こんにちは。管理人の河内です。
今回はイタリア・バロックの巨匠カラヴァッジョの代表作を解説してみたいと思います。
いわゆる『西洋的な油絵』と聞いて、よく《真っ黒な背景に、光に照らされた人物が浮かび上がっている》なんて言うのを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
そうした表現は主に『バロック美術』と呼ばれる美術様式で、16世紀後半~17世紀にヨーロッパ各地で主流だった様式なのですが、それを確立したのがこのカラヴァッジョなのです。
カラヴァッジョの場合、さらにその写実性がとドラマチックな光と影の効果が特徴ですが、特に残酷な場面においてはほかに例を見ないほどグロテスクですらあります。
カラヴァッジョという画家は気性が荒く、数々の暴力事件を起こした挙句殺人を犯してしまうような凶暴な性格でしたがそれが作風にも如実に表れているようです。
R指定したいようなぎょっとするような作品もありますが、ぜひご覧ください。
目次
この作品はカラヴァッジョ自身がモデル、つまり自画像と言われています。
体は筋骨たくましいのですが、顔は青ざめていて、まさに病んだ表情をしています。
これを描いた当時、カラヴァッジョはミラノからローマに出てきたばかりの頃で、生活にも困るような状況で実際に病気にもなっていたようです。
注目すべきは葡萄など果物の表現。人物とは対照的に実に生き生きとリアルに描かれています。このような静物に対する瑞々しい表現が後の「果物籠」(↓)などに繋がっていきます。
カラヴァッジョ最初期の宗教画のひとつです。
一見すると宗教画とは思えないほど自然な女性像です。ベッローリはこの作品を『最初は髪を乾かしている少女を見たままに描き、その後香油壺などを描き加えマグダラのマリアに仕立てた』と書いているようにカラヴァッジョは『少女』を描きたかっただけなのかもしれません。
この記事の信ぴょう性はともかくも、この絵ではマリアがごく自然な少女として描かれていることは見てのとおりであり、理想化されがちな宗教画とは程遠く、まして改悛しているというよりうたた寝でもしているような何気ない優しい雰囲気を湛えていてカラヴァッジョの作品でも特異な作品といえます。
初期の作品によく見られるカラヴァッジョ特有の虚ろな表情で中性的な少年。
肩を露わにして首を傾げ、溢れんばかりに果物が盛られた大きな籠を抱えています。
故郷ミラノからローマに出てきて間もない頃の作品で、モデルの少年はカラヴァッジョの舎弟で画家のミリオ・ミンニーティ。彼もカラヴァッジョと同じく気性が荒く遊び仲間であったようです。
瑞々しくリアルに描かれた果物は、上記の『病めるバッカス』の果物より、より繊細で鮮やかに描かれていて明らかに技術的な進歩が見られます。
カラヴァッジョ初期の風俗画です。
ロマ(ジプシー)の女占い師が貴族風の若い男の手相を見ている場面を描いた作品です。
しかし実際はこの女は手相を見るふりをして少年の指輪をそっと抜き取ろうとしているのです。少年はそれに気づかず会話を楽しんでいるようです。
描かれている女占い師は偶然通りかかった女性を連れて帰りモデルにしたと言われています。
モデルは上記の『果物籠を持つ少年』と同じ友人であったミリオ・ミンニーティということです。
初期の傑作ですが、こちらの作品も『バッカス』や『果物籠を持つ少年』同様、物憂げな表情をしてこちらを見つめる美しい若者が描かれています。
こうした「少年(若者)像」は、この時期画家として厳しい時期を送っていたカラヴァッジョの不安や弱さなどの内面の表れだともいわれています。
しかしこの若者が男性なのか女性なのか議論が分かれて来ました。
カラヴァッジョと同時代の画家バリオーネは単に『若者』としているのに対してべローリは『女性』として記述しています。
管理人はリュートを奏でる若者の手は,女性のように柔和でまるで「モナ・リザ」の手を思い出すのですが、ふくよかな割には胸部に膨らみが感じられないので男性ではないかと思いますが…
また前景に並べられた楽器や楽譜、水差し、活けられた花、果物などが精密な描写によって描かれていますが、これらは現世の儚さを暗示していて『ヴァニタス』画と呼ばれるジャンルであり、移ろいやすい一瞬の美をキャンバスに定着しているのです。
酒と豊穣の神バッカス(バッコス)。
前景のテーブルにはその象徴である豊かな果物が盛られ、葡萄酒を手に半裸身の少年が悩まし気にまるでこちらを誘うかのような表情とポーズで描かれています。
カラヴァッジョ特有の卓越した写実描写で描かれています。
ザクロはキリスト教では純潔の象徴とされますが、よく見るとそれがはじけていることからこの少年はすでに純潔を失っていることを示していると言われています。
また他の果実も熟れすぎ腐りはじめていることから、少年の若さや美しさもいずれは朽ちていく儚さを表現しているともいわれています。
現在ではカラヴァッジョの代表作として知られる作品ですが、1917年にウフィツィ美術館の倉庫で発見されるまでその来歴は全く知られていませんでした。
この作品は、それまでパトロンたちに個人的な作品を描いていたカラヴァッジョが初めて公に得た依頼によって書かれた作品であり、その完成度の高さによってカラヴァッジョの名を世に知らしめたデビュー作であり出世作です。
この作品は公開と共に大評判となり、一目見ようと人々が殺到したと言われています。
イエス・キリストが「私についてきなさい」と徴税吏だったマタイを弟子にするため召し出す場面が描かれています。
イエスの差し出す指の先にはマタイがいるのですが、しかし実際はどの人物がマタイなのか議論が分かれています。
この聖書の中ではごく簡単に触れられているだけの場面を、カラヴァッジョは登場人物たちに当世風の派手な衣装をまとわせ、芝居がかったポーズと明暗の効果でドラマティックな一瞬に仕立て上げており、宗教画というより風俗画のような印象を受けます。
ユディトはベツリアという町に住む裕福な美しい未亡人です。
アッシリア軍によって町が包囲された際、敵の将軍ホロフェルネスを欺いて殺害、首を斬り落としたという物語が主題です。
この主題は従来ユダヤのヒロインであるユディトが切り取った敵将の首を手に持つ姿で描かれるのが通例でした。
こんな感じ。
しかしカラヴァッジョはユディトが今まさに生きたまま首を切る最中を描いています。
苦悶の表情のホロフェルネス、眉間に皺を寄せ苦々しい表情で刀を振るうユディト、その首を入れる袋を手に持ち目を見開く老人、そして飛び散る鮮血、それらがリアルに描写されカラヴァッジョ自身の残虐性をも垣間見せているかのようです。
また人物の三者三様の表情の他に、力強い壮年の男、若く美しい女性、皺だらけの老人という対比も際立っています。
聖カタリナは4世紀アレクサンドリアの貴族の娘でしたが、ローマ皇帝マクセンティウスの妃や部下をキリスト教徒に改宗させたために処刑されたと伝えられています。
彼女は大釘を打ちつけた車輪による拷問を受けますが、その車輪は雷によって粉々にされたため最後は首を斬られて殉教しました。
そのためアトリビュート(持物:聖人などその人物を画中で特定するためのアイテム)は車輪、剣等が描かれています。
キリスト教で聖女とされていますが、実在したかは疑わしいとして一時期教会暦からは除外されていましたが2002年に戻されています。
初期のパトロンジュスティニアーニ侯爵のために描かれた作品で、完成当初から高い評価を受け侯爵は自身のコレクションの中で最も大切にしていました。
楽器や武具、王冠などを無邪気な笑顔で踏みつけるアモル(=愛)。
それらは芸術や権力、知識など様々な俗世のものを象徴しており、それらを踏みつけるその姿は《愛はすべてに打ち勝つ》というテーマを象徴しています。
エロティックなポーズと体は少年愛を思わせずにはおれません。
ルカによる福音書の一節を再現しています。キリストの2人の弟子がエマオへの旅の途中、復活後のキリストに出会うもののそれに気づきませんでした。
しかし主イエスが彼らと共にテーブルにつき、パンを清め裂いた瞬間にそれがキリストであることを悟って驚いているところです。
カラヴァッジョはある意味伝統を破壊した作風で知られますが、実際は過去の美術から多くのことを学んでいます。
この作品ではティツィアーノの同名の作品から構図を学び人物たちの動きのあるポーズはレオナルド・ダ・ヴィンチの影響をうかがわせます。
またテーブルの上には聖餐の象徴であるパンと葡萄酒のほか、あぶった鶏肉と果物が盛られた籠が生き生きと見事な写実表現で描かれていますが、それらは俗世の事物のむなしさを暗示しているとも取れます。
『キリストの埋葬』は常に賛否が分かれるカラヴァッジョの作品の中で最も高く評価された作品です。
登場人物のポーズや群像としての流れなど考え抜かれた構成がその理由だと考えられます。
キリストの亡骸を十字架から降ろしたあと、墓に埋葬しようとする場面です。
画面左下は墓穴になっているのですが、そこから生える青い草は復活を暗示しています。
オラトリオ会の総本山キエーザ・ヌォーヴァのヴィットリーチェ礼拝堂の祭壇画として設置されていたものをナポレオン軍に接収されてルーブル美術館にしばらく展示された後バチカンに返されました。
この作品は多くの画家たちに模写されており、ルーベンスやフラゴナール、セザンヌなどもこの絵を模写しており、ダヴィッドは『マラーの死』でこの絵からキリストのポーズを借用しています。
カラヴァッジョが逃亡生活を送ったマルタ島で描いた最も重要な作品です。
多くの評論家たちからカラヴァッジョの代表作にして17世紀イタリア絵画の最高峰だと絶賛されてきました。
そしてカラヴァッジョの署名がある唯一の作品もあります。
それはかなり薄くなって判別しづらいのですが、死体から流れ出る鮮血の中に「f michelan …」と書いてあるのです。
これは『fecit Michelan ( gelo da Caravaggio)』の意味で、『fecit』は署名によく用いられる「彼がそれを描いた」という意味か、または『frater』=騎士団の騎士であることを示す意味だと考えられています。
洗礼者ヨハネはカラヴァッジョが入隊を許された『聖ヨハネ騎士団』の守護聖人で、この作品は団のために描かれたと思われます。
暗い背景に輝く死刑執行人の身体と真っ赤な衣の色が、むき出しの暴力シーンの残酷さをより際立たせています。
カラヴァッジョの代表作⑭『ゴリアテの首を持つダヴィデ』
この絵は当時有力なパトロンであった枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼのために描かれました。
少年ダヴィデが巨人ゴリアテを打ち取り、切り取った首からはいまだ鮮血が滴る凄惨な場面を描いています。
難敵を打ち取ったはずのダヴィデの顔は曇り湯鬱で苦悩すら感じます。
自身の残酷性もさることながら、伝記作家ベローリが「ダヴィデに髪を掴まれたゴリアテの首は、カラヴァッジョの自画像である」と書いているようにそこには自分の犯した罪に対する改悛や断罪の念が込められているのかもしれません。
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