注目の記事 PICK UP!

『北方ルネサンスの巨匠』ブリューゲルの生涯と作風をご紹介します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回取り上げるのは、16世紀北方ルネサンス最大の巨匠ペーテル・ブリューゲルです。

昨年「バベルの塔」が日本で公開されたのに続いて今年も東京の都立美術館で『ブリューゲル展・画家一族150年の系譜』が開催されるなど、とても人気の画家です。

『バベルの塔』や『農民の結婚式』などは広告や美術の教科書にも載っているのでご存知の方も多いかもしれません。

ところで北方ルネサンスの「北方」とは一体どの辺りを指すのでしょうか?

美術用語としては、現在のドイツ、オランダ、ベルギー、北フランスといった北ヨーロッパの広い地域を指して使われています。

一般的に「ルネサンス」と言えばイタリアで花開いた「文芸復興」の芸術運動を指し、イタリアが中心ですが、ほぼ同じころ「北方」でも同じように新たな芸術が盛んになり、ファン・アイクやアルブレヒト・デューラーなど名だたる巨匠が生まれていました。

ブリューゲルもそんな16世紀「北方」で活躍した画家です。

 

目次

ブリューゲルってどんな人?

本名ピーテル・ブリューゲルPieter Bruegel

ピーターとかペーテルと発音されることもあります。

16世紀、北方フランドルで活躍した画家。(フランドルとは、現在のベルギー、オランダ、北フランス当たりにまたがる地方です)

ブリューゲルは画家一族で、息子たちもそれぞれ画家として名を成していて、長男が同名のため“ブリューゲル1世”や “大ブリューゲル” “ブリューゲル(父)”  と表記されることもあります。

幻想的な作品で知られるヒエロニムス・ボッス(ボッシュ)↓の影響を受け、版画の下絵師としてその画歴はスタートしました。幻想的で奇怪な世界や当時の風俗習慣などを細部まで徹底した細密描写によって描いた作風が特徴です。

当時の農民の暮らしを生き生きと表現したことでも知られ、“農民画家”“農民ブリューゲル”という呼ばれ方もされています。

しかし実際本人は都市部で活躍する大変学識豊かな教養人でした。

残念ながら40代の若さで没し、またブリューゲルに関する当時の記録が非常に少ないため、その生涯については謎の多い画家でもあります。

その作品はどれも驚異的なほど細部まで丹念に描かれているため、美術作品としてだけでなく当時の農民の生活や習慣、宗教感まで現代の私たちに教えてくれる歴史的資料としても貴重な存在となっています。

晩年の5年間は、アントウェルペンからブリュッセルに移住して大きく画風が変化しました。それまでの群衆を描いた活気あふれる場面から、広大な自然風景の中に人物を小さく配した作風が登場します。

それらはヨーロッパではあまり重要視されていなかった風景画の地位を引き上げ、17世紀のオランダの巨匠たちにつながる仕事となりました。

またブリューゲルは作品の複製版画を多く手掛け、それが広く行き渡っていたために生前から多くの人に親しまれていました。

ブリューゲルの生涯

ブリューゲルの生涯については残念ながら残された資料が乏しく、生年、生誕地なども詳しく分かっていません。

記録が残っているのは1551年にアントウェルペン(アントワープ)で画家組合(ギルド)の聖ルカ組合に”Peeter Brueghels”の名が登録されているのがはじめです。

この時代、通常の徒弟期間を終えるころを20代前半と考えると、1525~30年あたりの生まれと考えられています。

イタリアのある著述家が1567年に「ピエトロ・ブリューゲル・デイ・ブレダ」と彼に関することを書いていて、当時ブラバント公国にあったブレダという場所が出生地だろうと考えられています。

ブリューゲルはアントウェルペンで有名だった画家ピーテル・クック・ファン・アールストのもとで修業をしています。

当時アントウェルペンは、ブリュージュに代わって北海沿岸の主要港となっており、ヨーロッパ交易の一大中心地として発展の黄金期ありました。

人口は増え、美術品の流通も盛んになったため、全国各地から芸術家が集まる都市になっていたのです。

 

ブリューゲルは、クックのもとで修業した後、親方となって画家組合に加盟すると間もなく数年間イタリアで修業を積んだようです。

ローマでは細密画家ジュリオ・クローヴィオの工房に滞在し、彼との共作を残しています。その後ナポリ、シチリアなどを回り1553年にアントウェルペンに戻ったようです。

1555年から版画家であり印刷業者であったヒエロニムス・コックの版画下絵画家として仕事を始めます。この頃にはすでに没していたヒエロニムス・ボスの作品から影響を受けた作品を多く作っています。

1563年にかつての師匠の娘マイケン・クックと結婚しにブリュッセルに移ります。

この移住は、ブリューゲルとそれまで恋愛関係にあったアントウェルペンの女性とを引き離そうと、義母のマイケン・フェルフルスト・ベッセメルスが強く勧めたことによるものだといわれています。

1564年長男ピーテルが生まれる。

1565年富裕な銀行家二クラース・コンゲリングから『雪中の狩人』など1年12か月の連作を依頼される。

1568年次男ヤンが生まれる。

1569年9月に死去。

 

ブリューゲルの代表作

ここで簡単にブリューゲルの代表作をご紹介します。

詳しい解説はこちらの記事をご覧ください。⇒【作品解説】

「イカロスの墜落のある風景」 1556~58年 73.5×112㎝ ブリュッセル王立美術館蔵

 

「ネーデルランドの諺」 1559年 117×162.5㎝ ベルリン国立美術館蔵

 

「サウロの回心」 1567年 108×156㎝  ウィーン美術史美術館蔵

 

「バベルの塔」 1563年 ウィーン 美術史美術館蔵

 

「農民の結婚式」 1568年ごろ 113.5×162.5cm ウィーン 美術史美術館蔵

 

「怠け者の天国」 1567年 52×78㎝  ミュンヘン アルテ・ピナコテーク蔵

 

「穀物の収穫」1565年 118×161㎝ プラハ メトロポリタン美術館蔵

 

「雪中の狩人」  1565年 ウィーン 美術史美術館蔵

ブリューゲルの画風

ブリューゲルが活躍した時代、絵画は人々の道徳向上のために使われました。彼の物語絵もこの伝統を反映しています。ブリューゲルの代表作『イカロスの墜落』『ネーデルランドの諺』なども人間の愚行を象徴し諫めているのです。

そのためブリューゲルの描く人物たちは、愚かで卑しい存在として描かれていますが、どこかユーモラスで憎めない存在として感じられるところが興味深いです。

 

そしてこうしたテーマをきわめてリアルに、画面の隅々まで細部にわたって丹念に描き込まれているため、当時の風俗、習慣を知るための一級の資料ともなっています。

厳しい自然環境と相次ぐ戦乱に苦しめられながらも、逞しく生きる農民たち、ブリューゲルの絵からはそんな彼らの生活の雑踏や音楽が聞こえて来そうです。

しかしブリュッセルに移ってからは、群衆を中心とした構図から、『乾草の収穫』『穀物の収穫』雪の中の狩人』など広々とした風景を俯瞰した位置から眺めたような構図へと変化します。そこでは季節の移ろいや、雄大で時には厳しい大自然と、弱くちっぽけな人間たちが対比して描かれています。

またそれらは自然、風景といったそれまであまり重要視されてこなかったテーマにもスポットを当てたことで、続く17世紀以降に盛んになったオランダ風景画への一歩となりました。

 

ブリューゲルまとめ

いかがでしたか?日本でも人気のブリューゲルですが、まだまだ謎の多い画家でした。彼の残した作品はまさに『読む絵画』そのものです。ブリューゲルの作品はどれも精密に描かれているだけでなく人々のポーズや表情がとても生き生きと描かれいつまで見ていても飽きません。

先輩画家のボッスをの影響を受け、ブリューゲルを通して続くバロック時代のルーベンスなどオランダ絵画に影響を残したり、子孫にその技は受け継がれたりと美術史的にも重要な画家といえます。

関連記事

  1. George_de_la_tour

    【夜の画家】ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生涯と作風をご紹介します。

  2. 波乱万丈の人生!ポール・ゴーギャンの生涯を詳しくご紹介します!

  3. 『色彩の魔術師』アンリ・マチスの生涯と作品を解説します!

  4. ”万能の天才” レオナルド・ダ・ヴィンチその生涯と作品を分かりやすく解説!

  5. 【初期ルネサンスの花形画家】ボッティチェリの生涯を詳しくご紹介します!

  6. 【叫び】の画家エドヴァルド・ムンクの生涯と画風をご紹介します!

  7. モネの生涯を詳しくご紹介します!

  8. ポール・セザンヌの生涯を詳しく解説します。

  9. 『印象派の父』と呼ばれた画家カミーユ・ピサロの生涯を詳しく解説します!~後半~

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

人気記事

おすすめ記事

  1. 『エコール・ド・パリ悲劇の画家』世界一の売れっ子画家、私生活はアルコール依存と囚…
  2. スコットランド国立美術館展 THE GREATS 美の巨匠たち展 レポート
  3. あるのに見えない!謎とメタファーが満載!ハンス・ホルバイン作『大使たち』を読み解…
  4. 西洋絵画オールスター大会!?『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』展覧会…
  5. 『ミロ展ー日本を夢見て』を見てきました! [展覧会レポート]
PAGE TOP