こんにちは。管理人の河内です。
今回は『近代絵画の父』と呼ばれ19世紀から20世紀の美術に大きな橋渡しとなったセザンヌの代表作をご紹介します。
初期のころは重苦しいロマン主義的な作風でしたが、その後印象派の影響を受けて色彩が明るく鮮やかになりまります。
中期以降は印象派的な表現に行きづまりを覚え、独自の作風に変化します。
見えたもの、感じたものを写し取るのではなく、作品を自律した世界と捉え直し、より確固とした存在感を持たせ、画面の再構成を目指しました。
目次
セザンヌ作品① 「ルイ・オーギュスト・セザンヌ、画家の父の肖像」
1860~63年
ロンドンナショナルギャラリー蔵
椅子に腰かけて新聞を読むセザンヌの父、ルイ・オーギュストの横向きの肖像。
邸宅ジャ・ド・ブッファンの居間に飾られた4点の「四季」の中央に飾られていました。
全体に暗い色調で厚ぼったい絵の具の塗りが特徴のロマン主義的な作風の初期の時代のものです。
父は羊毛商の店員から身を起こし、帽子の販売と輸出業で成功して一代で財を築きました。エクスで唯一の銀行を開業し、息子に後を継がせようと考え当初はセザンヌが画家になることに反対していましたが、結局はセザンヌを経済的に支え続けました。
セザンヌ作品② 「首吊りの家」
1872~73年 オルセー美術館蔵
1874年に開かれた「第一回印象派展」に出品された作品。
印象派の熱心な収集家アルマン・ドリア伯爵によって購入されています。
20年後にゴッホが最後を迎えた地、オーヴェール=シュル=オワーズで描かれました。
その時ゴッホを看取った医師ガシェともこの時知り合い、医師の家を描いた作品もあります。
オーヴェールはピサロと共に制作した時期で、セザンヌはピサロから印象派の技法を学んでいます。
印象派の影響で色彩は明るく変化していますが、それまでの重厚な絵具の塗りが残っており家などに強い存在感を感じさせています。
題名の「首吊りの家」といは言っても、実際に首吊りがあった家ということではないらしく由来は今も不明です。
セザンヌ作品③ 「赤い肘掛け椅子のセザンヌ夫人」
1877年 ボストン美術館蔵
セザンヌは生涯にわたって自画像と妻の肖像画を30点以上描きました。
セザンヌは1869年頃に、後の妻となるオルタンス・フィケと知り合います。当時彼女は19歳で製本屋の女工をしながらモデルの仕事をしていました。
気難しく、一点の作品を完成させるのに長い時間を要したセザンヌにとって、オルタンスはとても従順で忍耐強く、大変良いモデルでした。
どっしりと安定した構図ですが、椅子やモデルは全体に平面的に扱われ、壁紙や肘掛け椅子の模様、スカートの縦縞がそれを強調しています。
こうした平面化や無表情なモデルの顔、質感を度外視したセザンヌの視線には、物事がすべて等価値に見えていたに違いありません。
モデルの顔に似せようとか、内面を表現しようとかではなく、科学者がじっと顕微鏡を観察するようにセザンヌは人であれリンゴであれ山であれモチーフすべてを客観的に捉え直し、画面上で再構成したのです。
さらには顔に入った緑や縦縞の複雑な色味は、セザンヌの色彩画家としての一旦を見せてくれれています。
セザンヌ作品④ 「サント・ヴィクトワール山」
1885~87年
ニューヨークメトロポリタン美術館蔵
サント・ヴィクトワール山は故郷エクスの町の東にある石灰岩でできた山でプロヴァンス地方の象徴的な山です。
セザンヌに取っては少年時代から親しんできた山であり、セザンヌ芸術にとっても欠かせない重要なモチーフでもあります。特に1880年代以降、この山を重要な役割とする連作に取り組みました。
モチーフを画面上で再構成しようと試みていたセザンヌにとって、こうした動かない自然の風景でさえ見えたまま描くのではなく、大きさや位置の変更を加えています。
セザンヌ作品⑤ 「リンゴのバスケット」
1890~94年 シカゴ アートインスティテュート蔵
「リンゴの画家」とも称されるように、セザンヌにとってリンゴは大変重要なモチーフでした。ある批評家はセザンヌの描くリンゴは、「食べたくなるようなものではなく、心を奪われるような形と色彩をもった美しいリンゴだ」と評したと言います。
じっくりと時間をかけて構成をし制作するセザンヌにとって、時間がかかっても変わらない静物は格好のモチーフでしたが、時にリンゴが朽ちてしまうこともありました。
そして晩年のセザンヌには静物画の画面構成への意欲がますます感じられます。
この絵にも様々な試みがモチーフごとになされています。
一見無造作に机の上にリンゴや布、瓶が置かれているようですが、よくよく見ていくと机が白い布を挟んで左右でつながらず、左側が高い位置からの視点、右は低い位置の視点で描かれ、瓶は傾き左右対称ではありません。そしてリンゴの入った籠は下にレンガが差し込まれ、上から覗き込むように見せているので今にもこぼれ落ちそうです。このように部分単位で見ると不均衡な構成ですが、全体で見ると安定した均衡を生みだしています。
セザンヌ作品⑥ 「リンゴとオレンジ」
1895~1890年 オルセー美術館蔵
この絵は、セザンヌの一連の静物画の代表作で、構図、構成、対象の捉え方など最も完成度が高い作品と言われています。
セザンヌが語ったという「リンゴでパリを驚かせたい」という野心が最も実った作品といえます。
左下から右上に向けて流れるダイナミックな画面の動き、零れ落ちそうな果物たち、そして多視点による一見不安定な配置は、画面にリズムと動きを与えています。これらはセザンヌが時間をかけて周到に準備した構図であり全体で危ういバランスを保っています。
こうした堅牢な画面構成だけでなく、伝統的な陰影法に頼らず、リンゴの赤やオレンジの橙色が持つ鮮やかな色彩とタッチによって果物の存在感と生命力を感じさせています。
そして布や皿などの白と果物の暖色、背景の布の柄模様や水差しの模様による赤と緑の対比、それら色のコントラストが画面を華やかに装飾しており、色彩画家としてのセザンヌの魅力も見せつけています。
セザンヌ作品⑦ 「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
1898年 ブリジストン美術館蔵
シャトー・ノワールとは「黒い城」という意味です。これはエクスの東方にあるル・トロネの部落に行く途中にある建物で、セザンヌはこのシャトー・ノワールをアトリエとしても使っていました。
名前の由来は、石炭業者が建物を黒く塗ったことからそう呼ばれるようになったという説と、昔いかがわしい科学者の実験室があったから「悪魔の城」あるいは「黒い城」と呼ばれたという説があります。
うっそうとした樹木の茂みと、空と山といった寒色系で覆われた景色の中に、黄色い建物シャトーノワールが目を引きます。画面上の濃い緑の部分は、こちらも生い茂る木の葉でしょうが空に溶け込み一体化しているようです。
この作品は、東京駅八重洲口にある、ブリジストン美術館が所蔵しているため(2019年まで改修工事中)管理人が浪人生のころ、良く勉強のため見に行った思い出の作品でもあります。当時恩師から「セザンヌが分からん奴は、ダメ!直接見て来い!」とよく叱られたもので、何度も足を運びました。その頃は今のように美術館が賑わっておらず、いつ行ってもほとんど貸し切りで見られ、今思えば贅沢な時間でしたね。
セザンヌ作品⑧ 「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」
1899年 プティ・パレ美術館蔵 パリ
パリのラフィット通りにある小さな画廊、初めてでセザンヌの個展を開いたのが、モデルの画商ヴォラールです。その翌年、彼はエクスを訪ね98年には2度目の個展を開いています。
セザンヌはリンゴと同じようにモデルに不動の姿勢を要求し、ヴォラールは忍耐強く、この肖像画のために実に150回以上もポーズをとらされた上、ポーズ中に居眠りをして姿勢が崩れると「リンゴは動かない!」と酷く叱責されセザンヌはこの絵を投げ出して帰ってしまったと後に著書で書いています。
セザンヌ作品⑨ 「赤いチョッキの少年」
1890~95年 チューリッヒ ピュルレコレクション蔵
セザンヌはプロのモデルをほとんど使いませんでしたがこの少年は違ったようです。
少年はイタリア人モデルのミケランジェロ・ディ・ローサ。セザンヌは彼をモデルに4枚作品を描いています。
少年の右腕は異様に長く誇張され、高い視点から描かれていますが、背景の空間と少年は歪んだように再構成されています。
セザンヌ作品⑩ 「カード遊びをする二人の男たち」
1890~92年 オルセー美術館蔵
「カード遊びをする男」をテーマにした作品をセザンヌは5点残しています。
人物が5人または4人のものが各1点、二人のものが3点です。
この二人の農夫のモデルは、パイプを咥えているのが農夫のアレクサンドル親父、もう一人は庭師のポーラン・ポーレです。
5点の制作順序は必ずしもはっきりしていません。
伝統的な遠近法を捨て平面的な浅い空間に描かれ、わずかに全体が左に傾いて描かれています。
グレー、茶色、黒といった暗い色調でまとまっていますが、カードやパイプに鮮やかな白、赤がアクセントとして置かれまた塗り残したキャンバスの白がリズム良く残され、絵が暗く沈みすぎるのを避けています。
セザンヌ作品⑪ 「キュービット像のある静物」
1895年 ロンドン コート―ルド・インスティテュート蔵
背景のキャンバスにはミケランジェロの彫像「皮を剥がれた男」がスケッチされている。
苦悩を表すルネサンスの彫像と、愛を示すバロック彫刻とが対照的に描かれています。
さらにこの二点の彫像芸術の前に、日常的なリンゴが置かれており、ここでさらに日常性と芸術性の対比が置かれています。
これもかなり込み入った画面構成になっており、机やキャンバスなどの直線的な要素と、キューピットやリンゴ、玉ねぎ、皿、布の皺などの丸(曲線)の要素が複雑に絡み合って構成されています。
またキューピット像はほぼ真横からの視点で描かれているのに、それが乗る台はかなり見下ろした位置から、さらに右奥の床はさらに迫上がり部屋の一番深い位置にあるはずのリンゴが転がり落ちそうです。そしてキューピットの背後に立てかけられたキャンバスが像のすぐ後ろにあるようでキューピットの動きと呼応して縁の直線がキューピットの動きを強めています。左の青い布は奥にあるのか手前の台に絡んでいるのか判別せず、かなり平面的で入り組んだ空間表現になっており、ここだけ見るとまさにキュビズム絵画のようです。
セザンヌ作品⑫ 「大水浴図」
1898~1905年 フィラデルフィア美術館蔵
セザンヌは女性水浴図を生涯で50点以上描いています。そして縦2メートル、横2,5メートルに及ぶこの作品は、ヌードの人物を風景と融合させようとしたセザンヌ晩年の一連の作品の中で最大でもっとも完成度が高いものといわれています。
このテーマはヴェネツィアルネサンスの画家パオロ・ヴェロネーゼによる『エマオの晩餐』など過去の巨匠からから引用されたもの。
左右の木立と女性が作る大きな三角形は、古典的な安定を画面に与えています。
そうしたことから古典の理想化された表現と自身の造形的表現の融合が試みられているとみられています。
また単純化された人物たちは木々が作るアーチの形状に同調し、空と木の葉は一体化しています。
セザンヌが晩年にそれまでの革新的試みの集大成として位置づけられています。
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