”静謐な光の画家”フェルメールの作品と生涯を解説します。

こんにちは。管理人の河内です。

突然ですが、皆さんこの絵はご存知でしょうか?

ゴッホの「ひまわり」、ダヴィンチの「モナ=リザ」などと同じく、テレビCMや様々な広告で幾度となく使われ、映画化もされている有名な絵ですので、美術に全く関心のない人でもこの絵はどこかで見たことがあるかも知れません。

この作品は、「青いターバンの少女(または真珠の耳飾りの少女)」という作品で、北方の「モナ=リザ」とも呼ばれています。

エキゾチックな衣装と、あどけない美少女の一瞬を瑞々しく描いたこの絵は、世界中で人気の作品です。

今回はこの有名な絵を描いた17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールをご紹介します。

 

残念ながらレンブラントに次ぐ大画家でありながらその生涯は謎が多く、その人となりはほとんど分かっていません。

現在知られている限りではその生涯のほとんどを故郷のデルフトで送っており、そこから「デルフトのスフィンクス」とも呼ばれています。

 

43歳の若さで夭逝したため、残された作品数が非常に少ないのが特徴です。現在間違いなく彼の真筆とされている作品はわずか35点しか確認されていません。でも最近はゴッホやダ・ヴィンチなども続々と発見されていますから、いずれ誰かの蔵から発見されるかも知れません(*´ω`)

フェルメールは、その作品数の少なさもあって、死後しばらくは歴史から忘れ去られた存在でした。

19世紀になってようやく再発見され、評価が高まりますが、その間に作品を含め資料は散逸し謎が多く残る画家となったのです。

 

フェルメール作品の特徴は、まず構図にあります。室内に人物が一人か二人、読書や書き物、楽器の演奏など当時の中流階級の人々の日常が描かれています。彼らはポーズをとるというよりは自分の日常の行動に没頭していて、画家に描かれていることに気ついていないかのようです。

そして絵を見る私たち鑑賞者は、彼らの日常をそっと影から覗いているような感覚で絵を見ることになります。

その色彩は明るく透き通り、明暗が強いにも関わらず柔らかな温かさすら感じさせます。なんの変哲もない日常の風景を、まるで永遠の静寂を感じさせるような不思議な魅力に溢れています。

 

ではその謎の画家ヨハネス・フェルメールについてみていきましょう。

 

目次

フェルメールってどんな人?

1632-1675年

17世紀のバロック期、オランダ絵画の黄金期を代表する画家。

本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan Van der Meer van Delft )

 

生涯のほとんどを故郷のデルフトで過ごしましたが、今なお謎の多い画家です。

17世紀のオランダは、スペインの支配から逃れてアジアとの香辛料などの海上貿易で栄えていました。そしてその繁栄を支えた「オランダ東インド会社」の拠点となったデルフトは、巨万の富で潤う都市だったのです。

こうした時代、裕福な市民たちは、それまでの教会や王侯貴族に代わって絵画を求めるようになりました。

画家たちも彼らの要望に応えるかたちで風景画や静物画、風俗画といった新たなジャンルを開拓し、オランダ絵画は黄金期を迎えていました。

フェルメールはこのような時代に活躍した画家です。

 

フェルメールは11人の子沢山で、画家以外にも画商として働き、父親の代から引き継いだ居酒屋を経営するなどむしろ画家は片手間だったとも思われますが、それを示すように20数年の画業の中で残された作品は極めて少ない画家です。

また43歳という若さで亡くなっていますが、同時代の美術動向に倣いながらも独自の画風と手法を完成させました。

初期のころには宗教画や神話画を描いていますが、その作品の大部分は、当時の一般市民の何気ない暮らしの一コマを切り取った風俗画です。

その特徴は、室内で1人か2人の人物の日常のちょっとした仕草や、手仕事に没頭する場面がテーマとなっていますが、オランダ風俗画の伝統に倣うように、衣服や置き物、家具などに様々な寓意が仕込まれています。

しかし通常の風俗画では、その当時の人々の生活ぶりを通して登場人物が生き生きと描かれ、生の喜びや悲哀が描かれますが、フェルメール作品はその何気ない穏やかな日常の一場面を、光と色彩の微妙な変化や、綿密に計算された空間構成、調和のとれた構図によって、深い静寂に満ちた世界となり、崇高な宗教画のような静謐さを湛えています。

 

18世紀以後は、作品の少なさと、個人所有の作品がほとんどだったために、忘れられた画家となりますが、1866年にフランス人研究家のトレ・ピュルガーが美術雑誌にフェルメールに関する論文を発表すると一躍その名が復活します。

ピュルガーがフェルメールの作品と認定したのは70点以上に上りますが、これらの多くはその後の研究によって別の画家の作品や贋作であることが証明され、現在では真作は35点とされています。

20世紀に入り、その人気の高まりと比例するように、1945年にはハンス・ファン・メーヘレンによる「エマオのキリスト」事件などの贋作が現れたり、盗難事件が起こったりしています。

またシュルレアリズムの画家、サルバトール・ダリは、フェルメールを高く評価し、自身の作品にも度々取り入れています。

 

フェルメールの生涯

1632年、10月31日生まれ。

父レイニール・ヤンスゾーン、母ディングヌム・バルタザールの第2子として、オランダ西部、第4の都市デルフトに生まれる。

父が1640年代以降にフェルメール姓を名乗ります。

父は絹織物や絵画を扱う商人で、多くの画家と親交があったと思われ、その環境でフェルメールも絵画を見る目が養われたと考えられます。

父は画商として聖ルカ組合に登録しており、(義兄も学職人として登録しています)後に宿屋を営むようになります。

一時期家計は困窮するも、1641年に「メーヘレン」という大きな居酒屋を買い取り成功していたようです。

 

フェルメールがどういう師について修行したかの記録はなく、同時代のレオナルド・ブラーメルという画家だという説や、様式上レンブラントに学んだカレル・ファブリウスとの関連も指摘されていますがはっきりとはわかっていません。

 

1652年父親が死去し、居酒屋や画商を引き継いだと思われますが、明確な証拠は残っていません。

1653年花嫁の母の反対にあいながらもカタリーナ・ボルネスと結婚。

カタリーナはもともと身分の高い家柄で、カトリックとプロテスタントという宗派の違いもあり、母がこの結婚には反対していましたが、ブラーメルら地位の高い市民が説得したようです。

夫婦は14人の子供をもうけ(4人は早逝したという記録があります)、妻はカトリックでしたが結婚に際し改宗しました。

同年12月29日画家組合である聖ルカ組合に親方として登録されます。

1657年ごろにはフェルメールは経済的に困窮していたようです。フランス軍のオランダ侵攻により、国が混乱して経済危機が起こり、美術市場も崩壊したために絵を売って生活していくには大変厳しい状況でした。

しかし醸造業者で投資家のピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンというパトロンを得て何とかしのいでいたようです。

1662、3年には画家組合の“ホーフトマン“(理事)となった記録があり、当時はそれなりに名が知れて重職についていました。

1675年、43歳の若さで死去。

未亡人には多額の謝金と8人の未成年の子供が残されました。

夫を埋葬した妻カタリーナは、その数か月が破産を宣告されています。

 

作品紹介

こちらではフェルメール作品の主だったものを簡単にご紹介します。

詳しい解説は【フェルメールの代表作を詳しく解説!】をご覧下さい。


「マルタとマリアの家のキリスト 」

1654-55年 160 x 142 cm スコットランド国立美術館 エディンバラ

 

「ディアナとニンフたち」

1655-56年 98,5 x 105 cm  マウリッツハイス美術館蔵 ハーグ

 

「眠る女」

1657年  87,6 x 76,5 cm  ニューヨーク トロポリタン美術館蔵

 

「窓辺で手紙を読む女」

1657年    83 x 64,5 cm   ドレスデン国立絵画館蔵

 

「デルフトの小道」

1657-58年  54,3 x 44 cm   アムステルダム国立美術館蔵

 

「牛乳を注ぐ女」

1658年  45,5 x 41 cm   アムステルダム国立美術館蔵

 

「デルフトの眺望」

1659-60年  98,5 x 117,5 cm マウリッツハイス美術館蔵

 

「真珠のネックレスをもつ少女」

1662-64年  55 x 45 cm   ベルリン国立美術館蔵

 

青いターバンの少女 (真珠の耳飾りの少女)

1665年  46,5 x 40 cm   マウリッツハイス美術館  ハーグ

 

「絵画芸術」

1665-67年   120 x 100 cm  ウィーン美術史美術館

 

フェルメールの作風と技法について

フェルメールの画歴は全体的に見て3つの時代に分けられます。

 

その最初期は、サイズの大きな歴史画からスタートしています。

『マルタとマリアの家のキリスト』『ディアナとニンフたち』がこの頃の作品で、レンブラントやイタリア絵画の研究をしていたと考えられています。

中期

フェルメールの作品は大半がこの時期に描かれています。

テーマは風俗画へ転身し、『取り持ち女(放蕩息子)』などカラヴァッジョ派が好んだ娼家を舞台にした絵などは同時代のヤン・ステーン、ピーテル・デ・ホーホらの影響も感じられます。

また穏やかな主題を扱い、市民の日常の一場面や楽器の演奏などを描き、2点の風景画もこの時期に描かれたものです。

技術的に熟練の域に達し、調和と静けさが作品を覆う独特の世界が現れ、色使いも冷たく変化します。また青、黄色などフェルメール作品を象徴する色の構成もこの時期の特徴です。

またカメラ・オブスクラを使っていたことはよく知られているため、デッサンはせずにキャンバスに直接描きだしたと考えられます。

正確な素描と光の表現によって「写真のように」見える効果を得ています。

しかし一見超写実的に見える描写ですが、実際細部を観察してみると、フェルメールが見えるものを忠実に描写したのではないことが分かります。

カメラレンズ独特の効果である遠近法が誇張され、光のまばゆさを光の点で表現したり光のにじみを描き込んだりすることで、光の不思議な輝きを生み出しているのです。

そうすることでフェルメールの作品は現実よりも現実らしい虚構の世界となり、静謐な雰囲気が醸しだされています。

 

後期に当たる晩年には、「いささか硬くなり新鮮味がなくなった」と多くの批評家が指摘していますが、生活の困窮により制作がおろそかになったのかもしれません。

そのほかフェルメールの詳しい技法やエピソードについてはこちらも合わせてご覧ください。

【「写真のような絵画」フェルメールの技法の秘密を解明します!】

 

フェルメール まとめ

いかがでしたか?

日本でもとても人気のあるフェルメールですが、残された資料が少なくまだまだ謎の多い画家でした。

でもその謎が、作品の神秘性を高めてより魅力的にしてくれているのかもしれません。

写真の技術を応用した技法を使い、フェルメールが生きた時代の何気ない人々の日常を、これほど詩的で静謐な世界へと昇華させたことには驚かされるばかりですね。

アメリカの作家トレイシー・シュヴァリエが、フィクションですが「真珠の耳飾りの少女」を題材に小説を描き、映画化もされていますので興味がある方は是非そちらもチェックされてはいかがでしょうか?

 

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