『後期印象派の画家』ポール・ゴーギャンの代表作を詳しく解説します!

こんにちは。管理人の河内です。

今回は、ヴァン・ゴッホ、ポール・セザンヌと並んで「ポスト印象派(後期印象派)」に数えられるフランスの画家ポール・ゴーギャンの代表作を詳しくご紹介したいと思います。

趣味の日曜画家から始めたポール・ゴーギャン、絵はほとんど独学でした。のちに印象派の画家ピサロと親しくなって印象派の技法を教わったので、初期は「印象派」的な画風でしたが、それに飽き足らず独自の画風を確立していきました。

南国タヒチへの移住、貧困や病気などに見まわれ厳しい画家人生で描かれた数々の傑作をご紹介していきます。

目次

ゴーギャン代表作① 「麗わしのアンジェール(サトル夫人の肖像)」

1889年  92×73 cm  オルセー美術館蔵

なんとも独特の構図ですね。画面右下を円形に区切り若い女性が描かれています。

後ろには奇怪な形の土偶(?)が描き込まれ、その下に大きくこの絵のタイトルが書かれています。

この絵のモデルは、ゴーギャンがポン・タヴァンで知り合ったフレデリック・サトルの妻アンジェ―ルです。彼女はポン・タヴァンきっての美人で知られていたまだ21歳の若妻でした。

ゴーギャンが宿泊していた宿の近くには彼女の母親が営むカフェがありました。ここでゴーギャンは親しくなっていろいろと世話になったお礼としてこの絵は描かれました。

ゴーギャン自身はこの絵の出来栄えに満足していましたが、当の夫婦は本人と似ても似つかないと怒って突き返したそうです。

 

ゴーギャン代表作② 「説教の後の幻影」

1888年 73×92㎝ スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵

 

ブルターニュの教会の庭で、信仰心の篤い農婦たちが、天使とイスラエルの祖アブラハムの孫ヤコブが格闘をする幻影を見ているところです。

この話は旧約聖書、創世記に書かれており、右端の牧師によって説教を受けたばかりなのでしょう。

ゴーギャン特有の現実の世界と象徴(非現実)の世界を同じ画面に構成する手法=総合主義を代表する作品です。画面中央を走る木に縁って現実と非現実の世界が分けられています。この構図はやはりゴーギャンも多大な影響を受けた浮世絵の手法によるものでしょう。

また背景の赤は、闘う神の赤い血を象徴していて、農婦たちの頭巾の白がそれを際立たせています。

 

ゴーギャン代表作③ 「黄色いキリスト」

1889年 92×73㎝ オルブライト・ノックス・アートギャラリー蔵

 

ブルターニュ地方の農婦たちが田園に突如現れた磔刑のキリストの前に跪き祈りをささげています。この作品もまた、「説教の後の幻影」同様、現実の世界と象徴世界を同一の画面に取り入れています。

これは農婦たちにとって神秘的な体験が、いかに現実的に感じられていたかを表しています。

しかし色彩はキリストの体や田園の黄色と樹木のオレンジがその非現実性を強調しています。またここに見られるような平坦で単純な塗による色面と、アウトラインを強く縁どられた表現様式は、中世の七宝焼き(クロワゾ)を連想させることからクロワゾニズムと呼ばれています。

 

ゴーギャン代表作④ 「浜辺の2人の女」

1891年  68.5×91㎝ オルセー美術館蔵

タヒチの女性が二人、浜辺の波打ち際で寛いでいます。

南国のけだるいムードの中で、時が止まったように女性たちはまるで彫刻のようにどっしりと安定しています。

背景の波が水平線で画面を横切り、垂直方向の女性たちのフォルムを押し出しその強さを強調しています。

 

ゴーギャン代表作⑤ 「市場」

1892年 73×92m バーゼル美術館蔵

一見して分かる通り、この作品はエジプトの壁画の写真から着想を得ています。

ポーズや横向きの体、顔つきなどをそのままタヒチの女性に当てはめ、様式化された単純なリズムを作り出しています。

絵の具がキャンバス地が見えるほど薄く塗られているのは、ゴーギャンの経済的困窮からと思われます。

 

ゴーギャン代表作⑥ 「死霊が見ている(マナオ・トゥパパウ)」

1892年73×92㎝  バッファロー オルブライト・ノックス・アート・ギャラリー蔵

 

ある夜、ゴーギャンが家に戻ると、まだ13歳であった現地妻のテハアマナが暗闇の中で幽霊に怯えて横たわっていました。夜になるとトゥパパウという精霊が明かりのない家に入ってくると信じられていたのです。

ゴーギャンはその時の彼女に未開の美しさを感じこの絵を描き、少女の背後に老婆の姿をした死霊を描き込みました。

ゴーギャンはタヒチの伝統文化や宗教に魅了されていて、ゴーギャン自身この作品は大いに気に入っていたようです。

 

ゴーギャン代表作⑦ 「アレアレア(喜び)」

1892年  75×94㎝ オルセー美術館蔵

 

木の根元で寛ぐ二人のタヒチ女性。左の女性が笛を吹き、右の女性がそれに聞き入っています。

後ろの樹木は生命力を象徴し、犬にはゴーギャン自身が投影されています。

遠景には怪異な形の偶像に礼拝する3人の女性たち。ゴーギャンはタヒチの古代信仰に大変興味を持っており、この偶像は再生を司る「月の女神ヒナ」。

南国の牧歌的な情景を、装飾的な構成によって楽園的で宗教性を感じさせた作品です。

 

ゴーギャン代表作⑧ 「自画像」

画家が、自分が画家であることを示すために自分の作品を背後に置いて制作した自画像はたびたび見られます。

「黄色いキリスト」が左右反転して描かれているのは、ゴーギャンが鏡を見ながら素直に描いたことを表しています。

ゴーギャンは自身の姿とキリスト像を同一作品に描くことがしばしばあり、それは自分とキリストを同一視しているかのようです。

右側には釉薬をつけた砂岩でできた「人の形の壺」が描かれています。

しかしこれは正しい方向から描かれており、それは写真を見ながら描いたため。

ゴーギャン自身がこれは『未開人ゴーギャンの頭を漠然と表現したもの』だと語っていて、原始的で孤独な彼の存在を象徴しているといわれています・

 

ゴーギャン代表作⑨ 「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへいくのか」

1897年 139×374.5㎝  ボストン美術館蔵

 

ゴーキャンは「私は、死以外に我々をすべてから解放してくれる出口を見つけることができない」と語っています。この作品はそんな思いから自殺を決意して遺言的作品として描かれた渾身の大作です。

幅が3メートル以上もある大作で、それまでのゴーギャン芸術の集大成といえる作品です。

ここにはゴーギャンの死に対する考えや生命への問いかけが描かれており、右、中央、左と三つの部分に分かれ、日本の絵巻物のように右から左へと「読む」絵画なのです。

それぞれの部分が題名に対応しています。右端の赤ん坊(誕生)から始まり、成長(共同生活)左端の老いと死に向かい合う老女へとつながっています。

 

ゴーギャン代表作⑩ 「白い馬」

1898年  140×91 cm  オルセー美術館蔵

 

ゴーギャンの友人の薬剤師の依頼で描かれた作品です。

ギリシャのパルテノン神殿にある浮彫りに着想を得ているといわれています。

前景に森の水辺で水を飲む白馬、後景には裸体で馬にまたがる人物が描かれています。白馬はポリネシアの伝説によると聖性の象徴でもあります。

晩年に描かれた作品で、ゴーギャン特有の暖色を主体にした明るい色彩は影を潜め、緑とブルーという寒色が主に使われており、水面の波紋や後景の馬に鮮やかなオレンジを用いて対比させることで、より寒色を強く感じさせ幻想性を高めています。

ゴーギャンの自殺未遂後の陰鬱で幻想性を増した作風と言えますがあまりにも幻想的な色彩のため、この絵は依頼主より受け取りを拒否されてしまいました。

 

ゴーギャン代表作⑪ 「赤い花と乳房」

1899年 94×73㎝ ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵

2人のタヒチの女性がマンゴーの花を捧げ持っています。

木陰にいるのでしょうか、健康的な浅黒い肌が青みを帯び、彼女たちのうつろな表情と相まって一層静けさを感じさせます。彫刻的ですが肉体感はなく清らかな美しさがあふれています。

ゴーギャンの自殺未遂後の作品にみられる余情的な静けさが覆っています。

 

ゴーギャン代表作⑫ 「浜辺の騎手たち」

1902年 75×92.5㎝ アテネ 二アルコス・コレクション蔵

ゴーギャン最晩年の作で、最後の地ヒヴァ・オア島で描かれました。

ゴーギャンは色彩を見たとおりに使っていたわけではありません。しばしば主題に対する彼自身の感情を表現するためや、装飾的な効果を狙って熟慮された非現実的な色彩を用いました。

今作でも人や馬は現実的な色を使いながら、砂浜にピンクとブルーを使用することで日常的な情景に非日常的な意味を与え、神秘性が生まれています。数人の騎手が描かれていますがそれぞれ1~2人ずつのパートに分かれ、それぞれが全く無関心でバラバラな向きを向いて行動し、彼らの表情は簡略化されてその内面を読み取ることはできません。

こうしたことがさらに非現実性を強め夢のような世界になっています。

 

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