蔵

 

ドガの画風と技法

1) 画風の変遷

ドガは20歳の時、「マンテーニャの精神と愛を、ヴェロネーゼの情熱と色彩でもって追求する」と語っているように、古典作品に深い敬意を払い、新古典主義の巨匠アングルから受けた「線を引きなさい、沢山の線を…」というアドバイスを終生忘れなかったことは有名です。

マンテーニャは15世紀に北イタリアで活躍した初期ルネサンスの画家。真に迫る写実性と硬質な印象が特徴です(↓)。

 

ヴェロネーゼはルネサンス期ヴェネツィア派の巨匠。幻想的で鮮やかな色彩が特徴。

 

新古典主義の巨匠ドミニク・アングル『自画像』

 

20代で過ごしたイタリア滞在中に各地の美術館を回り、ラファエロを始め古典を熱心に研究しました。

このようにドガは初期の段階では伝統技法に忠実で、主題も格調の高いとされていた「歴史画」などの大作を描いています。

その後1860年代半ばごろまでには、マネら印象派の画家たちとの出会いを通じて影響を受けました。それまでの歴史画を捨てて、いわゆる「ドガらしい」同時代のパリの情景を主題としていきます。

しかしその技法においてはドガは他の印象派の画家たちとは大きく違いました。

例えば明るい戸外での制作を重視したモネたちですが、ドガは外光を嫌いました。さらに印象派にとって最も重要な移ろいゆく光の効果を即興的に描くために考案された「筆触分割」を使わず、逆にモネたちが敬遠した「線」を重視して同じ対象を何度も何度も描いています。ドガにとってデッサンがまず何よりの関心事だったのです。

印象派の画家たちが、極めて即興的で感覚を重視して制作したのに対し、ドガは理知的で古典主義的な画風であったといえます。

 

2) ドガの主題

主題においてもドガは印象派の画家たちとは正反対でした。

つまり風景にはほとんど関心を示さず、徹底して人間を見つめ表現したのです。

そしてドガは「同じ主題を10回でも100回でも描かなければならない」と語っているように、限られた主題のみに焦点を当て、何度も描いて深く追及しました。

ある時は競馬場、ある時はバレリーナ(踊り子)というように。

それを示すようにドガは数えきれないほどのデッサンが残っています。

特に『踊り子』や『アブサント』『アイロンをかける女たち』のような華やかなパリの裏側で生きる若い女性たちの厳しい現実に目を向け、何気ない彼女たちのしぐさに着目した作品を多く描いています。

ドガは画材の研究にも熱心で、油絵のほか、版画やパステル、彫塑なども制作しています。版画ではモノタイプという独自の手法を開発したり、パステルでは水を混ぜたりかなり試行錯誤をしています。

ドガの詳しい技法についてはまた別の記事にて詳しく解説したいと思います。

 

ドガまとめ

いかがでしたか?「印象派にして印象派にあらず」風景より人間、感覚より知性を重んじた画家エドガー・ドガ。

ドガの生涯にはドラマチックな出来事やロマンティックな関心を引くものはなにもなく、逆にボヘミアン的な生活を嫌っていて最後まで上流ブルジョア育ちを貫き、芸術に身を捧げた一生でした。

視力低下という画家としては致命的な病を患いながら、テーマを絞り、深く深く追求する姿勢や、画材を熱心に研究して独自の表現を獲得したドガは、まさに求道者タイプの画家だったと言えますね。

気難しくごく少数の友人を除いて人付き合いが上手くなかったドガは、晩年になってその作品は高く評価されていきますが、残念ながら一人寂しくこの世を去ることになりました。

 

【ドガに関するその他のお勧め記事】

・【エドガー・ドガの生涯を詳しくご紹介します】

・【作品解説・ドガの代表作を詳しく解説します!】

・『作品の裏側に迫る!』ドガの技法を詳しく解説!

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