この記事ではルネサンスの「万能の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作を解説しています。
目次
1476~78年頃 ナショナルギャラリー蔵(ワシントン)
南北アメリカ大陸で唯一公開されているレオナルド初期の作品です。
モデルは当時16歳だった貴族の娘ジネーヴラ。
知識と教養豊かな女性であったそうで、絵の裏側にはリボンの絵が描かれており、そこに「VIRTUTEM FORMA DECORAT (美は徳を飾る)」と彼女を賛美する言葉が書かれています。
この絵はルイージ・ディ・ベルナルド・ニッコリ―二との結婚記念として描かれたと言われています。
もとは手の部分まで描かれた構図でしたが後に切り取られてこの形になったそうです。
1572~73年 ウフィツィ美術館蔵
レオナルドが完成させた作品の中では最初期のもの。
受胎告知は中世よりキリスト教絵画の最もよく知られる題材の一つ。
大天使ガブリエルがマリアの純潔を象徴する白百合を持って跪き、そのお腹に神の子を宿していることをマリアに知らせている場面です。
その時マリアは左手を上げ驚いているというよりは落ち着いてその運命を受け入れているようです。
二人の衣装や背景、地面を覆う野草に至るまで丹念に写実的に描き込まれ若きレオナルドの天性がこの絵にとてつもない気品を与えています。
1489~1490年頃 チャルトリスキ美術館蔵 ポーランド・クラクフ
ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾だったチェチーリア・ガッレアーニをモデルに、レオナルドがミラノ滞在中に描かれた作品です。
ダヴィンチは生涯4点しか女性単体で描いておらず、そのうちの一点。
他は「モナ=リザ」、「ジネーヴラ=デ=ベンチの肖像」、「ミラノの貴婦人の肖像」で、「ミラノの貴婦人の肖像」もこのチェチーリアがモデルといわれています。
現在ではレオナルドの真筆と認められていますが、後世様々な手を加えられているらしく、背景も黒く塗りつぶされており、オリジナルの様子とはずいぶん印象が違うんでしょうね。
またチェチーリアが抱いている白貂には様々な意味が込められています。
白貂は「貞潔」や「美徳」の象徴とされており、また白貂はギリシア語で〝galay”といい彼女の姓‟Gallerani“のごろ合わせとしても使われています。
さらに白貂は王侯貴族の衣装に使われることから所有者が上流階級であることを示していたり、アーミン勲章を受章したルドヴィーコを表す私的意匠としても使われていたりと読み解くと結構複雑なんですね。
1483~86年 ルーヴル美術館蔵
ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会の礼拝堂を飾るために注文された作品。
ロンドンナショナルギャラリーには弟子たちによって描かれたほぼ同一の構図作品があります。
2点ともほぼ同じ構図で聖母マリアと幼子イエス、洗礼者ヨハネと天使ウリエルが岩窟の中に描かれています。
しかしこちらルーヴルの方に描かれている二人いる幼子はアトリビュート※が描かれておらず、どちらがイエスでどちらが洗礼者ヨハネか判別がつきません。
しかし天使ウリエルが左方を指さしており一段高いところに描かれていることから、左がイエスである可能性が大きいと考えられています。
1495~97年 サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会
レオナルドの作品で「モナ=リザ」と並んで有名なのがこの「最後の晩餐」ですね。
2003年(日本では2004年)に発表され、映画にもなって大ヒットしたダン=ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」で取り上げられて脚光を浴びましたよね。
当時のミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、修道院の食堂を飾るために描かれた作品です。
現在ではこのドメニコ会修道院とサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会とともに世界遺産に登録されています。
完璧な一点透視図法のもとに、キリストを中央に12人の使徒が3人ずつ4つのグループに分かれ、まるで舞台のワンシーンのように整然と構成されています。
レオナルドがこの作品で最も力点をおいたのは、人物たちの心理描写でした。
12人の使徒たちにイエスが「この中に私を裏切るものがいる」と語った衝撃の瞬間、聖書の中でも最も緊張感のある瞬間です。
使徒たちそれぞれの動揺、困惑、驚きなど内面の複雑な動きを芝居のように表情と身振りで表現しています。
当時の慣例では裏切り者のユダは、一人テーブルをはさんだ位置に置かれてあからさまにこれがユダだ、と分かるように描かれていましたが、レオナルドはユダも含め登場人物全員を一直線にならべました。
ではどの人物画ユダかというと、向かってイエスの左側、3人目。
少しのけぞるような姿勢で描かれています。
キリストに裏切りを見透かされて動揺しているのです。
そして手にはイエスを売った銀貨の入った皮袋を握りしめて↓。
技術的にはレオナルドは当時最もポピュラーだったフレスコ画で描かずに油絵、テンペラなどを壁画に実験的に取り入れました。
ゆっくりと熟慮を重ね慎重に仕事を進めるレオナルドにとって、漆喰が乾かないうちに一気に描かなくてはいけないフレスコ画はレオナルドの作風には馴染まなかったのです。
しかしそれが元で既にレオナルドの存命中に遜色や剥離が始まっていました。
また一時期馬小屋としてこの場所が使われたことから湿気によりさらに激しく痛み、
さらには第二次大戦中に修道院が爆撃を受け、建物自体が破壊されたことで決定的に傷つきます。
しかしなんと奇跡的に絵のある壁だけは破壊を免れ、そのおかげで私たちが現在も見ることが出来るのです。
1503~07年頃 ルーブル美術館
世界一有名な絵といっても過言ではないでしょう。
ルーヴル美術館の至宝「モナ=リザ」
世界有名な肖像画でありながら、その本当のモデルが誰だったのか未だ議論されているなど500年たった今でも世界中の人々の関心を引き付ける名画ですね。
レオナルドより少し後の時代、画家であり伝記作家であったジョルジュ・ヴァザーリが著した「美術家列伝」の記述から、モデルはフィレンツェの裕福な商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・ジェラルディーニとされています。そのためフランス語では「ラ・ジョコンド」と呼ばれています。
しかしその後幾多の女性がモデルとして疑われてきました(ジュリア―ノ・デ・メディチの愛人コンスタンツァ・ダヴァロス、マントヴァ公爵夫人イザベラ・デステ、ミラノ公妃イザベラ・ダラゴーナなど)。
しかし最新の研究ではやはりヴァザーリのいうジョコンド夫人だったという証拠が見つかったといいます。また現在のモナ=リザの下に別の絵があったことがわかってきました。
そしてそれこそがジョコンド夫人リザの肖像のではないでしょうか。
しかし理由は分かっていませんが、この絵は依頼主に渡されることなくレオナルドが最晩年まで手元に置き手を加え続けました。
その結果、長い時間をかけジョコンド夫人から離れ、ある種レオナルドの理想の人物像となっていったのではないかと私は思います。
1508年頃 ルーヴル美術館蔵
聖母マリアと幼子イエス、マリアの母アンナの3人を描いた作品です。
これもレオナルドが死ぬまで手元に置いた作品のうちの一枚。
幼子イエスがその受難の象徴である子羊と戯れ、そっと抱きかかえようとする聖母マリア。それを一段上から優しく慈しみの表情で見守る祖母アンナ。
一見穏やかな家族の情景であるが、背景は恐ろし気で峻厳な山々が描かれています。
これもまたイエスのこれからを暗示しており、その運命を知っているかのように物悲しい複雑な表情を浮かべる母娘。
この二人をよく見てみると、アンナの膝の上にマリアが乗るという珍しい構図で描かれています。この異様な二人の絡み合い、無理なポージングから引き伸ばされた二人のプロポーションなど人体構造に精通していたレオナルドにしては不可解な点が見えてきます。
一説にはアンナを大きく描いたのは、人間を超えた地母神として描いたためだという説もあります。
1514年頃 ルーヴル美術館蔵
最晩年の作品で、レオナルドが最後まで手元においた3点のうちの一点。
モデルは弟子のサライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)だと言われています。
イエスに洗礼を授けたヨハネ。天に向かって差し出した人差し指は、天から救世主イエス・キリストの到来を予告し改悛を促していると言われています。
修行者、伝道者ヨハネのアトリビュートは十字架と毛皮の衣。
荒野で修行していたヨハネは髭面の瘦せこけたいかにも求道者として描かれることが多いのですが、レオナルドのこの作品では若くふくよかで中性的に描かれています。またモナ=リザとは違がった不敵な笑みは妖しい印象を与えていますね。
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