こんにちは管理人の河内です。
今回はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラフェアエロと並ぶイタリアル・ネサンス三大巨匠の一人、ミケランジェロ・ブオナローティをご紹介します。
3人の中で唯一の彫刻家で「ピエタ」「ダヴィデ」像などの大理石彫刻でとても有名ですね。
またカトリックの総本山、バチカンのシスティーナ礼拝堂を飾る壁画「天地創造」や「最後の審判」でその画業は「神のごとき」と称えられるほど画家としても大天才でした。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチは「万能の天才」といわれましたが、それでも人間止まり、”神の如き”とうたわれたのは長い西洋美術の中でもミケランジェロをおいて他にはいません。
また生前にその伝記が出版された初めての芸術家ともいわれます。
そんなミケランジェロとはいったいどれほど凄かったのでしょうか?
ミケランジェロの作品と生涯、数々のエピソードをご紹介しながら神のごとき天才に迫っていきたいと思います。
目次
本名ミケランジェロ・ディ・ロドヴィコ・ブオナローティ・シモー二
15世紀イタリアで花開いた芸術復興運動であるルネサンスを代表する彫刻家、画家、建築家。
かのドイツの文豪で詩人のゲーテは、ミケランジェロの「最後の審判」を見てこう言いました。
「一人の人間のなしうる偉業の大きさを知りたければ、この絵の前に立つがいい」
キリスト教カトリックの総本山、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の広い壁面と天井を埋め尽くす壮大なフレスコ画。
正面に最後の審判、天井には聖書の天地創造の物語が一面に描かれ、これを一人の人間が描いたかと思うと誰もが「神のごとき」と唸るに違いありません。
私も実際現地で何度か見ましたがそれはもう何度見ても圧巻です!
2016年に「神ってる」という言葉が流行語になりましたが、まさにその元祖です!
これら「天地創造」や「最後の審判」などその画業で「神のごとき」と称えられたミケランジェロですが、彼自身は画家ではなく彫刻家であると断言し、そのことに誇りを持っていました。
さてそんな大芸術家の性格や人間性はどうだったのでしょうか?
実はミケランジェロは若くして類まれな才能を開花させ名声を得ていましたが、気難しくて怒りっぽく社交的とは程遠い性格で終生孤独な人間でした。
その理由のひとつに若いころの喧嘩で鼻を折られて曲がってしまい、それをコンプレックスに感じていたのではないかと言われています。
しかしその喧嘩の原因となったのが、自らが才能あふれるあまり彼の取った尊大な態度が同世代の芸術家の嫉妬を買い激怒させたことにありました。
簡単にいうと周囲を見下していた「才能はあるが嫌な奴」だったのですね(*´з`)。
逆にそうした性格が、システィーナ礼拝堂天井壁画という神がかった一大事業を成し遂げさせたのです。
これだけの大事業ですから初めは何人も助手を使っていたのですが、彼らの仕事ぶりに納得がいかず、解雇してしまい結局ほとんどすべてを一人で仕上げてしまったのです。
しかしミケランジェロは、その名声とは逆に私生活はというと質素の極み、貧者のような生活を送っていたようです。というか仕事以外についてはほとんど無頓着、無関心で衣食住などは必要最低限の暮らしぶりだったといいます。
このようにミケランジェロは孤独を好み陰鬱な性格のため終生独身でした。
また作品からもお分かりのように男性の裸体に並々ならぬ思いを抱いていたために同性愛者だったとの話もありますが、晩年ヴィットリア・コロンナという貴族の未亡人に贈った愛を綴る詩や手紙が残っており定かではありません。
1475年ルネサンスの中心地フィレンツェの近くで生まれ育った彼は、父の反対を押し切ってフィレンツェで大工房ギルランダイオのもとで修業をします。
ミケランジェロは自らの芸術に師はいないと語っていましたが、実際には古典から同時代まで様々な芸術を意欲的に学び吸収していました。
最も初期のころに描いたとされる初期ルネサンスの巨匠マザッチォやジョットなどの模写が残っています。
10代で当時フィレンツェの最高権力者であり芸術家最大のパトロンであったロレンツォ・デ・メディチに見いだされその才能はさらなる飛躍を見せます。
奇跡とまで言われた代表作「ピエタ」や「ダヴィデ」は20代半ばにして制作し、製作途中から世間の評判を呼びました。
ローマでは最大の権力者である教皇ユリウス2世をパトロンとして、システィーナ礼拝堂の天井画で画家としてもその名声を確固たるものとしました。
ミケランジェロは美術史上最も偉大な芸術家の一人であり本来は彫刻家でありながら、他のルネサンス期の芸術家たちと同様に絵画、建築、詩など幅広い活躍をし、そのどれもが超一流でした。
しかし敬虔なカトリック教徒であった彼は、その才能に甘んじることなく修行者のように自らに厳しくサディスティックに追い込んでいました。
それを示すような言葉がいくつも残されています。
「私がこの芸術の域に達するまでにどれほどの努力を重ねているかを知ったら、芸術家になりたいとは誰も思わないだろう。」
「どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、天才なんて呼べないはずだ。」
「優れた芸術を創造し、優れた仕事をするためには一生懸命に倦まず緩まず働くことだ」
「天才とは永遠の忍耐である」
こうした姿勢こそが天才であり神がかった作品の根底にあったのです。
当時としてはとても長寿で89歳まで生き、死の数日前までノミを振るい続け、長寿を全うした彼の葬儀はフィレンツェで盛大に行われました。
1475年行政官であった父の赴任地カプレーゼで生まれ、生後すぐにフィレンツェに移る。
セッティニャーノ石切り職人に預けられる。
大理石の石切場の近くで育ったため、後に「自分は乳と一緒に鉄槌やノミを吸い取った」と語るように大理石に親しんで育ちました。
幼くして芸術に興味を示したミケランジェロは、13歳で父の反対を押し切りフィレンツェのギルランダイオの工房に弟子入りします。
当時のフィレンツェ最高権力者であり芸術の大パトロンであったロレンツォ・デ・メディチに才能を見いだされ、その保護のもと技術を磨き哲学などの教養を身に着けました。
しかし1492年ロレンツォの死去に伴いミケランジェロはその庇護を失い状況は一転します。
同じころフランス軍のフィレンツェ侵攻と修道士サボナローラの扇動によってメディチ家がフィレンツェを追放されミケランジェロもフィレンツェを去ります。
1496年枢機卿ラファエーレ・リア―リオに招聘されローマに赴きサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」を制作。
1498年フィレンツェに帰還。
1504年代表作「ダヴィデ」像を制作。
レオナルド・ダ・ヴィンチとの天才対決となるヴェッキオ宮殿の大広間で、壁画「カッシーナの戦い」を委嘱されるも途中で断念。
1505年教皇ユリウス2世によりローマに招聘され墓碑の制作を依頼される。
1512年システィーナ礼拝堂天井壁画完成。
1529年神聖ローマ帝国、フランスとの戦争に巻き込まれフィレンツェ防衛に携わりますが、フィレンツェは降伏。捕らえられる危険から身を守るためにメディチ家礼拝堂の地下に隠れ住む。
1533年60歳の時にバチカン「最後の審判」を依頼される。
ヴィットリア・コロンナと交際。
74歳で主任建築師としてサン・ピエトロ大聖堂の改修に没頭。
1564年88歳で死去。遺体はフィレンツェに運ばれ埋葬されました。
ミケランジェロの生涯をより詳しく知りたい方はこちらの記事もご覧ください。
ここで簡単にミケランジェロの代表作をご紹介します。
詳しく知りたい方はこちらもご覧ください。
バッカス 1496~97年 高さ203㎝ バルシェロ国立美術館
ピエタ 1498年 サン・ピエトロ大聖堂
ダヴィデ 高さ410㎝ 1501~4年 アカデミア美術館蔵
聖家族 1503~04年 テンペラ画 直径120㎝
システィーナ礼拝堂天井壁画 1508~12年 バチカン宮殿
アダムの創造 1511年 システィーナ礼拝堂
瀕死の奴隷 1513~16年 ルーヴル美術館蔵
最後の審判 1541年 14.4m×13.2m バチカン宮殿 システィーナ礼拝堂
モーセ 1542~45年 ローマ サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂
ロンダ二―二のピエタ
1564年 ミラノ・スフォルツェスコ城
同じルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチはこの世のあらゆる事象に興味を示し、絵画にとどまらず広範囲に科学的研究をしましたが、ミケランジェロは逆に人間の裸体にしか関心がなかったといっても過言ではありません。
「人間は神の姿に似せて創られたものであり、この世界で真に美しくまた真実を語るものは裸体である」と述べているように彫刻、絵画とも裸体にこそ真実を見出しその美を追求し続けました。
ミケランジェロの技法の特徴は、彼の残した言葉が物語ってくれています。
「私は叡知に導かれて、石の中にひそむ芸術作品を取り出しているに過ぎない。」
「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ。」
「余分なものを取り除いていくことにより、彫像は完成していく。」
これらの言葉が示すように、ミケランジェロは像を彫るというよりは、彼の目には鮮明に完成像が見えており、それを石の中から取り出しているような感じを受けます。
それが彼の彫りかけ途中で残された作品から見て取ることが出来ます。
まるで石の中に閉じ込められた人物が、もがきながら浮かび上がって来ているように感じませんか?
通常、立体作品である彫刻を掘る場合は、360度いろんな角度からバランスを見ながら掘り進めます。しかしミケランジェロは石の正面からレリーフを掘るように掘り進めていることが分かります。
これは非常にバランスの取り難い彫り方といえます。
ミケランジェロ特有の体をよじったポージングは特にそう思えるのですが、そこがやはり天才の証なんでしょうね。
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