こんにちは。管理人の河内です。
今回はルネサンスの集大成をしたともいえる若き天才ラファエロの代表作をご紹介します。
ラファエロと言えば聖母子像が有名ですね。生前になんと50枚ほど描いているそうですが、それ以外にも広大なバチカン宮殿を飾る壁画など、師匠のペルジーノに始まってレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどからも次々と技法や様式を吸収して自分のものとし、ルネサンス絵画の集大成をしました。そしてその完成された画風は、後の西洋美術のお手本となったのです。そんなラファエロの代表作を解説していきたいと思います。
目次
1504年 170×117㎝ ミラノ ブレラ美術館蔵
ラファエロ初期の傑作です。
ペルージャ近郊チッタ・ディ・カステッロのサン・フランチェスコ聖堂サン・ジュゼッペ礼拝堂のための祭壇画として制作されました。まだ師匠のペルジーノの影響を強く感じさせる作品ですが、同時に明晰な構図と優美な筆致は師匠のそれを越えたことを感じさせます。
この絵に描かれているのは、聖母マリアが14歳の時に、神殿の司祭長のもとへ天使が現れ「国中の独身者に一本、杖を持たせて集めよ。そして杖の先に花の咲いた者を(聖母マリアの)夫として選べ」とのお告げを受けて、国中の独身男性を集めたところ、大工のヨセフが手にする杖にだけ花が咲き彼が神によって、聖母マリアの夫として認められ結婚したという内容です。右側の男たちは敗れた求婚者たち。手前の男は怒って自分の杖を追っています。
フィレンツェの名門ストロッツィ家の女性マッダレーナと、アーニョロ・ドーニ夫妻の肖像画。ラファエロ作品の中で唯一の夫婦揃った肖像画です。
伝記作家ヴァザーリは、アーニョロ・ドーニは他の面では締まり屋であったが、絵画や彫刻に関しては出来るだけ節約しても進んで金を費やす人」であると書いていて、ラファエロは彼の抜け目のなさを見事に表現しています。
細部にわたる繊細な質感表現は、北方フランドル絵画からの影響で、風にそよぐ頭髪の1本1本まで丁寧に描かれていてラファエロ作品の繊細さをよく示しています。
また妻のマッダレーナは、『モナ・リザ』と同じポーズを取らせており、背景の澄んだ景色や「スフマート(ぼかし)技法」による柔らかなグラデーションなどレオナルドの影響を色濃く感じさせます。
ドーニ家は、同じ頃ミケランジェロにも「聖家族」(↓)の円形画を注文して今に伝わっており、この二つの名作を所有したことで歴史にその名を留めることになりました。
これら夫婦の肖像画は、1862年にドーニ家からトスカーナ大公レオポルド二世に譲渡されました。
1504年 84×55㎝ ピッティ美術館蔵
ペルージャからフィレンツェに出てきた頃の作品です。
ウフィッツィ美術館に残る素描から当初はトンド(円形画)として構想されていたようです。フィレンツェ時代、レオナルドの「スフマート(ぼかし)技法」を取り入れており柔らかで深みのある表現で描かれています。
また聖母子の背景には風景が広がっていましたが、後世の所有者の意向で現在のように黒く塗りつぶされてしまいました。
1799年トスカーナ大公のフェルディナンド三世が購入し、私的な旅行の際にも持って行くほど気に入っていたことからこの呼び名がつきました。
1507年 122×80㎝ ルーブル美術館蔵
明るく澄んだ色調で牧歌的な風景の中で聖母子と聖ヨハネ三人が描かれています。
母性を前面に押し出した表現は、ラファエロの描く聖母子像の特徴で、幼子イエスに優しく手を取り、伏し目で慈しむような優しい聖母の表情は当時から人々に愛されました。
また幼子二人の躍動する動きは、ミケランジェロからの影響が見てとれます。
1514年 265×196㎝ ドレスデン国立絵画館所蔵
教皇ユリウス2世からサンシスト聖堂の祭壇画として依頼された作品です。
聖母子が光に包まれて雲に乗り、地上に降臨するかのような幻想的な演出でラファエロが自身で最後まで完成させた最後の聖母子像です。
中央に聖母子を挟んで、左に聖シクストゥス、右に聖バルバラ、下方に二人の愛らしい天使がかかれ、大きなひし形を形作る構図が見て取れます。
聖シクストゥスは、ユリウス2世の出身であるデラ・ローヴェレ家の守護聖人で、下部の二人の天使はいろいろなメディア、広告などで使われていますので目にされたことがあるかも知れません。
1514~15年 82×67㎝ ルーブル美術館蔵
ラファエロの友人であり蓮ルネサンス文学を代表する『廷臣論』(廷臣としての規範を示している)を著したカスティリオーネを描いた肖像画。
この作品もまたおなじみ「モナ・リザ」ポーズです。
豊かな髭を蓄えていますが、どことなく中性的な柔らかさを感じさせます。
黒と白、グレーを基調にしたほとんどモノクロに近い色調で描かれ、皮膚や髭、毛皮に至るまで繊細でリアルを超えた迫力を感じます。
私、管理人個人としてはラファエロの技術が最も完成された作品だと思います。30代にしてこの驚異的な完成度は、もしラファエロの寿命がもっと長ければどれほどの高みに行ったか恐ろしいほどです。
1516年頃 85×64㎝ ピッティ美術館蔵
この肖像画像のモデルについて、伝記作家ヴァザーリはラファエロが死ぬまで愛し続けた女性フォルナリーナとしていますが、ルクレツィア・デラ・ローヴェレとも言われています。
またポーズや白い衣装から花嫁を表していて、ラファエロの妻となるはずだったマリア・ピピエーナの面影を見る人もいます。
1514年 ピッティ美術館蔵
ラファエロの聖母子像の中でも特に有名で人気のある作品です。
「トンド」と呼ばれる難しい円形の板の中に、安定した調和のとれた構図で描かれていてラファエロの技量の高さが伺えます。
ラファエロ最後のトンド(円形画)で、当時ラファエロはヴェネツィア派に関心を示しておりその影響で色彩は派手になっています。
このある意味美しすぎる理想化された作品は、モデルも注文主も分かっておらず様々な伝説を生み出しました。
その一つに、ラファエロが偶然通りかかった田舎で、天使のような美しいこどもたちとその母親を見て心打たれ、あり合わせの材料で酒樽の蓋に描いたと言います。
1507年 107×77㎝ フィレンツェ ウフィッツィ美術館蔵
ヴァザーリによると、友人ロレンツォ・ナージの結婚の祝いに描かれた作品です。
1548年にナージの家が地滑りで壊れた際、この絵もばらばらになりましたがその後修復されました。
鳥のひわには赤い斑点があり、それはキリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かう途上、キリストの額からトゲを抜いたときにその血の一滴を浴びたためと言う伝説があり、そのためひわは受難の象徴として描かれています。
その後ひわは豊饒の象徴ともなりました。そのためここでは友人の結婚を祝う意味も込められているそうです。
ラファエロは1504~8年までフィレンツェに滞在していてこの間レオナルド・ダ・ビンチから直に勉強し影響を受けていくつかの美しい聖母子像を描いています。
この作品もその一つであり、いわゆる「三角構図」がそれを示しています。三角構図とは、画面に大きな三角形を形作るように人物を配置することで、安定した構成を作る技法です。
1509~10年 底辺770㎝ ヴァチカン宮殿
教皇ユリウス2世は、若干25歳のラファエロを大抜擢してヴァチカン宮殿の教皇居室「署名の間」という最も重要な場所の装飾に当たらせました。
その壁面には「神学」「哲学」「芸術」「道徳」の四つの分野が描かれており「アテナイの学堂」はその一つです。
この題名は、この壁画の上に描かれた女性像に”カルサルム・コグニティオ”という銘文が描かれていたことから、17世紀フランスの旅行案内書がつけたもの。
その意味は哲学の定義、『物体の根本からの理解』を意味していて彼女が手にする書物は“道徳”“自然”という表題があり、それを代表するのがここに描かれているアリストテレスとプラトンなのです。
こうしたキリスト教と古代哲学の統合という主題は、教皇ユリウス2世の文化理念が反映されています。
壮大な建築空間の中に古代の偉大な哲学者や聖職者であるプラトン、アリストテレスをはじめソクラテス、ピタゴラス、プトレマイオス、ゾロアスター、ヘラクレイトスなどが一堂に会したところが描かれています。
中央にプラトン(赤い衣服を身につけ天を指差し)と、アリストテレス(前方を指差しています)を配し、ラファエロは彼らを尊敬する先輩たちの肖像として描いています。
プラトンはレオナルド・ダ・ビンチ、その手前の階段に腰掛け頬杖をついては沈思しているヘラクレイトスはミケランジェロ、右の前景でコンパスで地面に図表を書いているユークリッドが建築家ブラマンテの肖像となっています。その背後の右から二番目に慎ましく顔を覗かせこちらを見ているのがラファエロ本人です。
1511年 294.5×225㎝ ローマ・ヴィラ・ファルネージ
ルネサンス絵画でよく用いられた手法に左右対称の構図があります。
ラファエロのこの作品ではそれが顕著にまた見事に表されています。
中央の海の精ガラティアを中心に、他の登場人物が渦を巻いているダイナミックな構成になっています。
左前景のニンフ(妖精)と海神は、右奥のケンタウロスと人魚(?)の二人と対となっていて、同じような身振りを反転した位置で繰り返しています。
一番下のプット(翼を持つこども)は一番上の弓を引き絞るプットと呼応しており彼らも反転した位置から見られています。
ただ単純に左右、上下の対称に終わらずに人物を見る視点まで反転させたことで、この作品の渦を巻くような流れと浮遊感を与えてくれています。
1517~20年 405×278㎝ ヴァチカン宮殿絵画館蔵
ラファエロ最後の傑作といわれている作品です。
制作途中でラファエロが世を去ったために彼の工房によって完成されました。
ナルボンヌの大聖堂を飾る重要な仕事であったため、ラファエロは苦労を惜しまず制作しヴァザーリによって「至高の完成度」に達していると称えられています。
この絵の構図は上下に分かれており上方では復活したイエス・キリストがモーセとエリヤの中心に出現し、下方では悪霊に取り憑かれた少年が、使徒たちのところに連れてこられ癒やされるという場面が描かれています。
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