こんにちは。管理人の河内です。
こちらの記事では、17世紀オランダ絵画の巨匠、ヨハネス・フェルメールの代表作を詳しく解説しています。
17世紀オランダ、一般市民の日常のワンシーンを切り取った何気ない光景が、フェルメールの手によって優しい光に包まれ、永遠の静けさを湛えた世界に変わります。
またこの時代絵画に描かれた人や物には様々な意味が込められていました。そうした当時の寓意や象徴と知ることで、より作品への理解を深めて頂ければと思います。
目次
1654-55年 160 x 142 cm スコットランド国立美術館蔵 エディンバラ
フェルメールの現存する最初期の作品。聖書のテーマを扱ったもので唯一のもので大きさも最大です。
聖書の『ルカによる福音書』のエピソードの場面が描かれています。
キリストの話を、家事をせずに熱心に聞く妹マリアとそれを咎める姉マルタ。しかしイエスはマリアは神の言葉を聞いており、正しいことをしていると諭している場面です。
フェルメールはこうした宗教画から画家としてスタートしました。
当時のオランダ絵画で主流だったカラヴァッジョ派からの影響を受けた明暗法や、大胆なタッチはルーベンスの影響が指摘されています。
1655-56年 98,5 x 105 cm マウリッツハイス美術館蔵 ハーグ
1876年にオランダ政府が購入しましたが、その時は別の画家の作品だと思われていました。現在ではフェルメールの真作とされています(一部異論もあり)。
フェルメール作品で現存する唯一の神話をテーマにした作品です。
手前の足を洗われている女性が月の女神ディアナ。
この絵は神話の場面でありながら、キリスト教的シンボルがいろんなところで描かれています。
ニンフがディアナの足を洗うところはキリストが弟子の足を洗ったというエピソード、水盤は純潔、アザミは受難の象徴としてキリスト教美術に登場するアトリビュートです。
※アトリビュートとは、描かれた画中の人物が誰であるかを識別させるアイテムのこと。それぞれ象徴的意味を持っています。
アトリビュートについては【天才の技術とは?レオナルド・ダ・ヴィンチの技法を解説します】に詳しく書いておりますのでこちらもご覧ください。
1657年 87,6 x 76,5 cm ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵
眠る女性は大きな真珠のイヤリングをしており、また東洋風の絨毯や、獅子の頭部の飾りがついた椅子などは、フェルメール作品によく登場するアイテムです。
画面左上の暗い部分の壁には絵がかかっており、愛のキューピッドと仮面が描かれています。
仮面は不実を表すことから、画中の女性は失恋し、ワインを飲んで酔いつぶれて寝てしまっていると解釈されています。
またエックス線撮影の結果、奥の部屋には男性、部屋のつなぎ目に犬が描かれていましたが、消されていたことが分かっていて、そのためか奥の部屋と手前の部屋の視点がずれており、画中の空間に違和感がでています。
1657年 83 x 64,5 cm ドレスデン国立絵画館蔵
この作品は1742年、ザクセン選帝侯アウグスト3世がレンブラントの作品と間違えて購入し、第2次世界大戦後モスクワを経て1955年にドレスデン国立美術館に返還されました。
X線撮影の結果、この絵の下にはかなり大型のキューピッドが描かれていましたが、最終的にはカーテンが描き加えらたことが分かっています。
当時オランダでは保護のために絵にカーテンをかけることがよくあり、それを逆手にしたトロンプ・ルイユ(だまし絵)の手法で完成されたのです。
鑑賞者は、カーテンの影から覗き見るような感覚でこの絵に相対することで、よりこの絵を魅力的にしています。
開かれた窓は女性の外界への憧れを暗示し、机の上の籠からこぼれ落ちるリンゴや桃は堕罪を象徴しており、女性が熱心に読む手紙は、禁断の愛の相手からのものだと推察できます。
1657-58年 54,3 x 44 cm アムステルダム国立美術館蔵
フェルメールの現存する風景画2枚のうちの一つ。
この建物はフェルメールが育った宿屋「メ―ヘレン」と運河を挟んだ反対側にあった養老院だといわれています。
この絵が描かれた後、この建物は聖ルカ組合の本部集会所のために改築されてしまいます。
また1654年にデルフトで火薬庫爆発事件が起こり、フェルメールはこうした中世の面影を残す建物を、意図的に選んで絵画に残そうとしたと思われます。
1658年 45,5 x 41 cm アムステルダム国立美術館蔵
1650年代後半、フェルメールは様々な様式や主題を探求していました。
どっしりとした女性の衣装は黄色と青という鮮やかな対比が印象的です。
背後の一見シンプルな漆喰の壁にはかけられた籠や打ち付けられた釘、釘跡、剥落まで詳細に描かれています。
ちなみに床に置かれているのは足温器、女性の貞節や優しさを願う気持ちが込められているといいます。
この作品では、青と黄色の対比による鮮やかな色彩効果と、ポワンティエと呼ばれる光の点描、そして窓から差し込む柔らかな光という3つのフェルメール絵画の大きな特徴が、いかんなく発揮された秀逸な代表作といえます。
1659-60年 98,5 x 117,5 cm マウリッツハイス美術館蔵
フェルメールの残した風景画は2点だけ。そのうちの一つです。
スヒー川を挟んでデルフトの町を南側から眺めて描いたもので、フランスの文豪プルーストが「世界で最も美しい絵」と絶賛した作品です。
時計塔のあるスヒーダム門と、その右手には船が係留されているロッテルダム門が見えます。
街並みが主題ではあるものの、構図の半分以上を空が占めていて、絵を支配するのは澄んだ空気と光だと言えます。
これもまた見事に細部にわたって描写されていますが、実際には様々な変更が加えられており、ある種の理想化された町の景観になっています。
風景画でも、風俗画同様何気ない日常の1シーンがフェルメールの手によって静かに輝く珠玉の作品になったといえる作品です。
1822年にフェルメールの作品としては初めてパブリックコレクションに収まった作品で、トレ・ピュルガーによる再評価のきっかけとなりました。
1662-64年 55 x 45 cm ベルリン国立美術館蔵
若い女性が鏡の前で、真珠のネックレスについたリボンをつまみ上げてポーズをとっています。
アーミン(オコジョ)の白い毛皮のついた黄色いジャケットが、窓から差し込む光によって淡くぼやけ少女が光に包まれているような印象を与えています。
この絵も広い白壁の背景だが、X線撮影の結果、当初はネーデルランドの地図が掛けられていました。
しかしそれを消し、白い漆喰の壁を全面に描いたことで、そこに当たる柔らかな光が少女を照らし出し、少女の内面の幸福感が伝わってくるようです。
また鏡に向かう少女の視線がより際立ち、鑑賞者の目が引き付けられます。
1663-64年 46,6 x 39,1 cm アムステルダム国立美術館蔵
1847年にアムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープにより市に寄贈された作品。
17世紀のオランダは貿易で栄え、商取引が活発となり、他国に先駆けて近代的な郵便制度が確立されました。そのため一般の市民にも手紙のやり取りが盛んになった時代でもありました。
そうした時代を反映して、絵画にも手紙がしばし登場するようになります。
この作品は、フェルメールの他の作品でもよくみられる窓際で手紙を読む場面ですがここには窓は描かれていません。
壁に掛けられた地図や手紙は外の大きな世界の広がりと人物の憧れを暗示しています。
また海景は恋愛を象徴する図柄でもあり、女性が一心に読んでいる手紙が恋文であることをほのめかしています。
彼女のゆったりとした衣服から妊娠しているといわれていますが、手紙は仕事で家を空けているその父親からかもしれません。
1665年 46,5 x 40 cm マウリッツハイス美術館蔵 ハーグ
トルコ風のターバンを巻き、大きな真珠の耳飾りをつけて少女がふっとこちらを振り向いた瞬間をとらえたような作品です。
無防備であどけなさの残る表情、赤く輝く唇と少し開いた口、何かを言いかけているのかこちらの創造を刺激してやみません。
このエキゾチックな雰囲気は「北方のモナ=リザ」とも呼ばれています。
しかしこれもモナ=リザと同様に、特定の少女をモデルに描いたというよりは、理想化された少女像といえます。
17世紀オランダでは「トロ―二―」と呼ばれる特定の人物の肖像画ではない人の顔を描くジャンルがあり、この作品もそれに分類されると思われます。
1665-67年 120 x 100 cm ウィーン美術史美術館蔵
フェルメールが死ぬまで手放さなかった作品で、死後妻も手放そうとしなかった特別な作品です。
窓際でポーズをとる女性は、青い衣装に月桂樹の冠をかぶり、歴史を象徴する黄色い大きな書物を抱え、名声を象徴する長いラッパを持っていることから歴史のミューズ、クリオであると解されています。
また背中を向けて制作する画家(フェルメール自身とも言われています)の衣装は、実はこの当時のものではなく中世の衣装を身につけさせています。
17世紀のオランダではアトリエで制作する画家を描いた作品が多く制作されています。
それによって画家が単なる職人以上のステータスにあることを表明し、また彼らの絵画論を表現しようとしました。
つまりこの作品も特定の肖像ではなく、題名が示すように「絵画芸術」そのものをテーマとした寓意画ということができます。
1668年 50 x 45 cm ルーヴル美術館蔵
フェルメールの作品でサインと制作年の両方が記されている数少ない作品の一つです。
「地理学者」とサイズがほぼ同じでモデルの男性も同じと見られ、対をなす作品といわれています。
書斎で研究をする学者像は、17世紀オランダで人気のあったテーマで、レンブラントも複数描いています。
モデルの男性は実は日本から渡ってきた着物(袢纏?)を着ています。
400年も前の遠く離れたオランダで、着物を着た人が描かれているなんてちょっと嬉しくなりますね。江戸の鎖国時代もオランダはヨーロッパで唯一長崎の出島を通して交易が認められていた国でしたから当然といえば当然ですが・・・
後ろのタンスに天体観測図が掛けられ、天体観測に必要な器具が細かに正確に描かれています。
他にもフェルメールの作品にはこうした世界中の文物が描かれ、当時のオランダとデルフトの町がいかに海外との交流が激しく潤っていたかが推察されますね。
モデルとなったのは顕微鏡の発明者アントニー・ファン・レーヴェンフックと言われ、フェルメールの死後、彼が遺産の管理にあたったことから二人の間には何らかの交流があったようです。
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