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【作品解説!】巨匠ドミニク・アングルの代表作を詳しく解説します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回は”新古典主義”の巨匠ドミニク・アングルの代表作を解説していきたいと思います。

ここでいう“古典”とは古代ギリシャ・ローマ時代のことなのですが、実際にはそれを手本にしたルネサンスの様式も含まれていて、それらを『規範=お手本』とする様式という意味で使われています。

特にアングルはラファエロに深く心酔していて、それを理想としていました。

”理想の美”を追及した「新古典主義」の作品は、一見自然な写生のように見えても考え抜かれた配置、構図、そして写真のように正確にリアルに描写されているようで、実はいたるところに絵画ならではのデフォルメ(誇張、変形)があります。

そのあたりを作品を通して読み解いていきましょう。

目次

アングルの代表作①「リヴィエール嬢」

1805年 100×70㎝ ルーブル美術館蔵

この作品は、アングルがイタリア留学を待たされていた時期に、自画像を含む友人、家族など親しい人びとの肖像を多く描いておりその中の一点です。

リヴィエール嬢は当時15歳、父親はナポレオン帝政の要人フィリベール・リヴィエールであり本人と妻を含めて3点の組肖像になっています。

残念ながらこの絵が描かれた年にリヴィエール嬢は亡くなってしまいました。

斜に構えたポーズにわずかな微笑み、美しく明朗な整然とした背景の自然から、アングルはこの作品をルネサンスの肖像画を意識して描かれたものと思われます。

 

アングルの代表作②「皇帝の座につくナポレオン」

1806年 259×162㎝ パリ軍事博物館蔵

アングルがイタリアに留学する直前に描いた作品です。

威厳に満ちたナポレオン1世が、右手にシャルルマーニュの笏、左手には「正義の手」の笏をもってこちらを威圧するかのように堂々と玉座に座っています。

衣装や装飾品、調度品がまるでフランドル絵画の祭壇画のように細部まで精緻に描かれています。

こうした表現によって肖像そのものよりも象徴的意味合いが強くなり、神秘性が生まれナポレオン自身により帝王としての威厳を持たせているのですが、サロンではこうした表現は時代錯誤と見られ非難されました。

 

アングルの代表作③「オイディプスとスフィンクス」

(部分)

1808年 189×144㎝ ルーブル美術館蔵

有名なギリシャの物語「オイディプスとスフィンクス」。

場所はテーベの町のはずれフィキオン山頂にある不気味な洞窟の前。コリントの王子として育てられたオイディプスが、有翼獣身の怪獣スフィンクスの出す謎に答えているところです。

そのなぞとは『朝には4本足、昼には2本足、夜には3本足で歩くものはなんだ?』というもの。答えは『人間』ですが、この謎に答えられなければスフィンクスに食べられてしまうため、後方では怯えた男が逃げようとしています。さらに画面手前、二人の足元には犠牲となった人々の足や骨が見えます。

多くの画家がこのテーマで作品を描いていますが、アングルのオイディプスは理想的な肉体美を持ち理知的で、まるで大人が子供の悪ふざけをたしなめているかのようです。

逆に怪獣として人々から恐れられているはずのスフィンクスは、豊かな乳房は光に照らしだされているのにその表情は影の中に没し、恥じらい戸惑っているかのようです。

 

 

アングルの代表作④「ユピテルとテティス」

(部分)

1811年 327×260㎝ エクス=アン=プロヴァンス グラネ美術館蔵

古代ギリシャの神ユピテルとテティス。『ジュピターとテティス』と言われることもあります。またユピテルはゼウスというギリシャの神々の最高神のことですね。

アングルがローマに留学中に描かれた初期の作品です。

アングルは二人を正面像と側面像として構成しました。

天界と神性を示すユピテルは『皇帝の座につくナポレオン』同様に威圧するかのように鑑賞者に対して正面を向き、テティスは「地上の原理」として横向きに跪いたポーズで描かれています。

さらにテティスの頭は後方に反らせ、上に向かうポーズと脱臼したかのように伸びあがる左腕は精神的な向上を示していると言われています。

 

アングルの代表作⑤「ヴァルパンソンの浴女」

(部分)

1808年 146×97㎝ ルーブル美術館蔵

アングルは独自の女性の理想像を追求した画家でした。

気に入ったポーズは何度となく作品に登場させています。この「ヴァルパンソンの浴女」もその一つで、20年後に描いた『小浴女』55年後の『トルコ風呂』など再三登場します。

裸婦と言えば正面から描くことが当たり前のようですが、アングルはあえて背中から描くことで柔らかな日に照らされた女性の持つきめの細かい肌質と、首筋から肩、背中、足へと続く流線型の柔らかなフォルムを際だたせています。

強く主張しがちな顔はわずかにまつげや鼻先がのぞくだけで、むしろ頭に巻いたターバンの赤色の模様が画面全体のアクセントとして目を引きます。左のひじもわざと布でくるむことで肘の骨格がつくる鋭利な形を隠し、さらにターバンの形と呼応しています。

しかしここでも重なる右足は異様に小さくどこから生えて来たのか分からない奇妙な位置についており、アングルが解剖学的正確さより構成的な美しさを優先させていることが分かります。

 

アングルの代表作⑥「グランド・オダリスク」

(部分)

1814年 91×162㎝ ルーブル美術館蔵

アングル第1回目のイタリア滞在中にナポリ王国の女王カロリ-ネより発注された作品ですが、結局女王の手には渡らず、1819年のサロンに出品されました。

しかしサロンではかなりの不評を買います。その原因はこのぬめりとした軟骨動物か爬虫類のような裸婦の肢体にありました。

長く引きのばされたその背中は、「椎骨が3つ多い」「左腕と右腕の長さが違う」などと多くの揶揄がなされたのです。

これらを当時の批評家はアングルの間違いととらえましたが、もちろんずば抜けたデッサン力を誇るアングルがそんなミスを犯すはずがありません。

アングルはわざと背中を引き延ばして描いたのです。

女性の肢体、特に背中に独特の魅力を感じていたアングルはそれをさらに強調し、芸術的な理想を求めてこのようなデフォルメをしたのですが…。その裏には当時の写真技術の急速な発達が関係していました。つまり絵画は写真にとって代わられる、との思いから、絵画をいかに写真と差別化するかが死活問題であり模索をしていたのです。その一環としてアングルはこうしたデフォルメを試みたのです。

 

アングルの代表作⑦「レオナルド・ダ・ヴィンチの死」

1818年 40×50.5㎝ パリ プティ・パレ美術館蔵

フランソワ1世がルネサンスの天才レオナルド・ダ・ヴィンチを看取っている場面。

ポーズや構成すべてが計算されていて演劇の一場面を見ているようです。

イタリアで活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチは、晩年をフランスで過ごしました。当時まだ芸術後進国だったフランスの王フランソワ一世に乞われてのことだったのすが、この地で最期の三年を過ごします。その時最後まで手放なさなかったのが『モナ・リザ』『聖アンナと聖母子』『洗礼者ヨハネ』の3点でした。レオナルドの死後これらイタリアの至宝である最重要作品がフランスに残されたため現在ルーヴル美術館にあるのです。

そのフランソワ1世が、レオナルドの最後を看取ったという証拠はありませんが、アングルはこの作品で偉大な芸術家とその庇護者である王との関係の理想像をこの作品で表現していると言われています。

 

アングルの代表作⑧「アンジェリカを救うルッジェーロ」

(部分)

1819年 175×190㎝ ルーブル美術館蔵

イタリアの詩人、ルドヴィーコ=アリオストの叙事詩「狂乱のオルランド」に書かれた世界中で最も美しい中国の王女アンジェリカの物語の一場面。

アイルランドの海岸で縛られて怪獣に襲われそうになっているアンジェリカを前半身が鷲、後半身が馬という想像上の動物ヒッポグリフに乗った騎士ルッジェーロが空から助けに来た場面です。

怪獣から逃れようともがくアンジェリカ、とても劇的で動的なシーンであるはずが、まるですべてが停止したような画面になっています。

動きが消失し静寂が支配するすべてが凍り付いたような印象を受けますが、こうした印象は画面がバラバラで統一感に欠けているととらえられ、批評家たちから不評を買いました。

 

アングルの代表作⑨「奴隷のいるオダリスク」

 

(部分)

1842年 76×105㎝ ウォルターズ美術館蔵

オダリスクとは中近東のハーレムにいる女性のことを言います。

アングルはこれとほぼ同じ構図の作品を39~40年に描いています。前作では奴隷の後ろが壁になっていて画面空間は閉ざされていますが、この作品では池のある中庭と、その奥に森や明るい空が見えます。

画面のほぼ中央に向かって収斂する整然とした線遠近法で構成されていて、いかにも古典主義という構成になっています。

オダリスクは腰をくねらせ官能的なポーズをとっていますが、どこか作りもののような、まるでエナメルのような光沢のある肌を持ち、箏を奏でる女もすべてが時間が止まったような不思議な雰囲気を称えています。こうした世界観はアングル独特のものと言えます。

 

アングルの代表作⑩「泉」

(部分)

1856年 163×80㎝ ルーブル美術館蔵

片足に重心をのせ、反対の足を弛緩させることで、体全体としては緩やかに大きくS字を描くこのポーズは『コントラポスト』と呼ばれ、古代ギリシャで生まれた様式でルネサンス期にミケランジェロなども多く用いたポーズです。

まるで陶器のように艶やかな肌に均整の取れたプロポーションは、リアルでありながら現実味がなくまさに裸体の理想像を体現したような作品とえいます。

1820年から制作は開始されていましたが、最後は56年に弟子によって完成されました。

 

アングルの代表作⑪「ルイ=フランソワ・ベルタンの肖像」

1832年 116×96㎝ ルーブル美術館蔵

 

モデルのルイ=フランソワ・ベルタンは、弟と共に「論争新聞(ジュルナル・デ・デパ)」を創刊した革命期の出版会の大立者であり実業家。

この新聞はシャルル10世の体制に反対し、ルイ=フィリップ政府を擁護する立場で、その政権確立に貢献しました。

 

今作はアングルの描いた肖像画の中でも屈指の名作と言われ、モデルの堂々たる体躯や精悍さなど当時のブルジョワ階級の典型的な姿が見事に表現されています。

しかし実際はこの絵のためのデッサンなどを見るとやはり年相応の老けた様子が描かれており、油絵として描かれるときにある程度の理想が入っているようです。

ベルタンの眼鏡と椅子の背もたれに窓が写っているところまで克明で写実的に描かれていますが、これらはラファエロやネーデルランドの絵画の影響です。

 

アングルの代表作⑫「聖サンフォリアンの殉教」

1834年 407×339㎝

聖サンフォリアンは古代ローマ時代におけるキリスト教迫害当時の殉教者です。

彼は農耕の女神キュペレの彫像の前にぬかずくことを拒否したため、オータンで斬首されました。

処刑の日、彼の母は高い城壁の上から息子が最後の息を引き取るまで励まし続けたといいます。

殉教の地オータンのサン=ラザール教会にあるこの大作は1834年のサロンに出品されましたが酷評されました。

以降アングルはサロンに失望し、それ以降サロンの出品を止めてしましいました。

 

アングルの代表作⑬「トルコ風呂」

 

1862年 直径108㎝ ルーブル美術館蔵

今作は何とアングル82歳の時の作品です。

直径約1メートルの画面に、アングルが終生追求してきた女性の裸体美のエッセンスが集約された作品です。

官能的ではありますが、きわめて知的な計画に沿って構成されています。

これまでに描かれた『ヴァルパンソンの浴女』や『奴隷のいるオダリスク』など数々の代表作が集められ、それらを相互的に関連付けた複雑な設計がされている、まさにアングル芸術の集大成的作品です。

この絵は59年に注文主であるナポレオン3世の従兄、シャルル公に引き渡されましたが、その妻が女性裸体の反乱ぶりに激怒したためすぐにアングルに返却されたそうです。

当初は正方形の画面でしたが、返却後アングル自身によって円形に切り取られ、手直しを加えて現在の形になりました。

女性の肉体が持つ流れるような曲線美こそアングルにとって至上の美だったのです。

 

 

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・『新古典主義の巨匠】ドミニク・アングルの生涯を詳しくご紹介します!

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