「色彩の魔術師」といわれた20世紀美術の巨匠アンリ・マチス。
その作品は、まるで音楽のように見る人を癒し、幸福感を与えるために描かれました。
彼の長い画歴の中から代表作をご紹介します。
目次
1897年 個人蔵
タイトルから察すると、お手伝いさんらしき女性が、食事の準備をしているように見えますが、フランス語のタイトルで「La Desserete」となっており、これは上流家庭の食後の跡片付け用の別のテーブルを意味するそうです。
一見自然な描写のようですが、マチスはすでに印象派の影響と、フォーヴィズムへと続く強い色彩と単純化に向かいつつある頃の作品です。
しかしサロン審査員を納得させるために、画力を見せる必要があったので、マチスはテーブルの果実、ガラスの表現などあえて写実的な表現を残して描いています。
1904年 オルセー美術館蔵
写生に基づかないで描いた初期の作品。
サントロペの海岸や、松の木などいくつかのモチーフをデッサンしたものを、紙の上で再構成して描かれました。
1902年以降マチスは新印象主義の画家ポール・シニャックの強い影響を受け、彼のもとでこの作品を描きました。
シニャックは線を否定していましたが、皮肉にもこの作品でマチス自身には線は重要で、自分には点描は合わないと自覚します。
しかしシニャックはこの作品を気に入り購入しています。
1905年 サンフランシスコ現代美術館蔵
第2回サロン・ドートンヌ(秋のサロン)に出品されてスキャンダルを起こし、フォービズム(野獣派)と呼ばれるきっかけとなった作品です。
ドランらと共に展示されていたこの作品の、鮮烈な色彩と大胆なタッチを見た批評家ルイス・ボークセルズが放った言葉からそう呼ばれるようになりました。
それまでの印象派的な色彩分割から一歩進んだ記念碑的な作品でもあります。
対象の色と全く関係なく、輪郭を示す線も使わず、現実の模倣を捨てて感覚による色彩のみで表現することで絵画の自律性をしめしています。
モデルはマチス夫人のアメリ―で、実際は黒い衣装を着てポーズをとっていたそうで、マチスが感覚と想像によって画面上で大胆な色彩構成をしました。
マイケル・スタインによって購入されています。
1905年 ニューヨーク・ホイットニーコレクション蔵
「コリウールの開かれた窓」とも呼ばれる。
1905年の夏にコリウールに滞在したときに描かれたもので、「帽子の女」と共に同年秋のサロン・ドートンヌに出品されました。
窓枠、壁、海とヨットにいたるまで固有の色とは無関係に配色され、ここでも色彩は赤と緑の対比が強く印象付けられています。
その双方の様々なトーンが対立しあったり引き合ったりと純粋な視覚的面白さが特徴といえます。
1906年 グルノーブル絵画彫刻美術館蔵
マチスは布を重要なモチーフとして多くの作品を描いています。
この絵でも布の装飾性や平面性を利用して独特の色彩構成と雰囲気を画面に与えています。
この構図からはセザンヌの影響が見て取れます。
しかしこの頃は画面全体が平面性を求めつつも、布のひだや長椅子に覆われた布が、依然遠近法的で三次元的奥行きを暗示しており、まだ途中の段階であることが分かります。
1905年 コペンハーゲン国立美術館蔵
マチス、フォーヴィズム作品の中でも最も大胆な作品の一つです。
まず目を引くのが鼻筋に入った緑です。形は単純化され大胆な色の配色が印象的ですね。
緑色の線で顔の中心を分けら左側が暖かな色調、右側が暗い影を感じる色調で描かれていますが、その表情は反対に左側が冷たくきつい表情、右側が穏やかな表情に見えます。
夫人をモデルに人間の多様な内面を表現しているのかも知れません。
1905年バーンズコレクション
1906年のサロン・デ・アンデパンダン展に出品されましたが、その鮮烈な色彩でまたもや非難を浴びました。
しかしピカソはこれに衝撃を受け、かの『アヴィニヨンの娘たち』を制作したと言われており、マチスにとっても記念碑的な作品です。
この作品は、後に描かれる代表作「ダンス」の原点とも言われ、それをうかがわせる人物群が中央奥に描かれています。
美術評論家によればアゴスティーノ・カラッチ「両想い、または黄金時代の愛」や16世紀のポール・フラマンの「黄金時代の愛」を下敷きにしていると言われています(↓)。
1908年 エルミタージュ美術館蔵
ロシアの富豪でコレクターのセルゲイ・シチューキンが自宅のダイニングルームに飾るためにマチスに依頼して描かれた作品です。
実はこの作品は、もとは緑の部屋でした。
しかしシチューキンから青にするよう言われて描き直され「青のハーモニー」としてサロン・ドートンヌに出品されましたが、これに不満だったマチスが再度赤で塗り直して「赤いハーモニー」となったといわれていますが諸説あるようです。
1910年 エルミタージュ美術館蔵
ロシア人貿易商でありマチスのパトロンであったセルゲイ・シチューキンに依頼されて描かれた作品。
シチューキンはあまりの大胆さから一度は受け取りを拒否しますが、結局はモスクワの18世紀風の邸宅に飾られました。
このころマチスは複数の裸体を平面的に処理して大画面を構成するということを考え続けており「生きる喜び」などにも関連した作品です。
数多くの習作を経て完成しました。わずか4色で大胆に配色され、青とオレンジの補色を使って強い印象を与えています。
人物は太い輪郭線でしなやかに表現され、動きは軽やかでまるで空中を飛んでいるようです。
1912年 プーシキン美術館蔵
1912年にモロッコを訪れた際、マチスは現地の人々が、金魚を飽きずに眺めている平穏なライフスタイルに感銘したといいます。以来金魚はマチスにとって心の平安を象徴するモチーフとなり、しばしば作品に登場するようになります。
そのため画商からは「金魚の巨匠」と呼ばれていました。
この絵では、金魚の鮮やかな赤色と水槽を取り囲む葉の緑が好対照となって、より強い印象を与えています。
また背景の装飾的に描かれた花やテーブルのピンクと葉や柵の薄い緑、水色などが対照となっています。
このような赤と緑、オレンジと青などは”補色”と呼ばれ、並列しておかれることでお互いを強め合う効果があり、ゴッホなども作品に効果的に使っています。
補色については【ゴッホの技法】も合わせてご覧ください。
1915年 ニューヨーク近代美術館蔵
1912年、13年に訪れたモロッコの町を描いた作品です。
画面は3つのパートに分割していますが、背景の黒が全体を絞め、また3部分すべてにある丸形によって画面がバラバラにならずにリズムと統一感を与えています。
ピンクや黄色などの暖かく明るい色と背景の黒のコントラストが、北アフリカの強い日差しを物語っているようにも思えます。
画面左下が一見すると単純化されすぎて分かりづらいですが、祈りを捧げるモロッコ人たちです。
左上の部分には建物やメロンの木が描かれ、北アフリカのカスパへの入り口を示しており、右部分は装飾的な表現で具体的に何が描かれているかは定かではありません。
1921年 パリ国立近代美術館蔵
第一次ニース時代に描かれた一連のオダリスクの一つ。
「オダリスク」とはハーレムの女性のことです。
絨毯や壁紙などイスラム芸術の影響から、装飾的でオリエンタリズムの影響を強く受けていたことがうかがえます。
背景は壁紙によって色面分割され、屏風の反復する幾何学的な模様が装飾的かつ平面的であるのに対して、女性の誘うようなポーズと体だけ陰影による肉付けが用いられ官能的な作品となっています。
1939年 オルブライト‐ノックス・アートギャラリー蔵
ソファーに腰かけた女性がギターを奏で、隣のクッションに座る女性がそれを聴いており二人の間には楽譜がある構図です。
赤、緑、青、黄の四色がほぼ均等に用いられ、黒と肌色が補助的に用いられています。
赤と緑は定番の補色ですが、青には黄色で対をなしています。
色相環ではオレンジが補色になりますが、感覚的にはオレンジだと少し暗く感じられるのでマチスは青に黄色を対称としてよく用います(ゴッホやフェルメールなども得意とした組み合わせです)。
この完成作にいたるまでの、下絵の進展の様子が数枚の写真として残されており、その間マチスが様々な構図を試し、工夫していたことがうかがえます。
1940年 パリ国立近代美術館蔵
マチスの作品の中でも最もよく知られている作品かもしれません。
マチスはこの作品を描くために9か月に及ぶ試行錯誤を繰り返しました。
マチスは「これしかない!…と人に言われたくて私は何年も仕事をしてきた」と打ち明けているように、顔や張り出した肩、刺繡の大きさなどを幾度も変え、単純化と洗練さを目指してこの作品に行き着いたのです。
1952年 パリ国立近代美術館蔵
1938年ごろより始めたマチスの切紙はこの「王の悲しみ」によって大成したといわれています。
ここでいう王とは誰の子とかは定かではありませんが、研究者の間ではダヴィデかソロモンといわれています。
中央にギター、左右に緑と白に黒の人物らしき形が見えるほか、すべて装飾的な模様で、まさに楽し気な音楽が聞こえてきそうな色彩のリズムに溢れた作品です。
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