こんにちは。管理人の河内です。
今回は20世紀最大の芸術家パブロ・ピカソ、彼の最初期の芸術スタイルである「青の時代」を取り上げてみたいと思います。
「ピカソの名前は有名だし絵も見たことあるけど、何が描いているのかわからない」などという意見はよく聞きます。
しかし実際に一般の方に分かりづらい作品とは、いわゆる「キュビズム」以降の作品で今回ご紹介する「青の時代」の作品は割とどなたでもすんなり入ってくるのではないでしょうか?
それを言い換えるならばピカソがピカソのなる前の時代、または始まりの時代、それが「青の時代」と言ってもいいかもしれません。
今回はそんなある意味“ピカソらしくない“「青の時代」に描かれた代表作をいくつか取り上げながら解説してみたいと思います。
目次
ピカソはその長い芸術家人生の中において、常にスタイルを変え続けた稀有な画家でした。そしてそれこそがピカソにピカソたるゆえんといっても過言ではありません。
そしてその最初のスタイルこそが「青の時代」なのです。
ではその「青の時代」とはいつ頃をさすのでしょうか?
それは一般的には1901年から1904年頃をさし、ピカソが19歳から23歳ごろまでパリと故国スペインバルセロナを行き来していた時代にあたります。
これは後で述べる友人との悲劇の体験がその発端となったということはピカソ自身が述べています。
この時期全般を通して制作された作品は、まさに「青の世界」ブルーの色調で覆われています。
その画面には若者が持つエネルギーや明るさとは正反対の(これもまた若さの証明だと思いますが)孤独や絶望、病や貧困、死といった負の感情が支配し、それらを当時の老人や女性、盲人、乞食といった虐げられ社会底辺で生きる人たちをモチーフに描きました。
ピカソは若くして故郷のスペインではある程度画家として認められるようになっていました。そして19歳の時に友人のカサへマスとともにパリに出るのですが、そのカサへマスこそがピカソを青の時代へと導くきっかけとなりました。
当時のパリは前衛芸術の中心地でありヨーロッパ中から若い芸術家が集まってきていました。
そんな刺激的な街で若い二人は絵の勉強や制作に励みますが、ある時カサヘマスが絵のモデルをしていたジェルメールという女性に恋をしてしまいます。
しかし彼女はすでに人妻であったうえに数多くの恋人を持つ奔放な性格の女性でした。
内気な性格のカサヘマスは、そのことで思い悩み憔悴していきます。
それを見かねたピカソはいったん彼を故郷に連れ戻しますが、彼女が忘れられないカサヘマスはパリに舞い戻ってしまいます。
ピカソのいないパリで、カサへマスは友人たちを集めてとあるカフェでパーティーを催します。
もちろんそこにはジェルメールも招待されていました。
カサへマスはそこでジェルメールに思いのたけを伝えます。
しかしジェルメールはもちろんその申し出を断ったのですが・・・
なんとカサヘマスは突如ピストル取り出しジェルメールを撃ったのです。
さらにその銃口を自らのこめかみに向けて引き金を引きました。
幸いジェルメールはかすり傷を負った程度で済んだもののカサヘマスは20歳という若さで亡くなってしまいます。
これがまさにピカソの青の時代の始まりでした。
親友をこのような形で失った悲しみや彼の思いを知りながらこの結末を防げなかった自責の念でピカソ自身打ちのめされてしまったのです。
この事件によってピカソはうつ病となりその人生観までも変わってしまいました。
そしてピカソの視線はパリの華やかな面ではなく暗い影の部分に向けられるようになっていきます。
絵のモチーフもそれまで描いていた華やかで刺激的なパリとそこで生きる人々ではなく憂鬱や貧困、孤独、絶望、病、死といった人生の負の側面に向けられ、それらを背負い虐げられた人々をブルーの色調に支配された世界で表現するようになったのです。
ではここでいくつか青の時代の代表作を見てみましょう。
この絵のモデルであるハイメ・サバルテスは、後にピカソの評伝やカタログなどの文献を記したピカソの友人です。
青年ピカソがまだパリに出る前、バルセロナのカフェでたむろしていたころからの知り合いでピカソがパリに出ると、このサバルテスもピカソの後を追ってパリに出ました。
この肖像画はそのころに描かれたもので、サバルテスはこの絵を「青い鏡の中に新たな地平線がかすかに光出したピカソの芸術の新たな局面を見ているようだ」と書いています。
こうした記述からは当時哀しみの縁にあったピカソの感情は、実はピカソの個人的な心情にとどまらず世紀末の暗澹たる空気を彼ら若い世代が共有していたものともとらえることが出来ます。
ピカソはこの年の一月パリから帰国しこの作品をバルセロナで仕上げました。
彼は当時バルセロナの町や貧しい男女たちの抱擁などをテーマとして描いていましたが、この時期に「青の時代」は最も深まりを見せ、この作品はその象徴であり完成形ともいわれている大作です。
ここに登場する男性の顔を、ピカソは初め自分の顔を描きました。
しかしその後、彼は死んだ親友カサヘマスの顔へ描き直しています。
そして男性にしなだれている女性はおそらくカサへマスの恋したジェルメールだろうと推測されています。
また男性のポーズはイエスキリストが復活した際、マグダラのマリアにある有名なセリフ「私に触れるな」を言うときのポーズでもあるのです。
そして右手には赤ん坊を抱いた母親、これも聖母子を思わせキリスト教的な解釈もできそうですが、生まれるはずのないカサへマスとジェルメールの子供ではないかと唱える説もあります。
カサへマスは性的に不能だったとも言われていて、実らない恋であることと重ね合わせれば二重の意味で幻想の子どもであるとみることもできます。
そして彼ら三人は同じ空間にいるようで誰も視線を合わせずうつろでお互いの存在に気づいていないのではないかと思えるほどです。
画面中央奥には悲しげに抱き合う二人の人物と膝を抱える女性が描かれていますが、こちらも空間的にも不安定で様々な解釈があり作品全体を通して不穏で陰鬱な世界が表現されています。
ピカソが20歳の時に描いた作品「海辺の母子像」。
じつはこの絵の下にはスプーンが入ったお酒のグラスと二人の女性の絵が描かれていたことが90年代に行われたX線撮影によって分かっています。
さらに近年NASAが惑星の地質調査をするために開発した技術を応用した「ハイパースペクトル・イメージング」という技術を使った研究では、そのさらに下層には何と新聞紙が貼られていたことが分かりました。
また「悲劇(海辺の貧しい家族)」の下からは死にかけた馬が、さらにその下からは闘牛の絵が描かれていたことがわかっています。
こうしたことからピカソが当時経済的に非常に困窮していたことがわかります。
管理人も経験がありますが、新しいキャンバスを買うのにさえ窮していたピカソは同じキャンバスに何度も絵を上書きしていたのです。
実はこの頃ピカソは友人で詩人のマックス・ジャコブと一緒に暮らしており、一つのベッドを二人で交代で使っていたり、暖を取るためにピカソ自身の絵を燃やしたりしていたほどでした。
その困窮の理由は「青の時代」特有の暗く陰鬱な絵にはなかなか買い手がつかず絵が売れなかったことにあったようです。
このように実は「青の時代」の背景には、友人の死という精神的苦悩とこうした経済的苦境という不安定な要素さらには世紀末という時代の享楽的退廃的な空気などが複合して生まれたと見ることができるのではないでしょうか。
いかがでしたか?
一般的に「青の時代」は、数あるピカソの時代の中でその発端であり、その契機となった親友カサヘマスの自死と、それによる哀しみそしてそれを止めることができなかった自責の念がピカソを突き落としたことから始まったといわれています。
しかし実はそれだけでなく当時のピカソが経済的にも非常に苦しい時期でもあり、またパリに漂う世紀末の享楽的退廃ムード、時代の重苦しい空気の下で病や貧困、孤独、絶望にあえぐ人々がいました。
こうした状況を青年ピカソは鋭敏に感じ取り、不安定で悲しさをまとった「青の時代」が生まれたといえるのではないでしょうか。
管理人自身この記事を書くに当たって改めてそう感じました。
その後、ピカソはフェルナンド・オリビエという恋人を得て精神的安定を取り戻し、続くバラ色の時代でピカソの名声は一気に上がっていくことになるのですがそれはまた別の機会に取り上げたいと思います。
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