こんにちは。管理人の河内です。
今回はドガの代表作を詳しくご紹介してみたいと思います。
ドガと言えば「踊り子」のイメージが強いですが、それだけにとどまらず同時代のパリに生きる女性たちのリアルな日常を描いた画家でした。
美術史的には『印象派』に分類されることの多いドガですが、その表現法は実はモネやルノワールといった『印象派』の”王道画家”たちとは全く真逆、極めて伝統的な技法を使ったある意味『王道』の画家でした。
晩年は視力低下に悩まされながら、パステルや彫塑など様々な技法を研究して独自の世界を展開しました。
目次
1858-60年 200×250㎝ オルセー美術館蔵
ドガの最初期の傑作で、イタリア滞在の成果として描かれたものです。
ドガは、フィレンツェで学んでいた間にナポリから一時的に亡命していた叔父のジェンナーロ・ベレッリ一家のもとで滞在したいました。
その滞在中に一人ずつ入念なデッサンをし、それらをもとにパリのアトリエで完成させたものです。
この作品は家族の肖像であると同時に服装や家具調度品なども丹念に描かれており、当時の上流階級の生活を反映しています。
数年にわたる予備研究とスケッチを経て入念に仕上げられたこの作品は、ドガが死んだ後にそのアトリエで発見されました。
左手の叔母のラウラは、精神状態が不安定でノーローゼ気味でしたが、ドガはこの叔母を慕っており、彼女が家族の中では絶対的な存在であったことがその威厳あるポーズや表情からも分かります。反対に主人である父親は一人背中を向け、背を丸めて表情も薄暗い影の中でよく見えず弱い存在感で描かれています。ラウラに肩を抱かれて立っている愛らしい少女が従妹のジョヴァンナ。彼女はお転婆でしたがここでは行儀よく白いエプロンに手を合わせてこちらを見ています。
4人の家族は誰一人視線を合わせることはありません。この作品からは、家族のどこか冷たく疎遠な緊張した関係が伝わってきます。
1865年 73.7㎝×92.7㎝ ニューヨークメトロポリタン美術館蔵
見事に生けられた秋の花々(シオン、ダリアなど)白や赤、紫、黄色などが艶やかの咲き誇っており、ドガの作品としては希少な静物(花)が前面に押し出された作品です。大きな花瓶の横で女性が肘をついて寛いだポーズをとっています。この女性はドガの友人ポール・ヴァルパンソンの妻がモデルと言われています。
卓上に大きな花瓶を据え、人物を右に寄せてその視線も画面の外にやるという当時としてはかなり大胆な構図です。いわゆる「中心をずらした構図」の最初の例と言われ日本美術の影響が伺えます。
1868-69年ごろ 56×46㎝ オルセー美術館蔵
スポットを浴びて踊る踊り子たちをバックに、様々な楽器を一心に演奏するオーケストラの音楽家たちが描かれています。
中央でバスーンという楽器を演奏しているのがこの作品の前の所有者ドジレ・ディオです。そのほかの演奏者たちもそれが誰であるか特定されており、画面左隅のボックス席に小さく見えるのが作曲家エマニュエル・シャブリエで、後から描き加えられましした。
『印象派』の画家たちが自然の外光に関心を示したのに対して、ドガはガス灯やフットライトなどの人口的な照明に想像力を刺激されました。
ここではバレリーナたちの足元に当たるフットライトが手前の楽団員たちの暗い世界とドラマチックにコントラストをなしています。
この作品の後ろの踊り子たちの顔をバッサリと断ち切ってしまうという大胆で実験的な構図は、日本の浮世絵の影響によるものです。こうすることで手前の楽団員たちにぐっと視線が集まります。これは写真のスナップショットの効果を狙ったもので、見る者が偶然覗き見たような現実感を与える効果があります。しかしドガはそれを一瞬のひらめきで描いたわけではなく、入念なデッサンと計画によって描いています。
1,873-75年ごろ 34×42㎝ ボストン美術館蔵
パリ近郊のロンシャン競馬場を描いた作品です。
競馬は当時イギリスから取り入れられた新しい観戦用スポーツで、主として裕福な人々の娯楽でした。上流階級に育ったドガは、しばしば競馬場に通い馬の美しさに興味を持つようになりました。
この作品はスタートに向かう出走前の情景です。ドガは疾走する動きのある競馬より、こうしたレース前の静かな風景を好んで描きました。
細かな事物の説明は省略され、情景全体の雰囲気を重視していることが良くわかります。
しかしこの作品も一見自然な風景に見えますが、現実のある瞬間を切り取ったものではなく、ドガが芸術上のバランスを熟慮の上、構図、騎手たちの服や帽子の色、ポーズなどを設定しているのです。
1874年 62×45㎝ ロンドン コートルード・インスティテュート美術館蔵
舞台で踊る二人の踊り子たち。
背後には葉の茂みを思わせる舞台装置があり、暗い背景からライトを浴びた二人の踊り子が浮かび上がって見えます。
この場面が本番の上演なのかリハーサルなのか明らかではありませんが、舞台左手のボックス席から見たような上方からの視点で描かれています。
この作品も対角線上に左上から右下へと画面を分断するような大胆な構図が取り入れられています。左下に大きく開けられた空間(床)には二本の細いレールが描かれ、鑑賞者の視線をバレリーナに導いており、また彼女たちの動きも強調しています。左の少女のポーズと視線がまた右の少女へと繋がっていきます。
また二人のポーズは左がつま先立ちで腕を上げた不安定なポーズ、右の少女は下へ向かって両手を広げ安定したポーズを取っており呼応した形の対になっています。
この作品は1874年に初めて公開された直後にイギリスのコレクターによって購入されました。
1873-1875年ごろ 85×75㎝ オルセー美術館蔵
ダンス教室で生徒たちが休憩時間にリラックスしている場面を描いたものです。
中央で白髪の男性(先生)ジュール・ベローが杖をつき、その周りで背中を掻いたりおしゃべりをしたり、振付の確認を行ったりと少女たちはみな思い思いのポーズをとっています。
ドガは主役で活躍する有名なバレリーナよりもまだ若く無名の踊り子たちに関心を持っていたようです。
今作は著名なバリトン歌手で美術コレクターでもあったジャン=バティスト・フォールの注文によって描かれ、ドガが踊り子を主題にした最初の大型作品です。
1876-77年ごろ 58×42㎝ オルセー美術館蔵
足元からフットライトを浴びてソロを演じるバレエの花形。これはボックス席から見た上からの位置から描かれています。大きな舞台に一人華麗に舞う踊り子と、舞台袖には出番を待つ他の踊り子たちが対比的に描かれています。
その同じ袖から彼女を見つめているであろう黒いタキシードの男がいます。その顔はセットに隠れ特定はできませんが典型的な“保護者”です。
華麗に舞う踊り子の優美さと気品に溢れた動作は、一瞬の動きを確実にとらえることができるドガの卓越したデッサン力によるものです。
1876年 92×68㎝ オルセー美術館蔵
ドガのノートから、モデルの2人は女優のエレン・アンドレとドガの友人と銅版画家のマルスラン・デブ―タンであることが分かっています。
場所はドガのお気に入りだったカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌ。
ここで女性は娼婦であり、その表情は物憂げで疲れ切っているように見えます。
大都会の片隅で、安ものの蒸留酒“アプサント”を飲んで酩酊する人々の惨めさや、社会の底辺で生きる女性の哀しさを表現し、そして当時社会問題にもなっていたアルコールの問題をも訴えています。
伝統的に絵画とは「美しいもの」「聖なるもの」を描くものであり、こうしたリアルな現実を描くことは当時まだ許容されておらず、1876年にイギリスのブライトンで初めて今作が公開されたとき「胸が悪くなるようなおぞましい新奇な題材」として批評家から酷評されました。
1884年 76×81㎝ オルセー美術館蔵
今作のアイロンをかける二人の女性は、労働者階級の女性たちを象徴するイコンとして描かれているともいえます。向かって左手の女性は、片手にワインのボトルを掴んだまま大きなあくびをしており、右手の女性はうつむいて力強くアイロンをシャツに押し当てています。
背景や台の上は簡略化され、抽象的で描き途中のような印象すら受けます。これは画像からは分かり難いかもしれませんが、この作品の表面はかなりガサガサとドライに乾燥した印象を与えるように描かれているためです。
それはドガが、よくある油絵のウェットな光沢感を嫌い、わざと油分を抜いた絵の具を薄く塗ることで出た効果によるものです。これによりキャンバスの地である麻布のごわついた質感が露出し、ドガが称賛していた古いフレスコ画(壁画)のような効果と共にアイロンから発せられるスチームで蒸しかえるような空気感も出ています。
1892-95年 114×146㎝ ロンドンナショナルギャラリー蔵
20世紀「フォーヴィズム」の画家アンリ・マチスがこの作品の強烈な赤い色彩に興味を持ち数年間所有していました。
形体は単純化され、強い赤で画面全体が塗られ写実画家としてのドガ作品は影を潜め抽象的な作品です。これらはドガが、晩年視力が衰えたことによるものです。ドガ自身、この作品がいかに難解で複雑かは理解していたようで、買い手が見つからないだろうと予想していたといいますからかなり実験的な作品だったのかもしれません。
1887年 72×77.5㎝ オルセー美術館蔵
演技を終えたプリマ・バレリーナが、熱心なファンから花束を受け取りカーテンコールに応じてポーズをとっています。
この頃からドガは視力の衰えもあり、細かく描かなくてよいパステルを使って描くようになります。
それは視力の低下にようものだけでなく、踊り子たちの動きを追うために線と色彩を同時に表現できる素材だったからです。
パステルはほかの画材と比べても非常に色彩が美しく、また指や布でこすり込むことで画面上で混色して微妙なトーンが作りやすい素材です。ドガはその卓越したデッサン力でまさに“色でデッサン”をし、強い明暗のコントラストや色彩の豊かな階調を即興的に表現することに成功しています。
1886年 紙にパステル 60×83㎝ オルセー美術館蔵
冷たい朝の光の中、室内で赤毛のふくよかな女性がたらいにかがんで足を洗っています。
右側のチェストの上にはポットや水差し、彼女の装身具などが雑然と並べられており、ごく自然な情景として描かれています。
しかし女性はかがんで表情は見えず、また左方向を向いているのに対し、ポットや水差しは右方向を向かせ画面の端で断ち切られています。こうすることで画面に広がりが生まれ人物だけに視線が集中せず、情景そのものが主題となっていると言えます。
こうした女性が体を洗ったり、髪をとかしたりするごく普通の女性の日常の景色は、この頃のドガが好んだ題材でした。
女性はこちら(画家、あるいは鑑賞者)の存在にに気付いておらず、チェストの線が画面を縦に分断して上から見下ろすような位置からの構図によって、鑑賞者はある種彼女の日常を覗き見ているような感覚に陥ります。
今作は1886年の第8回印象派展に出品され、批評家たちから特に高い評価を得ました。
1880-81年 高さ98.4㎝ ブロンズ像 ロンドン テートギャラリー蔵
ドガは1870年代より蜜蝋や粘土を使って彫像制作を始めました。この作品は複数同じ鋳造品が存在します。
ドガは当初はモデルの動きを理解し、絵を描くための準備として彫像を制作していましたが、80年代に入ると彫像も一つの表現手段として関心を持つようになりました。
この『踊り子』はブロンズ製の人体にモスリン地のスカートとサテンのリボンをつけています。
モデルは年若いベルギーの踊り子で、当時オペラ座の生徒であったマリー・ヴァン・グーテン。リラックスした少女の表情とポーズからドガの卓越したデッサン力が見て取れます。ブロンズ製の人体に、実物の衣装やサテンのリボンを纏わせリアリティが増しています。
この作品は数あるドガの銅像のなかで唯一生前に展示された彫像です。
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