今回はマニエリスム後期の画家、16世紀のスペインで活躍した画家エル・グレコの作品を解説していきたいと思います。
エル・グレコはギリシャで生まれ育ち、東方ビザンチン様式を学んだと考えられ、その後イタリアに渡ってルネサンスの古典様式やマニエリスムを学び、ヴェネツィアでは鮮やかな色彩を習得しました。
こうした様々な様式をミックスさせて作られた独自の表現スタイルは、当時のスペインを席捲した宗教的熱気(対抗宗教改革)を背景に、神秘的な色合いの濃いエネルギーと信念に満ちた迫力ある作風がその特徴となっています。
目次
エル・グレコの代表作①「蝋燭に火を灯す少年」
暗闇の中で少年がろうそくに火を点けようとしています。
少年は口を尖らせ慎重に息を吹きかけて炎を勢いづけようとしています。
この作品は、ルネサンス期に流行った古典、プリニウスの『博物誌』にある記述に基づいて失われた美術品を再現したと言われています。
グレコにとって光の表現は、生涯に渡る重要なテーマであり初期のこの作品にも光の効果を研究する意図があると思われます。
エル・グレコはこのテーマで数点作品を描いていますが、何点かは複数の人物が描かれています。
エル・グレコの代表作②「ジュリオ・クローヴィオの肖像」
この作品はエル・グレコの友人であり恩人でもあるジュリオ・クローヴィオを描いたもので、エル・グレコがローマに到着してすぐに描いた作品です。
クローヴィオ自身の当時有名な細密画家だったのですが、自らのパトロンであったファルネーゼ枢機卿にエル・グレコを推薦した人物でした。
この作品ではエル・グレコの後半生のスペイン時代では考えられないくらい実直な写実表現で描かれています。
年老いてなお頑固な職人気質の内面が見事に表現されていてエル・グレコの技術の高さが見て取れます。
エル・グレコの代表作③「毛皮の襟巻をまとう婦人」
美しい女性が豪奢な毛皮のコートを襟に巻いてじっとこちらを見つめています。
親近感が溢れる肖像画であることからグレコの愛人ヘロニマ・デ・ラス・クエバスがモデルとも言われていますが、確たる証拠はありません。
彼女はエル・グレコの子供を産みその子も画家となりました。
いわゆるエル・グレコらしい誇張やダイナミックな表現は一切なく、徹底した写実表現によって毛皮や指輪などの質感表現が見事に表現されています。
上記の「ジュリオ・クローヴィオの肖像」同様、宗教画の多い画家が肖像画においても一流であったことを示しています。
エル・グレコの代表作④「改悛するマグダラのマリア」
聖書の登場人物をモチーフとして描かれた宗教画ではおなじみのマグダラのマリアです。
エル・グレコも彼女をテーマに複数作品を描いており、今作はハンガリーの首都ブタベストにある国立絵画館に収蔵されているものです。
アトリビュート(持物)と言われる描かれた人物を特定するアイテムとして髑髏が描かれています。
「改悛する」とあるように、もとは娼婦だったマリアはキリストの導きによって自らの罪を悔い改め神への愛に生きる聖女となります。
またゴルゴダの丘でイエスが十字架に磔られた時、聖母たちと一緒にその場にいたことからもキリスト教ではとても重要な人物です。
ここでは胸に手を当て神の威光を示す天の光を見上げています。
エル・グレコの代表作⑤「聖衣剥奪」
この作品はグレコがスペインに移って最初の仕事としてトレド大聖堂から依頼されたと言われています。
しかし聖堂はこの作品を受け取る際に、「キリストの頭より群衆の位置の方が高い」「キリストへの冒涜だ」などと作品に難癖をつけグレコへの報酬を踏み倒そうとしました。
これに対してグレコは裁判を起こそうとしますが、大聖堂側が異端審問にかけるとグレコを脅し、それに屈したグレコは結局当初の三分の一の報酬額で妥協させられました。
この作品ではイエス・キリストが、十字架にかけられる直前に衣服を剥がされる情景を描いています。
鮮やかな赤や黄色の衣服の色彩は、グレコがヴェネツィアで学んだものかもしれません。
沢山の群衆に取り囲まれ手首をロープで縛られたイエスが中央で天を仰いでいます。
背後の人々の暗い色調に対しイエスの白い肌と真っ赤な衣服がより目を引きます。
この絵は現在も描かれた当初の目的の場所であるトレド大聖堂の聖具室に飾られています。そこは祭服などが保管され、司祭たちが着替えをする場所であることからこの主題が選ばれたのかもしれません。
エル・グレコの代表作⑥「オルガス伯の埋葬」
サント・トメ教会の恩人だったオルガス伯の葬儀に、聖ステファヌスと聖アウグスティヌスが介入するという奇跡の場面を神秘的に描いた作品でエル・グレコの最高傑作と言われている作品です。
そしてなんとこの作品は世界三大名画のひとつに数えられています。
あとの二枚はダ・ビンチの『モナ・リザ』とベラスケスの『ラス・メニーナス』ということになっているのですが、誰がどういう基準で選んだのかは定かではありません。
作品は上下で天上と現世とに場面が分かれていて、天界ではキリストを中心に聖母マリア、預言者ヨハネや様々な天使や聖人が描かれています。
また下部の現世ではトレド出身のオルガス伯ドン・ゴンサロ・ルイスが死後埋葬される際、聖ステファノと聖アウグスティヌスが天国から降臨してオルガス伯を埋葬したという伝説が描かれています。
オルガス伯は、信心深く教会に多額の寄付をした人物でその功績をたたえたものと言えます。
エル・グレコの代表作⑦「オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」
オルテンシオ・フェリス・デ・パラビシーノはエル・グレコが交際した親友の修道士です。
彼は雄弁家として名高く国王フェリペ2世の宮廷の公式説教師でした。
また優れた詩人でもあったパラビシーノは、エル・グレコを讃えるソネットをいくつも書いていてその一つがグレコの墓碑銘にもなっています。
晩年の傑作ですが、宗教画のような動的で激しい印象はありません。
大きな書物を抱え椅子にゆったりと腰掛ける修道士の表情も穏やかに描かれグレコのもう一つの顔がうかがえます。
エル・グレコの代表作⑧「羊飼いの礼賛」
今作品も救世主イエスの誕生を祝い礼賛するという聖書の定番の情景です。
画面上部では天使が舞い降り幼子イエスを、聖母をはじめ複数の人物が幼子イエスを取り囲んでいます。そして聖母子の前に跪く年老いた羊飼いはエル・グレコ自身だと言われています。
強烈な明暗法によってドラマティック情景となっていますが、その光源は幼子イエスそのものであり人々を照らしだしています。
この作品は、エル・グレコ自身が埋葬される(はずの)トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ聖堂の地下墓所のために描きました。
エル・グレコが一時師事したヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノも、自分の墓所のために『ピエタ』を描きそこに彼の自画像が登場するなど当時の画家たちには当たり前のことだったようです。
エル・グレコの代表作⑨「神殿から商人を追い払うキリスト(神殿の清め)」
この作品もエル・グレコはほぼ同じ構図で複数描いています。
キリストが画面の中央で手に鞭をもって振り回しています。
キリストは祈りの場である神殿で生贄用の動物の売買や、両替をしていた商人たちを追い出しているのです。
これは当時プロテスタントによる宗教改革に対抗するカトリック側の姿勢を反映したものと考えられています。
つまりカトリックにとってプロテスタントは異端であり追い払うべきものだったのです。
キリストを挟んで左側には逃げ惑う商人たちが描かれ、それを象徴するかのように背後の神殿の壁にはアダムとエバが楽園から追放されるレリーフが見えます。
また右側にはキリストに従う弟子たちが描かれています。
エル・グレコの代表作⑩「無原罪の御宿り」
グレコ晩年の大作でマニエリスムの特徴が顕著に表れています。
天には精霊の象徴である白いハトが舞い、精霊による懐胎を表現しています。
エル・グレコの代表作⑪「トレド風景」
この作品は、エル・グレコが描いた「トレド風景」2枚のうちの一枚です。
青黒くくすんだ空には雷が明滅しているかのように怪しく、これが昼間なのか夜なのか判別しません。
建物の位置なども実際とはずれていてエル・グレコのアレンジが加えられています。
宗教画と肖像画をメインに描いて来たグレコにとっても貴重な作品です。
実際の風景よりキリスト教信仰と君主国の中心地としての都市の重要性が強調されています。
エル・グレコの代表作⑫「福音書記者ヨハネの幻視:黙示録の第5の封印」
『ヨハネの黙示録』に描かれた物語の一場面。
『ヨハネの黙示録』は新約聖書の最後に記されたヨハネが見た幻視の物語が書かれた書物。そこには人類の滅亡と最後の審判いついて書かれていて、神から与えられた7つの封印が解かれる時、人類は滅亡するという恐ろしい話です。
その後神による裁き『最後の審判』が起こるという聖書ではクライマックスの手前といったところでしょうか。
エル・グレコがイタリア時代に身に着けたマニエリスムの表現が遺憾なく発揮されています。
晩年はさらに細部は省略され構図は平面的となり、細く引きのばされた人物たちは天を仰ぎ、波打つかのようなポーズは揺らめく炎のようでもあります。
エル・グレコの代表作⑬「ラオコーン」
ラオコーンとは《トロイの木馬》で有名なトロイアの神官の名前です。
彼はギリシャ人の《木馬》を街に入れないようにトロイア人に警告をした人物です。
彼とその息子たちはギリシャに味方するアポロンが遣わした2匹の巨大な大蛇に絞殺されてしまうという悲劇の場面です。
画面右側で、蛇に襲われ苦しむ三人の親子を見下ろしているのがアポロンとその妹で月の女神アルテミス。
顔が三つ描かれていますが、これは後世に絵を洗浄した際出てきたもので、エル・グレコが制作途中で構図を変更したためと思われます。
この作品はエル・グレコ唯一の神話を主題にして描かれた作品で、その理由としてトレドが二人のトロイア人の子孫によって建設されたという伝説があるためかもしれません。
背景はトロイアではなくトレドの街が描かれています。
ドラマティックな構図とダイナミックな3人の動きは、エル・グレコがローマで1506年に発掘された有名な古代彫刻“ラオコーン(↓)”を見て影響を受けたためかもしれません。
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