こんにちは。管理人の河内です。
いよいよ平成が終わり令和という新しい時代が始まりましたね。
上皇になられた前天皇、新しく即位された新天皇のお言葉にも“象徴としての天皇”という言葉が何度も出てきました。
これにかこつける分けではありませんが、この“象徴”という言葉、西洋美術の世界でもとても大切なワードということで今回はお話ししてみたいと思います。
西洋の美術の底流に脈々と伝えられてきたこの”象徴”。
そしてもう一つ同じような意味を持つ”アトリビュート”、”寓意”というものがあります。
これらについて知ることは、美術館や画集などで絵画をご覧になるとき、それらをより正確に、より深く理解するための大きな手助けとなります。
どれもちょっと硬い言葉ではありますが、出来るだけわかりやすく解説してみたいと思います。
目次
私たち日本人は、絵を見るとき「きれい」とか「美しい」「迫力がある」といった純粋に目( =感覚 )を楽しませてくれることに重きを置きますよね。
素敵な絵を見た時『モネの睡蓮は色がすばらしい!』とか『ゴッホの絵は情熱的だ』などという感想をよく聞きますが、これらはあくまでも個人的な感覚から得た感想にすぎません。
一方、西洋ではこうした感覚以上にあるいはその前提としていろいろな“約束事”が決まっており、それを解した上で絵画を鑑賞する伝統があります。
つまり美術鑑賞は感覚的行為ではなく知的行為であるということになります。
絵画を“見る”のではなく“読む”と言ったりもしますね。
2000年代初頭に大流行した《ダ・ヴィンチ・コード》などはそうした流れから生まれた小説(映画)だといえます。
美術作品において、作者がこの作品で何を言いたかったのか?何を表現しているのかを、そのルール(約束事)に沿って解釈することで、個々の受け手が勝手に間違った解釈をしないように決めてあるのです。
例えば作品の中にAが描いてあれば、それは「Bの場面を描いているのだな」とか、肖像画に描かれた人物がCを持っていれば「これはD」という人だなと明確に分かるのです。
そしてこのAやCに当たる約束ごとが”象徴”や”寓意”、そして次にご紹介する”アトリビュート”なのです。
《象徴》の他にももう一つ重要なキーワードがあります。
それが《アトリビュート》です。
一般的にはなかなか馴染みのない言葉ですが、やはり西洋美術を読み解く上でとても重要な言葉ですので是非覚えておいてください。
アトリビュートはラテン語の「tribuere」という言葉に」由来しています。
これは、「与える、授ける」という意味で、与えられ付与された属性や付属物を意味し、描かれた人物が誰なのかを特定するアイテムのことをいいます。
ですのでそれ自身で何かを意味する“象徴”(シンボル)とは違い、それ自身に何か意味があるわけではなく誰かに持たれたり、一緒に描かれたりすることでその意味を持ちます。
例:白い百合の花は聖母マリアのアトリビュート・・・白い百合の花が描かれていることで、この女性が聖母マリアであるということを意味しています。
ではなぜ西洋絵画にはこうした約束事があるのでしょうか?
歴史をさかのぼってみると西洋美術における絵画の役割は、特に中世以来、当時の大多数であった文字の読めない人たちに、聖書の内容を目で見て分かってもらうための道具として用いられたのがその大きな理由です。
近代に入るまでヨーロッパでは、聖書はラテン語という古くて難しい文体で書かれていたことや、農民など一般の人々が満足に教育を受けられず文字を読めない人が多くいました。
そのため文字が読めるということは主に聖職者や貴族などの特権でした。
教会ではキリスト教を布教し一般の人々を教化するために、絵画を使って聖書の内容をかみ砕いて説明していたのです。
簡単に言うと、幼稚園で絵本を読み聞かせたり、会社の会議でパワーポイントを使って分かりやすく説明したりするというのと同じなんですね。
こうしたことから、近代以前の西洋美術と言えば宗教的な題材のものが多いわけです。
でも絵画では具体的なモノは描けても抽象的なものは描けません。
例えば天使やマリア様は、見たことがなくても一応羽の生えたこどもや美しい女性を描いてこれが「マリア様ですよ」といえば伝わりますが、“平和”や“悪徳”“勤勉”など抽象的な概念は描けませんよね。
それを見える形に置き換えたものが象徴”や“寓意”とよばれるものなのです。
みんながそれを見ると「アレを意味している」と了解できる約束を決め、それに乗っ取って絵画を読んでいくわけです。
そうすることで絵画に描かれた世界を見えている以上に深く、広くイメージできるようになり、絵画鑑賞に厚みが出て来るのです。
しかしこれとよく似たことは日本でもありますよね。
例えば家紋。
菊の花は天皇家を表し、葵の御紋が徳川家を表します。
それがある寺社や仏閣を見ると、ここは天皇家とゆかりのある場所なんだと私たちは分かるわけです。
美術の場合でも“松・竹・梅”はとても目出たいことを表し、鶴や亀は長寿を表すことは日本人なら共通理解していますよね。
このようなものは、どこの国でもその国や民族の長い歴史に根差して生まれたことなので、これらを知っておくことで感覚的な『美しい』とか『きれい』だけでなくより深く異文化理解ができるわけです。
19世紀の後半になり社会の近代化が進むにつれて、こうした宗教的、伝統的な芸術観はなくなっていきましたが、新しい芸術家たちはそれぞれが新たな寓意を作り出してもいます。
”寓意”のことをアレゴリーとも言います。
ギリシャ語の「アレゴリア(別の仕方ではなすこと)」という言葉から来ています。
複雑な意味や物語を擬人化したり、別のもので置き換えたりすることで、もっと複雑な意味や物語を暗示し、目には見えないものを見える形で表現することに使われてきました。
古来より《死》は大鎌を持つ骸骨(死神?)として描かれてきました。
17世紀のオランダで、“静物画”というジャンルが生まれます。
そこでは身の回りの日常品が描かれましたが、そこには多くの場合《この世で得た富や、栄光、美といったものはいずれ潰えてしまう儚く、むなしいものである》という意味合いが込められていました。
つまり目に見えているのはたんなるグラスや花なのに、それ以上の意味や物語を持たせている、それが寓意画です。
とくに17世紀のオランダで流行したこのような作風を《ヴァニタス》といいます。
キリスト教的な《永遠性》の中では、人間界の栄光などはすべてむなしく最後の審判によってすべてが無に帰すという考えがその背景にはありました。
こうしたヴァニタス画に特によく登場するモチーフに人間の頭蓋骨があります。
これには「メメントモリ」(=死を想え)というメッセージが込められています。
あと美しい花や金貨、煌びやかな装身具などは富を表し、カードやサイコロは幸運を表しているというように、一見すると豪華なモチーフが並んでいるので何も知らずにこうした作品を見ると、貴族の部屋や海賊のお宝の山のように見えるかもしれませんが、その実の意味は「今は美しかったり価値があるように見えても、そんなものはいずれ朽ちてしまうよ」という寓意が込められていたのですがそう思って見ると、同じ作品でも感じ方が違ってこないでしょか?
こうした“ヴァニタス”は16世紀にドイツで起こった宗教改革によるプロテスタンティズム、特に厳格なカルヴァン主義の影響下で生まれました。
当時、富と権力を独占し、それにおぼれているカトリック教会に対抗するための、道徳的な教えを広める手段であり信仰へと導くために描かれたものだったのです。
さらにキリスト教が生まれる以前は、古代ギリシャの時代から人間の「徳と罪」または「悪徳と美徳」が寓意的な表現テーマとして用いられてきました。
とくに「美徳」は擬人化された女性像で描かれることが多く、「悪徳」は動物のかたちで表され、「美徳」が「悪徳」を踏みつけるというかたちで描かれます。
キリスト教では「美徳」には信仰・希望・慈愛という神学的なものと、正義。賢慮、節制、剛毅という市民的なものに分けられ、「悪徳」には諸悪の根源として傲慢・貪欲・淫欲・憤怒・大食・嫉妬・怠惰という「七つの大罪」があげられています。
こうした徳と罪の寓意的表現は、ルネサンス期以降教会や聖堂だけでなく世俗的な価値と結び付けられ大きく広まりました。
いかがでしたか?
西洋美術における重要な要素である“象徴”と“寓意””アトリビュート”について、それらがどういうもので、どういういきさつで生まれて来たかをご紹介してきました。
より深く西洋美術の世界に入っていくためのツールとしてお役に立てていただければと思います。
「印象派は好きだけど、古い昔の油絵はちょっと暗いし難しそうで良く分からない」という意見をよく耳にしますが、そこにはあまり私たちに馴染みのない聖書や文化の違いがあり、そうしたことを少しでも知っておくと昔の油絵を見る目も少し変わるかも知れません。
次回はこうした象徴や寓意がどのように絵画に表れているか具体的な事例をご紹介していきたいと思います。⇒【寓意と象徴】絵に描かれたものには裏の意味がある?
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