こんにちは。管理人の河内です。
今回ご紹介するのはスペイン、カタルーニャ出身の20世紀シュルレアリズムの巨匠、サルバドール・ダリです。
ピンと跳ね上げた髭とギョロっとこちらを見据える写真が有名ですのでご覧になられたことがある方も多いと思います。
日本でもかなり有名な部類に入る画家で、福島の会津にはダリ美術館があるので行かれた方もいらっしゃるかしれません。
作品はもとより、その風貌や数々の奇行で逸話にはこと欠かない人物です。
彼の描く絵は、シュルレアリズムといって、人間の内面や無意識の世界を描いたもので、時にはグロテスクで気持ち悪さを感じさせる作品であったり、不穏な空気を漂わせるものもあるので、結構好き嫌いがはっきりする画家かもしれません。
その世界こそ、現実を越えた(sur=越えた、超)現実(realism=リアリズム)なのです。
ダリの描いた世界はかなり先進的で、現在のようにCGや特撮すらない時代に、あれほどの世界をしかもリアルに描いたことは驚きです。
今でこそCGやVFXといった映像技術の進歩によって超リアルな仮想空間がちまたに溢れていますが、ダリの作品を見るたびに、それらはどこかダリの世界を焼き直しているだけに見えてしまい、改めてダリの想像力の先進性に驚かされます。
目次
ダリってどんな人?
本名はカタルーニャ語でサルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク
スペイン、カタルーニャ州出身。
20世紀前半のシュルレアリズムの旗手として活躍した画家。
「シュルレアリズム」とは、フロイトの精神分析学をもとに、理性や常識に抑圧された「無意識の世界」や人間の内面を探ろうとした芸術運動のことで詩人のアンドレ・ブルトンらが提唱しました。
ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法(Paranoic Critic)と称していました。
多重露出したようなイメージを使って想像上の生物や風景を超写実描写で描き、夢のような不思議な世界を表現しました。
ぐにゃりと溶けたチーズのような時計を描いた絵は、テレビCMなどでも使われているので有名です。
ダリの作品は、その写実的技巧を凝らしたリアルな表現でありながら、実際の現実を描いたのではなく、夢の世界や自らの予感(まだ起こっていないがいずれ起こりそうだと感じる)世界といった潜在意識の中にしかない不可思議な世界、あるいはダブルイメージといった一枚の絵に複数のイメージが重って、見方によって全く別のものが見える不思議な作品を描きました。
昨今スペインからの独立運動で湧くカタルーニャ地方は、スペインでも独特の風土と気質を持った地方であり、ピカソやミロ、ガウディなど多彩な芸術家を輩出していますが、ダリは特にその風土に強く影響を受けた画家です。
作品に度々描かれ、ダリにとってカタロニアの風景は原光景でありイメージの源泉でもありました。1930年以降妻のガラとカダケスに移り住み、その風景は生涯にわたって重要なモチーフだったのです。
ダリは有名なポートレート写真からも分かるように、とても自己顕示欲が強く過激なパフォーマンスや発言をしました。しかしそれらは自信のなさの裏返しとも受け取れます。実はダリは潔癖症で、繊細な心の持ち主でありナルシストという複雑な性格だったのです。
そうした性格の背景には、彼の出生が深くかかわっていると言われています。
ダリには幼くして亡くなった同名の兄がいました。
息子を亡くし悲嘆にくれた両親が、その生き写しとして後に生まれたダリに同じ名前を付け、多大な期待を込めて育てたのです。
それが幼いダリには過重な負担であったとダリは次のように語っています。「私が関わってきた忌憚な言動のすべては、生涯にわたる悲劇的な恒常性である。私は自分が死んだ兄ではなく、生きている弟であることを自ら証明したかった。」
ダリはその風貌はもとより、過激な言動や奇行で世間を煙に巻きました。
ある講演会では潜水服に身を包んで登場しましたが、酸素注入が上手くいかずに窒息しかけたり、カリフラワーを満載したロールスロイスでスピーチ会場に乗り付けたりするなど話題作りに事欠きません。
大変自己顕示欲が強く「毎朝起きるたびに私は最高の幸せを感じる。『サルバドール・ダリである』という喜びを」という言葉を残しているように、「自分が一番」なダリでしたが、17世紀オランダの画家フェルメールだけは高く評価しています。「アトリエで仕事をするフェルメールを10分でも観察できたなら右腕を切り落としてもいい」とまで語っていました。
「天才になるには、天才のフリをすればいい」と人を食ったような言葉を吐き、それらがどこまで真剣(本音)なのか演出(パフォーマンス)なのか分からない人間でしたが、彼に近しい友人たちは、普段はごく普通で礼儀正しく思いやりのある人物であると語っています。
ダリは画家としては早熟で、美術学校に入る前から当時の最先端芸術である印象派やピカソ、フォーヴィズム、未来派などに興味を示し影響されています。
また妻のガラとの結びつきが非常に強いことでも知られていて、ガラはダリにとって女神ミューズであり、支配者でありマネージャーでもあり、ガラが先に世を去った後は落ち込みがひどく、ジローナにあるプポル城に引きこもり83年以降は制作をしなくなりました。
第2次世界大戦後には、原子物理学に興味を持ち、一方でカトリックに帰依し、妻のガラをモデルに聖母に見たてて科学と宗教の融合という独特の世界を描きました(↓)。
また演劇や映画の舞台衣装、セットのデザインを手掛けテレビに多数出演するなど、商業的にも大変成功した稀有な画家でした。
ダリがデザインしたジュエリー(↓)
ダリの生涯~ざっくりと
1904年、5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲラスで生まれました。
父は裕福な公証人サルバトール・ダリ・イ・クシで母はフェリパ。母方も裕福な商家の出でユダヤ系の血を引いているといわれています。
ダリは早熟で知的な子どもでしたが、情緒不安定で怒りっぽい性格でした。
ダリには幼くして亡くなった同名の兄がいて、そのことはダリに大きな心理的影響を与えたようです。
そういえば、ゴッホにも同じような話がありますね。
1916年12歳のときからデッサン学校に通います。
1921年母が死去。
1922年、首都のマドリードに出て、王立サンフェルナンド美術学校に入学。
そこで後にシュルレアリズムを代表する映画『アンダルシアの犬』を共同制作することになる映画監督ルイス・プニュエルと知り合います。
しかし入学してすぐに大学側と対立し退学処分になっています。
その後フィゲラスに戻り一人で制作をします。
この頃は、印象派やキュビズムの影響を受け様々な手法で作品を描いています。
1925年、マドリードのダルマウ画廊で初の個展を開きます。
1927年芸術の中心地パリに出て、ピカソやトリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、アンドレ・ブルトンらのシュルレアリズムの芸術家たちと出会います。
1928年シュルレアリズム映画「アンダルシアの犬」を制作。
1929年ポール・エリュアールが夫婦でカタルーニャ州カダケスにいたダリを訪ねます。その妻が後にダリの妻となるガラでした。ダリはガラと強く惹かれ合い後年1934年に結婚します。
同年正式にシュルレアリストのグループに参加。この頃にダリの作風スタイルが確立されます。
1936年 スペインでフランコ将軍が反乱を起こし内戦が勃発。
1938年ダリはフランコを支持し「ファシスト的思想」だとしてアンドレ・ブルトンがダリをシュルレアリストのグループから除名します。
またブルトンは、ダリの作品が商業的すぎるとして批判しています(ドルの亡者というあだ名をつけていたそうです)
しかし実際にはダリはお金には無頓着で、妻のガラが管理しておりガラが亡くなると途端に資産を失ってしまいます。
シュルレアリズム除名後も、ダリの人気が高かったためにグループの展覧会には参加していました。
第二次世界大戦中は、戦争を避けてアメリカに移住します。
1941年ニューヨーク近代美術館(MoMA)などで大回顧展開催。
戦後の1948年、スペインに帰国。ポルト・リガトのカダケスに居を定め、制作活動を行いました。
1950年代、ダリは化学に興味を持ち「原子核」の時代に。原子(力)、原爆等をテーマに作品を作る。
宝石のデザインをしたりテレビなどにも出演。
1965年 40歳年下のアマンダ・リアと愛人関係になる。
1974年フィゲラスの古い劇場を改装してダリ美術館として開館する。
1980年 利き腕の神経を損傷し筆が握れなくなる。
1982年妻のガラが死去。
1983年制作をやめる。
1984年寝室で起きた火災で大やけどを負いフィゲラスに移る。
1989フィゲラスのダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で年心不全を起こし1月23日病院で死去。享年84歳でした。
より詳しい生涯はこちらをご覧ください。
ダリの代表作
ここではダリの代表作を簡単にご紹介します。
詳しい作品の解説はこちらを合わせてご覧ください。『不可思議な世界』ダリの代表作を徹底解説!
「窓辺の人物」 1925年 103×75㎝ マドリード スペイン現代美術館蔵
「記憶の固執」 1931年 24.1×33cm ニューヨーク近代美術館蔵
「ナルシスの変貌」 1936~37年 50.8×78.3㎝ ロンドンテートギャラリー蔵
「欲望の謎、母よ、母よ、母よ」 1929年 110×150㎝ バイエルン州立近代美術館蔵
「目覚めの直前、柘榴の周りを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢」 1944年 51×40,5㎝ ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵
「パン籠 (恥辱よりは死を!)」 1945年 33×38㎝ ダリ劇場美術館蔵
「ポルト・リガートの聖母」 1950年 275×271㎝ 東京ミナミ美術館蔵
ダリの画風と技法
ダリはあるイメージと別のイメージを重ね合わせて表現するダブルイメージを開発しました。その表現方法を「偏執狂的批判的方法(Paranoic Critic)」と称しています。この描法によってリアルな描写を使って、夢のような非現実的な世界や非合理な無意識の世界を表現したのです。
その分かりやすい例がこちら(↓)
中央の白黒の部分が、二人のドレスを着た貴婦人と後ろを向いた人物が描かれていますが、彼らの後ろの白い部分を含めてみると、全体で大きな白黒で描かれた老婆の顔に見えます。
またこの有名な「柔らかい時計」が描かれた作品では、本来固いはずの時計と柔らかいカマンベールチーズが合わさったイメージで表現されています。
ここまでは、一般的学術的にダリの技法についてよく言われることですが、画家の目から見れば、なんといってもこのぬるっとした質感の描写と、午後の強い西日を彷彿とさせる光と影の表現。この2点にこそ着目したいと思います。
このぬるっとした質感による「気持ち悪さ」と、どこか「郷愁を誘う」光の表現こそがダリ芸術の真骨頂だと感じます。
分かり難いかもしれませんが、例えば初期のころに描かれたこちらの「パン籠」の絵などは、ダブルイメージでもなくただの「パン籠」が描いてあるだけなのにどこか普通ではない「シュールな」、不穏な雰囲気を纏っていると感じられないでしょうか?ただ技巧を凝らして丁寧に描いただけ、それでも他の誰でもない「ダリが描いたパン」だ、とわかるところが実はすごいことだったりします。
ダリの技法についてはこちらも合わせてご覧ください。
まとめ
いかがでしたか?作品よりもむしろ強烈な自己表現と突飛な言動で、知られるダリですが、それらは今でいう「ブランド力」と言えるものではないかと思います。
ダリは作品そのものが素晴らしく時代の先端を行ったことはもちろんですが、一方で「天才・ダリ」を演じることで一つのブランドとして唯一無二の存在となり、その上で大成功したそれまでにはない新しいタイプの画家だったと言えますね。
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