こんにちは。管理人の河内です。
今回はいつもとちょっと趣向を変えた内容を取り上げたいと思います。
そのテーマはずばり「贋作」です。
昨今ちまたでもすっかり定着した『フェイク・ニュース』という言葉がありますが、贋作イコール“ザ・フェイク”ですね。
実は科学技術の進んだ20世紀に入っても多くの贋作が、名だたる美術専門家の目を騙しては高額で取引されたり、有名美術館に並んだりしていました。
今回はそんな贋作について、そもそも贋作とはどういうものなのかを含めて面白いエピソードをいくつかご紹介してみたいと思います。
目次
私たちは絵を勉強する上で『模写』ということをよくやります。
過去の有名な画家の作品・名作をそっくりそのまま写し取り、そこからさまざまな技法を学び取るのです。
これまで様々な巨匠たちをこのブログでご紹介してきましたが、特に近代以降は『~はルーブル美術館に通ってはルネサンス時代の・・・の絵を模写し技術を学びました』というような記述が良く登場します。
が、これは贋作とは違います。
では『模写』と『贋作』の間にはどういう違いがあるのでしょうか?
贋作をウィキペディアで調べてみると、「オリジナルとは別の作者によって模写・模作され、作者の名を騙って流通する絵画、彫刻、書などの芸術品や工芸品。またはその作成行為のこと」とあります。
つまり過去の別人が描いた(作った)作品を真似る行為は同じなのですが、それを描いた(作った)人が自分の名前で世に出せば、それは“模写”あるいは“レプリカ”であり、オリジナルを描いた作者の名前で出せば“贋作”ということになります。
自分の名前で出さない以上、そこには他人を騙そうという意志が働いているわけで、一種の詐欺という訳です。
その目的は多くの場合「偽作を作って高く売ろう」という金銭目的なわけですが、場合によって世間をあっと驚かそうとする愉快犯だったり、自分の技術の高さを世に認めさせようという意図がある場合もあるようです。
しかしそう簡単に贋作が作れるものではありません。
贋作を作ってそれを高く売る以上、オリジナルの作品に相当の価値があるわけで、それをそっくり写し取るには相当の画力があることが大前提です。
また当然ですが、オリジナルの作者や近しい人が生きているうちは、嘘がばれてしまいますので作者の死後、出来れば長い時間が開いた方が価値も上がり作りやすいのですが、そこで問題なのが贋作者が描いた作品をいかに昔のもののように古ぼけさせるか?それはある意味作品作りよりも難しい問題と言えます。
つまりいくら上手に描けたとしてもオリジナルと認めさせるためには様々な鑑定の網をかいくぐらなくてはなりません。
科学技術が発達した現代では、鑑定技術も高度に発達し、ちょっとやそっとのごまかしはすぐにばれてしまいます。
見た目を古めかしくすることはそう難しくはありませんが、科学鑑定を通り抜けることは容易ではありません。
トム・キーティングという贋作者は紙にインスタント・コーヒーの粉をまき褐色の色味を出しました。
このトム・キーティングは、なんと2000点もの贋作を描き《自分の作品は人知れず各地の美術館に収まっていると豪語し、伝記まで出版しています。
また別の贋作者ギィ・リブは紙に描いた作品を洗っては乾かすということを繰り返していました。
しかし紙の作品よりもキャンバスに描かれた作品の方が、はるかに難易度が上がるそうです。
炭素年代測定という、いわゆる科学的調査によっていつ頃のキャンバスかがすぐにばれてしまうからです。
また油絵の具は長い年月が経つと、劣化しひびが入ったり剥がれたりすることもあります。
そこでフェルメール作品のもっとも有名な贋作者として知られるハン・ファン・メーヘレンは、実際に17世紀に描かれた作品を買い、そこに描かれた絵の具を剥がして使用しました。
メーヘレンはX線検査でも分からないくらい徹底的に剥がしたうえ、顔料から筆の毛の種類に至るまでフェルメールと同じものを使いました。
同じものがなくても自分で髭剃り用のブラシを加工して作るという徹底ぶり。
さらに絵の具にフェノールとホルムアルデヒドをつけ化学反応によって表面を硬くすることで、絵の具に対して行われる贋作チェックのためのアルコール溶解テストをクリアしたのです。
メーヘレンのすごいところは、描き上げた作品を変色しない程度の温度で乾燥させるための窯まで自作していたといいます。
こうした徹底ぶりによってメーヘレンの作品は数々の科学的なチェックをかいくぐっていったのです。
ここで一つ贋作に関する面白いエピソードをご紹介しましょう。
2017年10月、アメリカの大衆紙《ヴァニテ・フェア》によって報道されたアメリカのトランプ大統領の“ルノワール贋作疑惑”です。
その内容は、大統領選挙の数日後、作家のティム・オブライエンがトランプ大統領にインタビューしたときのこと。
ティムが質問に答える大統領の背後にルノワールの作品が飾ってあるのに気づきました。
実はこのティムは、10年以上も前に、大統領の伝記を書くためにトランプさんのプライベートジェットに同乗してインタビューを行っていました。
その時にこの絵を見ていたのを思い出したのです。
ティムが絵についてトランプ大統に聞いたところ大統領は「これは本物だ」と言いましたが、ティムは「違うよ、僕はシカゴ育ちだ。そのルノワールは《二人の姉妹(テラスにて)》で、シカゴ美術館の壁にかけられている。これはオリジナルじゃないよ」といったそうですが、大統領は認めません。
その次の日もトランプ大統領は自身の作品がオリジナルだと言い張りますが、専門家は異口同音にトランプ大統領の作品はコピーだと証言しているそうです。
トランプ大統領ほどの財力があればルノワールの真作を買うこともあり得る話なのですが、まさか贋作をつかまされたのでしょうか?
ここで有名な贋作者を二人ご紹介したいと思います。
一人目はアメリカ人贋作者マーク・ランディスです。
ランディスは、幼い頃から絵を描くことが好きで、長時間かけて見たものを記憶し細部まで描いていたそうです。
彼は17歳の時に統合失調症と診断されたのですが、こうした特別な能力と関係があるのかもしれません。
彼は贋作を作って売って一儲けしたというわけではなくなんと作品を美術館に寄贈していました。
それもばれ難いようにするためか、あまり有名でない画家を選び小さな美術館に持ち込んでいたのです。
美術館にしてみれば作品を新たに買う場合よりチェックも甘くなるらしく、寄贈を受けたのは全米50もの美術館に100点以上にも登ります。
また気に入った作品を何度も描いていて同じ作品が6つの違う美術館に所蔵されていたということもあったようです。
二人目は、“贋作者界の巨匠”というのは変な表現ですが、世界で最も有名なフェルメールの贋作者ファン=メ―ヘレンをご紹介してみたいと思います。
しかしこのメ―ヘレンは、“贋作者”というのとも実はちょっと違います。
なぜなら贋作とは実際に存在する作品を模倣することですが、メ―ヘレンの場合、実際の作品はないのです。
では何が彼をして“贋作者”といわれているのかというと、彼はフェルメールが描いた作品ではなく、フェルメールが“描きそうな作品”を描き、それをフェルメールの作であるとして世に出したのです。
メ―ヘレンは幼い時から画才に恵まれ、父親の反対を押し切って画家を目指しました。
1913年に卒業制作がロッテルダム賞を受賞して画家としてデビューしますが、彼の作品はあまり評価されることはありませんでした。
当時のヨーロッパではキュビズムや表現主義、シュルレアリスムがアート界を席巻していてメーヘレンの古典的な手法は時代遅れと取られたのです。
こうした状況の中でメーヘレンは経済的にも困窮し、また自分の作品を認めないアート界に対して怒りがたまっていった結果、アート界を見返そうと贋作制作へと向かったといわれています。
メーヘレンは絵画修復の仕事に関わった経験を持ちその専門知識を活かし、フェルメールの研究を徹底的に行いました。
その手法は科学的チェックを免れるため、フェルメールと同じ時代のキャンバスと絵の具を使い、作品を熱してわざと亀裂を入れるなど徹底していました。
その結果、当時のもっとも権威のあった美術批評家アーブラハム・ブレディウスが《エマウスのキリストと弟子たち》をフェルメールの真作だと認め絶賛したのです。
実は当時からこの作品については贋作ではないかと見る人はいましたが、大御所の権威に負けロッテルダムのボイマンス美術館によって買い上げられたのです。
フェルメールの宗教をテーマにした作品は《マルタとマリアの家のキリスト》以外は発見されておらず、他にも「聖書」を主題にした作品があるはず、との半ば期待の中から生まれたとも言えます。
ーヘレンはこれ以降贋作で一財産を築きます。
しかし第二次世界大戦後、ナチスにフェルメールの作品を売った罪(国の宝を敵国に渡した罪)で投獄されてしまいます。
ここで仕方なくメーヘレンはそれらを自分で描いたことを告白します。
初めはだれもそんなことを認めませんでした。
そこで本当にこの作品を自分が描いたということを証明するために、メーヘレンは監督官に見守られながら2カ月もかけて新たに“フェルメールの贋作”を描きました。
こうしてメーヘレンは一転『ナチスを騙した英雄』として祭り上げられることになりました。
裁判の結果、メーヘレンは禁固1年の判決を受けますが、それまでの麻薬と酒におぼれた生活が原因で、収監される前に心臓発作を起こし休死しました。
このメーヘレンを題材にした映画映画も作られていますので、ご興味を持たれた方は、ぜひチェックしてみてください。
《ナチスの愛したフェルメール》
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贋作の世界いかがでしたか?
贋作者もただマネをして描いただけでなく、いろんな苦労(?)を積み重ねてよりオリジナルに近づけようとしていた、ある意味アーティストとしての矜持みたいなものも感じますね。
贋作者たちの執念が、鑑定家の目を誤らせるほどの迫力を作品に与えたのかも知れません。
そこにさらに人間の欲望が絡み合って生まれる贋作とは、単に“偽物”では済まない奥の深い世界でしたね。
贋作は古来絵画だけにとどまらず、古文書や刀剣、焼き物からミイラまで歴史的経済的に“価値”のあるものすべてにあるようですのでそうしたものを調べてい見るのも面白いかもしれません。