こんにちは。
管理人の河内です。
今回は、オランダ・バロックの巨匠レンブラント・ファン・レインの代表作『夜警』を取りあげたいと思います。
レンブラントの代名詞ともいえるこの『夜警』、美術の教科書などにもよく乗っているのでご覧になった方も多いと思いますが、現存するレンブラントの作品の中では最大のものです。
この作品は、オランダの首都、アムステルダムの国立美術館に所蔵され、管理人も2度ほど実物を見に行ったことがあります。
このような有名な作品には様々なエピソードや逸話がつきものですが、今回はそうしたものをご紹介していきたいと思います。
目次
この作品はレンブラントが生きた17世紀当時の町の自警団『火縄銃手組合』の発注で制作された集団肖像画です。
縦3.5メートル、横4メートルを超す大作で、なんと世界の三大名画のひとつに数えられるほどの名作です。(あと二つはご存知レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』とベラスケスの『ラスメニ―ナス』またはエル・グレコの作品も含め4大名画と数えられることもありますが、『世界の三大美女』と同じく誰がどのような基準で決めたかなどは定かではありません(;^_^A)
あまりに有名なこの絵についてはこれまで数々の研究論文や書物が書かれてきました。
レンブラントの弟子サミュエル・ファン・ホーフストラーテンは『これは着想において実に画家らしく、動きにすばらしく勢いがあり、あまりに力強い』ので並んで横に掛けられた他の絵が『トランプのカードみたいに』見えたと書いています。
実はこの作品、ここまでさんざん『夜警』とご紹介してきました(英語タイトルはNight watch)が、じつは本来は特にタイトルがなく単に発注主である火縄銃手組合という自警団のひとつ『バニング・コック隊長の自警団』というものでした。
そしてなんと第2次大戦後の科学的調査で「昼間に出動する」場面だったことが判明しているのです。
しかし『夜警』はすでに18世紀末から『夜警』と呼ばれてきました。
ではなぜ皆が「夜の出動」だと疑わないほどこんなに暗い絵なのでしょうか?
答えは簡単、画面の保護用に塗布されたニスが、時間とともに変色して黒くなってしまったからというなんとも拍子抜けな理由からでした。
この絵が描かれた17世紀当時のオランダでは、こうした『集団肖像画』が一つの絵画ジャンルとして確立し、とても人気がありました。
注文主たちは、画家に均等に料金を支払い絵に描いてもらっていたのですが、当然修学旅行の記念撮影のように、皆が同じ大きさで公平に描かれるのが常識でした。
しかしレンブラントはこの常識を破り、隊長と副長をメインに光を当てとても目立つように描いたのです。
人によっては顔が半分切られたり、影の中に追いやられたり他人の手で隠されたりと散々な描かれ方をされている人もいます。
これでは同じ金額払いたくありませんよね(;^_^A
反対に主役となった隊長は大喜びで自宅に記念として水彩画による複製まで依頼したとか。
そのため脇役にされてしまった自警団のメンバーたちは支払いをしないとクレームをつけますが、これに対しレンブラントは「私は過去の画家のように、単純な構図や表現は用いない」と語りっており、この作品がただの記念撮影ではなく一つの芸術表現として描いたことがわかります。
結局は大きく描かれた人が多めに支払い一件落着したそうです。
ではどうしてレンブラントはこのような当時としては “非常識な” 構図にしたのでしょうか?
それは、レンブラントはこの作品で自警団が今まさに出動しようとする緊張感や勇ましさを劇的な動きや臨場感をもって再現しようとしたからでした。
このような自警団は、そもそもスペイン帝国からオランダが独立を勝ち取った当時、自国を守るためにオランダ諸都市で生まれたものでしたが、レンブラントの時代にはすでに儀式的なものとなっていたようです。
しかしレンブラントはその本来の意味をこの絵で表現しようとしたのではないでしょうか。
隊員たちは旗を掲げ、太鼓や槍をもち、銃をつがえるなど正に戦に出るかの如く『正装』で描かれています。
中央では後に『レンブラント・ライト』と呼ばれる上斜め45度から差し込む光に照らし出される隊長フランス・バニング・コックと副官のウィレム・ファン・ロイテンブルク(黄金の服に儀式用の槍を持っている)隊長の命令のもと今まさに出動しようとしています。
こうしたドラマチックな作品に仕上げるためにはどうしても“非常識な”構図にならざるをえなかったのです。
勇ましく出動する自警団の中、中央やや左奥にいるはずのない女性が一人目を引きます。
不自然なほどの光に照らされた女性は、レンブラントの妻サスキアだとされていますが、なぜこのような勇ましい場所に少女がいるのでしょうか?
その理由は昔から諸説唱えられてきましたが、その一つに少女は腰に水牛の角と鶏をぶら下げていることからそれらが「食べ物」と「盃」を表し、この二つで「宴会」を象徴しているというものです。
当時から「宴会」はグループの結束や団結を強める重要な要素であり、それによって隊員たちは仲間となり士気が上がったのです。
現在でもゴルフや草野球の後の“飲み会”や会社の忘年会などが自分たちの仲間意識を高めるのに重要な要素であることは誰にでも心当たりがあると思います。
そもそもこの「夜警」自体が宴会場となる大広間に飾られるために発注されたものであるためこれによってレンブラントは自警団の「結束」を表現したと考えられています。
この傑作が完成した1642年は、レンブラントが妻のサスキアを亡くした年でもあったためこの絵に彼女を描き込んだのかもしれません。
この絵は1715年までアムステルダムのクロフェニールスドゥーレン(マスケット銃兵会館)にありその後市庁舎に移されました。
レンブラントの作品はなぜかよく災難に見舞われることでも知られています。
別の作品《ダナエ》などは、暴漢に硫酸を浴びせられた上、ナイフで切りつけられたことがありました。
そしてこの《夜警》はさらにひどく、何度も災難にあっているのです。
一つ目は、1715年に展示場所が市庁舎に移された際、作品の大きさと展示場所が合わず、四辺を切り取られたというのです。
そんな理由で「世界の三大名画」のひとつを簡単に切ってしまうなんてちょっと信じ難いですよね。
そして1980年には管理人もニュースで見たのを憶えていますが、暴漢にナイフで12か所以上も切り裂かれるという事件が起こりました。
この時はもうだめかと思いましたが、大変な苦労の末にようやく修復され現在の形に戻りました。
いかがでしたか?
管理人も大好きなバロックの巨匠レンブラントの代表作『夜警』まさか
昼間の出動を描いた作品とはご存知ない方も多かったのではないでしょうか?
その才能で若くして巨匠の仲間入りをし、栄光を究めたレンブラントですが、後半生は坂を転げ落ちるように不幸や災難に見舞われます。しかしそのどん底でこそ深い精神性を帯びた普遍的な肖像画を数多く残しました。
人生の頂点と奈落の底を味わったレンブラントについてはこちらに詳しい記事がありますので是非ご一読ください。
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『オランダバロック~魂の画家』レンブラントの代表作を解説します!その①
『オランダバロック~魂の画家』レンブラントの代表作を解説します!その②